ブエルタを走る凪

 プロ2年目。

 凪はブエルタのメンバーに選ばれた。


 まだチームの戦力になれそうではないが、将来性を買われて、早いうちに3週間のステージレースを経験させておきたいという事のようだ。

 これまで出場したレースで、凪は与えられた仕事をきっちりとやり遂げるという事を評価されている事も大きい。


 今回の役割は、まあ、という所だろう。

 初期的なアシストというか、チーム員にボトルを運んだり、チーム員からウインドブレーカーを受け取ってチームカーに渡しに行ったり、余裕があればチーム員の位置取りをしたり集団の前を引いたり。

 エースだけではなく、最終局面で働かなくてはならないアシストが力を貯めておけるように、アシストの為のアシストも行う。


 凪は自分の成績を残す必要は無い。制限時間内にゴールして、次の日もその次の日もチームに少しでも貢献できるように走る事が必要だ。

 一度でも制限時間を越えてしまえば、翌日はもう走れない。


 アンドゥのエースであるリュカは今年のツールを走り、今回のブエルタは出ていないので、総合狙いのエースはいない。

 今回、チームはステージ優勝をいくつか上げる事を目標としている。




 ブエルタの出場メンバーを見た朝陽はソワソワしていた。

 朝陽は高校卒業後、レースはキッパリとやめ、リハビリ専門学校に入学し、今は最終学年の3年生だ。

 特に専門職に就きたいという希望があったわけではないが、もともと身体の事に興味を持っていて、勉強するならそれかな? くらいの感じだった。


 彼は学業に忙しい日々を送っていて、テレビでさえロードレースを見る機会はめっきり少なくなってしまったが、凪が出場するというこのブエルタを非常に楽しみにしている。



 俺はまだ親から学費を出してもらって学生生活をしているというのに、凪の奴はとっととプロになって、もうこの舞台へとやってくるなんて、期待を遥かに超えた超人だ。

 凪が自転車を始める前に一緒にテレビでブエルタを見て『チーム・アンドゥ』を応援していた事を思い出す。ついこの前の事のようだ。

 あいつはまだ自転車の事を何も知らなかったのに、俺が憧れていたそのチームの一員としてこれから走るなんて‥‥‥。



 朝陽は真夜中にも関わらず、中継を全てライブで観ていた。


 レースを観るというよりも凪ばかりを探して目で追っている。

 展開に絡まない所で仕事をしている凪はほとんど画面に映りこんでこない。

 トップで走ってる選手ばかりじゃなくて、もっと全体を映せよと思う。これまでは勝負の展開に関係ない所なんて映さずに、ずっと先頭集団を映せよって思っていたのに、現金なものだ。


 毎日のように落車の映像が映るが、その度にドキッとする。

 アンドゥの選手は含まれていないか。

 赤と緑のパッチワークのウエアとヘルメットは倒れていないか。


 そのウエアに包まれた選手が道端に横たわっているのを見つけると気が気じゃない。

 それが凪ではないと確認できると、その選手には悪いがホッとしてしまう。

 心臓に悪い。



 レース5日目に恐れていた事が起こった。

 ハイスピードでロータリーに突入した集団の中で落車が発生し数名の選手が巻き込まれた。

 画面が大写しになると、倒れている選手の中に凪の姿があった。

 凪はすぐに上体を起こしたが、すぐに立ち上がれそうにない。ウエアの右半身がかなり破けて肘や下腿部から出血している。


 チームカーからスタッフが代車を持って凪の所に駆けつける。

 怪我の確認をすると、凪はスタッフに支えられて立ち上がった。激しく地面に身体を打ちつけたのだろう。かなり痛そうだ。

 乗っていたバイクが破損していると見たスタッフは代車を凪に差し渡す。凪は痛々しい姿でゆっくりとバイクに跨って進み始めた。

 あんなに怪我をしているのに、そのまま続行させるなんて、なんて酷なんだろう。

 凪は大丈夫だろうか。


 普通の人なら交通事故に遭ったようなもので、すぐに救急車がやってくるような場面だ。

 ロードレースの非常さを改めて思う。

 テレビの画面は切り替わり、それ以降凪の姿を捉える事は無かった。



 その日のレース結果など、もうどうでも良かった。凪の事が気になって仕方がない。

 もうとっくに日を跨いでしまっていたが、朝陽はネットでリザルトを調べて、凪が完走している事にひとまずホッとして眠りについた。


 凪は転ばない奴だった。ちょっとふざけて走っている時に俺と絡んで落車したけど、高校時代はそれ以外に転んだ事は無かったはずだ。

 海外に行ってからは分からないけれど、凪の痛々しい姿を見るのは本当に辛い。

 無理するなよ。リタイアしてもいいんだぞと思う。

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