これがロードレース

 凪は話をするのが苦手な方だ。今、みんなが憧れているスター選手と話しているんだと思うと、余計に言葉が出てこない。


「え? 僕、自転車レースの事全然知らなくて。初めて見た。マラソンみたいに速い人がどんどん前に行くと思ってたから、アサヒ、あ、東山君とうやまくんが」


「アサヒでいいよ。俺も勝手にナギって呼んじゃってるから。で、俺が?」


「逃げていた2人が断トツに速いんだと思ってて。それで2人のうちアサヒの方が全然余裕だったし、勝つんだと思ってた」


「ロードレースって複雑でわかりにくいんだよ」

 朝陽はそう言い、相槌を打つ凪に向かって話し続けた。


「スピード速いから、風の抵抗ってのがすごく大きくてさ。1人で走ってるのと、集団の中で走ってるのとでは全然労力が違うんだ。だから前に飛び出した選手が勝つのはすごく難しいんだ」


「なら、何で飛び出したの?」


「作戦が色々あってさ。ロードレースはチーム戦なんだ。今日のレース、俺達のチームは3人いて、エースは今日勝った3年生だった。勝つのは個人なんだけど、チームでエースを勝たせるようにレースを運んでいくんだ」


「あ、近くで見ていた大学生っぽいグループの人が、アサヒはいいアシストしてるとか言ってたな。アサヒは勝つ為に前を走ってたんじゃなかったの?」



「俺が逃げてる事で、チーム員は集団の中で休んでられる。ライバルチームが先頭をひかなきゃならないから、足を使う。そうやってライバルチームを消耗させてやるんだ。分かりにくいだろ? 複雑なんだ。すごく。


 だけど、俺が勝っても良かったんだぜ。エースじゃないけど、展開によっては俺が勝つ事も許されていた。

 集団に捕まるにしても、出来るだけゴールに近い位置まで逃げる事でチームは有利になる。

 どっちにしたって俺は全力で逃げ続けるだけだった。


 本当は俺自身が勝ちたかった。だってナギはチームじゃなくて俺を応援してくれてただろ? ただチームの為にアシストとして走ってるならあそこまでは頑張れなかったと思う。

 ナギの気持ちが俺の力になった事は確かなんだ。あと、ちょっとだった。それはすごく悔しい。


 だけど先輩が勝ってチームとしては最高だったし、俺は全力を出せたしチームにも貢献できて満足だった。すごく嬉しかった。

 だからさ、ナギにも喜んでほしいと思ってさ。

 たぶん俺が負けて、入賞さえも逃して、ナギは残念がっているだろうなって思ったから、そうじゃないって事を話したかった。


 それと俺に力をくれたナギの力が大きかったって事も伝えたかったんだ」



 朝陽が話している間にもレースの関係者がやってきては「強かったな」とか「おめでとう」とか言って握手を求めていた。

 凪はその度に、自分がここにいる事に戸惑いを感じていた。

 でも何かすごく誇らしい気持ちがして、自然と言葉が出てきた。



「アサヒが逃げてくれたから、僕は君の走りをじっくり見る事が出来た。集団の中じゃ探すだけで精一杯だからね。

 ラストの2周回はアサヒの走りから凄いを感じた。僕は何かを見てこんなに熱い気持ちになったのは初めてだった。僕はそれで充分だった。


 だけどさ。あんなに頑張ったのに最後は残酷だって思った。アサヒの事が心配だったよ。倒れ込んじゃってるんじゃないかと思った。

 だからゴール後に見た風景は意外だったな。清泉のチームが眩しかった。アサヒは笑顔だったし、みんな嬉しそうだったから、これで良かったんだって僕も嬉しくなったよ。

 嬉しかったけど、それを遠くから見ている事しか出来なかったのはちょっと寂しく感じた。


 僕が少しでもアサヒの力になれたのなら嬉しいけど、そんなんじゃなくて、もっともっと大きな力になりたいって思った。

 あんなに強いアサヒはアシストとして走るんじゃなくて‥‥‥。


 今度は僕がアサヒのアシストをして勝たせてあげるんだって思ったよ」



 朝陽は一瞬驚きの表情を見せて、その後にっこりと笑った。

 何かを言おうとした時に朝陽を呼ぶ声が聞こえた。


「おーい、アサヒ。もうみんな集まってるぞ。早く来いよ〜」

 チームの同級生だろう。


 朝陽は「わりい」と言って立ち上がった。

「ごめん。行かなくちゃ。またいつでもラインしてな。今日はありがとう」


 そう言って、ロードに跨がると右手を挙げて颯爽さっそうと行ってしまった。




 凪は小さくなっていく朝陽の姿を眺めながら茫然と立ち尽くしていた。

 自分の思いをこんなふうに人に話した事は今までになかった。

 冷めやらぬレースの興奮がそうさせたのか?

 まるで自分が自分ではないように感じた。

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