不調

 あれから凪が朝陽にそんな素振りを見せる事は一度も無かった。


 あの後すぐ、あんな事は無かったように、朝陽がこれまでと同じように接してくれる事が凪には一番嬉しかった。


 朝陽もあの事をしっかりと封じ込めた。


 今の2人の関係が一番いいんだ。深い友情で結ばれた2人。一緒に頑張り、高め合える2人であり続けたい。


 何よりも2人にはそんな事で悩んでいる暇も無かった。

 朝陽は今年のインターハイは絶対に勝ちたいと思っていたし、凪はどうしても出場枠の3人のメンバー入りをしたかった。

 練習に熱が入る。



 5月に入ると、朝陽はナショナルチームでの海外遠征の為に2週間ほど学校を休んだ。

 朝陽にとってはジュニアでの海外初レース。レベルが高い大会も組み込まれていて、その中で自分がどれだけ戦えるのか、期待と不安を胸に旅立っていった。


 凪は朝陽が本場できっと死に物狂いで頑張ってると思いながら、自分も負けないように追い込んで練習した。




 久々に学校に来た朝陽はあちこち絆創膏だらけで、ひどく疲れた顔をしているように見えた。


「転んだの? 疲れた顔してるけど大丈夫?」


「ああ。ボロクソやられてきた。だいぶ落ち込んでるかも。これが世界の壁ってやつかな」


 笑っているけれどこんなに覇気のない朝陽を見たのは初めてで、凪は少しでも励ましてあげたいと思った。


「最初の挑戦でここが壁だなんて思っちゃダメだよ。壁は自分で作っちゃうものだって教えてくれたのはアサヒだから」


 朝陽はふっと快くない笑みを凪に向けた。


「分かったような口聞くんじゃねぇよ。お前に何が分かる?」


 一瞬にして悲しそうな顔になった凪を見て、朝陽はハッとした。


「ご、ごめん。俺、どうかしてた。ひどい事言ってごめん。自分自身にイラついてて。俺の為を思って言ってくれたのに」


「いいんだ。僕には分からない世界の事。偉そうな事言った僕が悪かったんだ」


 口が滑ったとは言っても、それは朝陽の本音だろう。


 言ってしまった事は取り消せない。どんなに繕っても朝陽の言葉が凪を傷つけた事は確かだ。



 心身共に大きなダメージを受けて帰ってきた朝陽は、このままじゃダメだと、もがけばもがくほど悪循環に陥っていった。


 凪は凪でそんな朝陽の様子が気になって、自分自身に集中しきれなくなっていた。

 それでも何とかインターハイのメンバーに入る事はできた。

 朝陽が不調なんだから、何とか僕が頑張って力にならなきゃ。

 それに朝陽の事だから、練習はイマイチでもレースになれば強さを発揮してくれるだろう。

 そう思っていた。




 果たして、インターハイは惨敗に終わった。

 清泉高校は創部以来初めて入賞者無しという結果で、朝陽は10位、もう1人の2年生が28位、凪は46位で最終完走者だった。



 朝陽はゴールラインを越えて、清泉高校が集まっている所で自転車を止めた。

「すみませんでした」

「仕方ない。お疲れ様」

 不調の中で精一杯やってきた朝陽を責める者などいない。


 朝陽は自分が暗い顔をしていたらいけないと思い、もう1人の2年生がゴールしてきた時も笑顔で迎えた。

「お疲れ」

「お疲れ」

 朝陽はわざとふざけたりして、清泉チームから時々笑い声も聞こえている。



 最終走者となった凪がゴールして、その輪の前でバイクを止めた。

 流れる涙を拭おうともせず、しゃくり上げながら座り込む。

「情けねぇ。何も出来なかった」

 顔を自分の膝に埋めて泣き続けた。


「泣くなよ。精一杯やったじゃないか」

 朝陽が努めて明るく声を掛けると、凪は朝陽に顔を向けて鋭い眼差しで睨み返した。


「ふざけんなよ」


 これが凪か? こんな凪を見た事はない。恐ろしい目をしている。

 朝陽は勿論、チームの皆が少しあとずさりした。



「ごめん。少し頭冷やしくる」

 凪はそう言って立ち上がり自転車を走らせる。クールダウンが必要だった。1人になりたかった。

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