ボロボロのゴールの先に
翌日のテレビ放映。
ライブが始まり、まずは録画でスタート前から現在までのハイライトが映し出される。
カメラがスタートボードにサインをする凪の姿を捉えた。
肘や脚には痛々しく包帯が巻かれているが、凪は少し笑顔でカメラに手を振った。
「僕は大丈夫だよ。心配しないで」と言っているようだ。
朝陽はそれを見て少しホッとする。
凪はきっと昨夜は痛くてあまり眠れていないだろう。
怪我をしても体調を崩しても、そんな事には容赦せず厳しいレースは続く。
照り付ける太陽。また別の日には痛いほどに身体を叩き付ける冷たい雨。倒れずに漕いでいくのが精一杯に思えるような急勾配の坂や延々と続くかと思える長い長い上り坂。一歩判断を誤れば、大怪我に繋がるハイスピードで駆け抜ける下り坂。
選手達は怪我をしても、こんなに厳しいレースを走りながら回復させていくのだ。
超人、いや、化け物の集団だ。
早く怪我を治して、少しでもチームの為に働けるようにならなきゃと、凪は完走するのが精一杯の我慢の日々が続く。
朝陽は雨の日の危険な下りなど、とても見ていられなかった。自分が走っている時はアドレナリンが出ていてそこまで恐怖を感じる事は無かったが、今は見ているのがとても恐ろしい。
ブエルタも半ば、2週目にまた凪が転んだ。
段差で前輪が取られたようで、単独の落車だった。
まだ前の傷が癒えていないのに、再び同じ所を打ちつけたようだ。
顔を歪め、横たわったまま起き上がる事ができない。
凪、もういいよ。そこまでで。
しかし、凪は立ち上がった。そこには前に進む意志しか感じられない。
朝陽は泣いていた。
ゴールして倒れ込み、スタッフに抱き抱えられていく凪の姿が少しだけ映った。
どうして、そこまで‥‥‥
落車癖が付くと言われる事がある。一度落車すると、身体のバランスが崩れたり、恐怖心から変に力が入ってしまってバイクコントロールがうまく出来なくなるとか。
朝陽も立て続けに落車した事があった。
凪もそうなのかもしれない。朝陽が見ただけでもこのブエルタで凪は4回も転んでいる。
転んでも転んでも痛さに耐えて立ち上がり、走り続ける凪。
朝陽は凪をこの世界に導いた事を後悔し始めていた。あいつ、死んじゃうかもしれない、と。
ところが‥‥‥
もうやめろよ。
何度も何度もそう思ったのに、完走が見えてきた時点での凪の落車を見た時に思わず叫んでいた。
「立てよ!」
立て! もう少しじゃないか。ここまで頑張ってきたんだ。凪なら出来る!
朝陽の声は凪の声。画面を越えて同調していた。
僕なら出来る!
凪は走り出した。
そして凪は初めてのブエルタをボロボロになりながらも完走を果たした。
最終日のゴールの向こうにはチーム員達が集まり、あちこちでハグし合う姿があった。
チーム員達の凪に対するハグは一際強いように見えた。背中や頭を叩かれたりもみくちゃにされている。
凪は笑っていた。
眩しかった。
怪我をせずにただ無事にレースを終えてくれればいい。そう思って見ていた自分が情けなくなった。
凪はそんな事を望んで走っているはずがない。
この世界を命懸けで駆け抜けている。
しっかりと思い出したぜ。あの頃の俺たちの気持ちを。
これから俺はレースを走る凪と同じ気持ちになってレースを観る事が出来そうだ。きっとそれが一番凪の力になるはずだ。
最後に日本からのテレビ中継が現地と繋がって、凪に対するインタビューが少しだけ聞けた。
解説者は凪に告げた。
日本のサイクリングファンでさえ、このレースが始まるまでほとんどの人が凪の事を知らなかった事。
何度転んでも立ち上がりボロボロになりながらも完走を果たした凪を見て、多くの人達が感動し勇気と希望を与えてもらった事。
そして途中リタイアの選択肢は無かったのかという質問をした。
沢山の
「限られた人しか出れないこのレース。僕はそのチャンスを貰ったから、まだ走れるのに走らないっていう選択肢は無かった」と。
「こんなボロボロの姿の完走に感動なんてしてほしくない。全然走りに余裕がなくて、不甲斐ない落車を繰り返して。チームの何の役にも立てなかった。絶対にもっと強くなってやる」と。
ニコリともせずに唇を噛み締め、少し頭を下げて足早にその場を立ち去る凪。
おい、日本は今真夜中だぜ。皆がこのテレビを見ながらお前の事をずっと応援してきたのに、お礼の一言くらい言えよ。
少し笑って手を振るくらいしてくれよ。
まあ、俺はそんな愛想のないお前が好きなんだけどな。
凪、お前、ボロボロでも、今、めちゃくちゃカッコいいぜ。
★
そんな凪の様子を朝陽と同じくらい真剣に観ている者がいた。
その者とは、今回は出場していなかったチーム・アンドゥのエース、リュカだ。
凪の走りはリュカの心に火をつけた。
面白い奴だ。こいつはきっと強くなる。
リュカは確信に似た手応えを感じていた。
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