夢を託す

 あんなに憎らしいと思っているのに、凪と顔を合わせるとずっと一緒にいたいと思ってしまう。

 凪はなんてつみ多き奴なんだろう。


 あれから色々と2人で話すことで、レース後の朝陽の様子にようやく納得できた凪。

 それでも今後の事について納得できない事が多過ぎて、2人は何度も何度も同じ話を繰り返していた。


「ナギは1人で『トゥア』に入って挑戦するべきなんだよ」

「アサヒと一緒じゃなければ僕は行かない」


 毎日毎日堂々巡りを繰り返しているようで、少しずつ各々が自分自身の本心を見出していった。


「アサヒと一緒じゃなければ」と一点張りな凪に、朝陽は自分の気持ちをさらけ出した。


「正直に言う。俺はナギが憎らしくてたまらない。そして愛おしくてたまらない。お前の持つ能力や純粋な心、全てに嫉妬しているんだ。

 2人で『トゥア』で頑張る事なんて俺には出来ない。これ以上ナギと一緒にレースをやれば、ナギへの愛と嫉妬で気が狂うに違いない‥‥‥」


 朝陽はレース後に考えていた事を出来るだけ正直に話した。そして言った。


「正直、俺の夢を、俺以外の日本人に叶えられてたまるかっていう気持ちがあるから、ナギにも挑戦させたくないって思ってしまう自分がいる。

 だけど誰かが果たすなら、それはナギであってほしい。

 少しずつだけど、俺の夢をナギにたくしたいって気持ちが膨らんできているんだ」


「夢を託す? 幼い頃からずっと追いかけてきた夢をそんなに簡単に僕に託すのかよ?」


「簡単になんて言うな。簡単じゃない。全然、簡単になんか出来やしない。だけど自分の限界がもう大体分かってしまってるんだ。俺はもう15年もこの競技をやってるんだぜ。いくら夢見ても俺じゃダメだって分かるんだ。ナギならきっと出来る」


「アサヒの為に走れないなら、アサヒのアシストが出来ないなら、僕は何の為に走るんだろう?」


「俺の人生のアシストをしてくれ。生きる意味を見つけられずに生きる事の辛さはナギなら分かるだろ? 夢破れ、今、生きる意味を失いかけている俺を助けてくれないか? 俺には出来なくても、夢を見続けたいんだ。

 俺の為に走ってくれ」

 朝陽はキッパリと言い切った。


 決して大袈裟に言っている言葉ではない。

 演技ではなく、涙声で話す朝陽の痛烈な思いに凪はどうしようもないほどに胸を締め付けられた。

 朝陽を思い切り抱きしめたい。


 2人の目が合った。

 朝陽は凪の心を感じ取った。


「ナギ、ごめん。俺、一度でもお前を抱いてしまったら、後戻りできない気がするんだ。やっぱり今は出来ない。俺の夢をナギに託したい」


 少しの間、沈黙の時間が流れた。

 窓の外で鳴く蝉の声がやけに大きく感じる。さっきからずっと同じように鳴いているはずなのに。



「それならば‥‥‥

 僕にも1つ夢がある。いつの日になるか分からないけれど。

 僕が強くなって、アサヒの夢を僕が叶える事が出来たなら‥‥‥

 そんなレースが出来たら、ゴールで待っていてほしい。両手を広げたアサヒの胸に思いっきり飛び込みたい。そしたら僕の事、強く抱きしめてほしいんだ」


「いい夢だ。それは俺にとっても最高に嬉しい夢だ。

 それと1つだけ。

 危険と背中合わせのスポーツだ。絶対に死ぬなよ」

 朝陽の目は真剣だった。




 凪がヨーロッパへと旅立つ前に朝陽に言われた事がある。


「インターハイの後、ナギってお前にピッタリのすっごくイイ名前だって思った。

 って字。ナギはあのレースで俺の前に入って風を止めてくれた。最高に走りやすかったし、最高のアシストだった。

 レース後にちゃんとお礼も言う事が出来ないでいてごめん。今更だけど、俺を勝たせてくれて本当にありがとう。

 ナギには『俺の為に走ってくれ』って言ったけど、変なものは背負わないようにな。

 自分の為に走れよ。それが俺の為になるんだ。

 それから、何度も言うけど、死ぬなよ。絶対に」と。


 死ぬもんか。朝陽に強く抱きしめてもらえるまでは絶対に死ぬわけにはいかない。

 そしてこの時、僕は自分の名前を初めて好きになった。




 勝負の世界はいつでも残酷だ。

 明るい未来の背後には、必ず暗い影がある。

 多くのものを踏み台にして、そこから飛び立っていけるのは、ほんの一握りの選ばれし者だけだ。





 第1部 高校編 おわり

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