幻となったハグ

 朝陽と凪は高校3年生となり、8月になればいよいよ最後のインターハイを迎える。

 その1ヶ月前に清泉高校はインターハイ前の最後のレースに臨んでいた。

 学生以外の社会人も出場するレースで、1チームから出場できる人数に制限はないが、インターハイの予行演習として清泉高校は3人体制だ。


 エースの朝陽は病み上がりであまり調子は良くない。

 しかし本番のインターハイだってそういう事はあり得る。

 レース前に先生は生徒を集めた。

 出場しないメンバーも全員がサポートと応援に来ている。


「今日のレースはインターハイの為の絶好の腕試しになる。今日の朝陽は本調子ではないけれど、チームで勝利を手繰りよせろ。その力はあるはずだから自信を持って、本番と思ってベストを尽くすように」



 この1年で朝陽はエースとして、自分がやるだけではなく、例え自分が不調でもチームメイトをしっかりと見て動かす力を身につけてきていた。


 凪もレースの状況を見て自ら動けるようになっている。朝陽の状態の把握は神業とも思えるほどで、会話を交わさなくても以心伝心という感じだ。


 エースの朝陽が本調子ではない今、この1年で彼らが身につけた事が試される。



 今回出場している清泉の2年生、正志まさしは自ら動く力はまだ無いが、役割通り常に朝陽の側にいて、トラブルがあった時などに援護できるよう備えている。


 朝陽は序盤は身体が重く、出来るだけ集団内で力を温存するようにしていた。

 凪は絶妙なペースで朝陽を引く。

 朝陽は思う。

 今は彼についていくだけでいい。頼もしい背中。

 ただただナギについていく事で、知らず知らずのうちに少しずつ身体も動くようになってきた。


 凪は有力所のアタックにも反応し、上手く振る舞い、集団に引き戻す。


 朝陽の調子が上がってきた所で凪はどんどんペースを上げていき、利害が一致する他のチームと協力しながら集団の人数を減らしていった。


 最後の勝負所となる上り。凪は先頭固定で全力で集団をひき、頂上で仕事を終えた。

 集団は分裂し、先頭は5名。勿論朝陽もその中にいる。

 ゴールまで残り2キロはほぼ平坦だ。

 牽制して後続に追いつかれないように、しかもゴール勝負の力を残しておくように、難しい場面だったが朝陽の頭と力は冴えていた。



「東山朝陽〜。トップでゴールしたのは東山朝陽だ〜」


 その実況を聞いて凪はホッとした。

 良かった‥‥‥


 長い長い最後の2キロ。あの坂で出し尽くして、もうフラフラだ。

 凪は初めて見たインターハイのゴール後の光景を思い浮かべていた。

 あの日、アシストした朝陽は優勝した清泉の先輩に強く抱きしめられていた。


 今日、僕はしっかりと朝陽をアシストする事が出来た。そして朝陽が勝った。やっと出来た。ずっと思い描いてきた事が。

 朝陽は僕をあんな風に迎えてくれるかな? 僕を強く抱きしめてくれるかな? 今行くよ。待ってて。



 ゴールを越えて、しばらく惰性で進む。

 いた!

 ゴール脇にいた朝陽が両手を広げながらこっちに向かってくる。


 僕はそこで自転車を止めた。

 足をついて両手を広げようとした時、急に視界がぼやけた。

 やばい、倒れそう‥‥‥




 気がつくと僕は救護室のベッドの上にいた。

「え?」


「ば〜か、ナギ、お前頑張り過ぎだぞ」

 聞きなれた声と共におでこを優しく撫でられた。


「最高のアシストだったよ。ありがとう」

 そう言われた事が何よりも嬉しかった。


 だけど‥‥‥

 夢にまで見ていた朝陽とのハグ。

 あと少しで叶いそうだったのに幻となってしまった。

 そんな事を考えていると、朝陽が顔を近づけてきて言った。


「とっておこう。インターハイのゴール後に」


 あ〜あ。

 

 凪は情けない顔でにっこりと頷いた。

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