初めて見るロードレース

 スタートは8時30分。

 凪は始発の電車に乗り、上手く乗り継いでスタート1時間前に会場に到着していた。


 凪達の学校も山に囲まれていて、どちらかと言えば田舎にあるが、この会場も似たような所にあって、山の中腹に作られたアップダウンのある道路を周回して行われるレースのようだ。


 スタートゴール付近はすでに選手や関係者が集まっていて、緊張感がみなぎっている。

 選手達はマッサージオイルを塗ったりウォーミングアップをしている。

 この緊張感のある匂いはマッサージオイルの匂いなのだと気づく。


 僕らの高校、『清泉せいせん』はブルーと白のユニフォームのはずだ。

 それは事前に調べておいた。似たようなユニフォームの高校がいくつかあるが、「清泉」の文字が入ったユニフォームを見つけた。

 3人が縦に並んで走っている。


 どれが朝陽かすぐに分かった。スラリとした体型と端正な顔立ち。

「カッケ〜」と思わず小さな声が漏れる。

 教室で初めて見た時もオーラを感じたがそんなもんじゃない。

 授業中にコックリコックリと船を漕いでいる姿とは別人だ。

 ゼッケンは33。

 これで他の選手と見間違える事はなさそうだ。


 それを確認できたので、どこで見ようかと考える。初めてなのでどこでどう見たらいいのかも何も分からない。

 大会本部に行って聞いてみる事にした。


 積極的に自分から行動を起こそうという気持ちになっている事に自分でも驚く。

 僕の事を知らない人ばかりだ。話し掛ける事は恥ずかしいし勇気がいるけど、ちょっと背伸びをして頑張ってみようと思う。


 係の人は丁寧に教えてくれた。

 コース図と出場選手が書かれたプログラムをくれて、1周8キロのコースを11周すると教えてくれた。ゴール前にまあまあきつい1キロほどの上りがあって、上りきってから200mほど平坦を走ってゴールという設定らしい。


 まずスタートを見る事。上りはスピードが落ちるから選手を長く良く見れる。勝負も掛かりやすいからそこで見るのがお勧めで、最終周回はそこで見るか、ゴールを見るかどちらかが良いだろうという事だった。

 今日は暑くなるしレースは2時間以上に及ぶだろうから、観戦する方も熱中症に気をつけて水分をしっかりとって下さいね、と言われた。

 親切な人だ。ロードレースの印象が良くなる。


 スタートゴール地点はまあまあ人が多いが今なら良い場所を確保できそうだ。

 自販機で水を買ってから、ふらふらと動く事をやめて、目立たないけど選手達が良く見えそうな場所に移動した。もらったプログラムに目を通しながら選手達の動きを観察する。1つの学校から最大でも3人しか出場できないようだ。

 出場するだけでも大変な事だ。




 選手達がスタートラインに並ぶ。

 朝陽は例え僕と目が合ったとしても誰だか分からないと思うけれど、念のためにプログラムで顔を隠すようにしながら目だけを朝陽に向ける。


 僕は走るわけじゃないのに、これから始まるレースになぜか緊張している。

 それなのに朝陽は周りの選手と雑談しながら時々笑っている。余裕なのか?


 スタート1分前の合図と共に静寂に包まれ、僕の心臓の音が周りの人達に聞こえるんじゃないかと思うと余計にドキドキした。


 乾いたピストルの音と共に選手達が一斉に動き出し、その塊は1つの大きな生物のように移動していった。



 あっという間に選手達が見えなくなったので、凪は役員に言われたように選手達とは逆方向に歩き始めた。

 周りの人達の多くもそっちに歩いていく。きっと上りで見るのだろう。

 どこで見るのが良さそうか考えながら、でも少しでも早く選手を見たくて坂をどんどん下っていく。


 途中、ちょっと開けた所で遠くの方に選手の集団が見えた。色とりどりのウエアが凄いスピードで駆け抜けている。

 しばらく目で追っていたがまた見えなくなった。


 突然、凄いスピードで先導者と先導バイクが凪の前を通り過ぎた。

 そんなに凄いスピードだったわけではないかもしれないが、それまで何も通ってなかった狭い上り坂を駆け抜けていったから凪はびっくりした。


 もう選手達がやってくるのかな?まだスタートしてから10分も経っていないと思う。



 ほどなく選手の姿が目に入る。

 坂を上り始めたばかりの選手達は道幅いっぱいに広がって一団となっている。


 近い! 

 凪のすぐ横を選手達が通り抜けていく。その圧力に吸い込まれそうだ。


 朝陽はどこだ?

 清泉高校の青白を探す。見つけるだけでも大変だ。


 あ、あれだ!

 わりと前方に3人がまとまっている。たぶんあれだ。はっきり分からなかったけれど。

 次から次へと途切れなく選手が通り過ぎていく。

 すごい熱量を感じる。


 1周目だというのに後ろの方の選手はすでに苦しそうで、口を開けて喘ぎ喘ぎ走っている。

 集団の前方に目を向け直すと、1人が立ちこきでペースを上げて、それに何人かが付いていこうとしている。

 広がっていた集団は縦長になる。

 清泉のウエアも前の方に見えていたが、すぐに視界から消えてしまった。


 再び正面に目を向けて、この人が最後尾かなと思っていると、少し間が空いてポツポツと選手がやってきた。

 それでも必死に上っていく。

 心の中で「頑張れ」と叫ぶ。


 凪はしばらくの間、あっけに取られていた。全身の細胞がざわめいている。

 スゲー!

 目の前を通り過ぎた躍動。



 おそらく最後尾と思われる車が通り過ぎた。

 凪は我に返る。

 ペットボトルの水をゴクリと飲み込んだ。

 あと10回見る事が出来る。

 この坂の頂上近くならもう少し選手の密度が薄くなって、朝陽の走りもよく見れるんじゃないかと思う。


 凪はさっき下ってきた坂をまた上っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る