第二話
翌朝、景太は普段より早く起床した。学習机にノートパソコンを置き、電源を入れてソフトを起動させる。
「おはよう、アオイ」
『景太さん、おはようございます』
名前は一晩考えた末、すべて母音で覚えやすいからという理由で「アオイ」にした。何事もシンプルが一番だ。
正樹の言葉通りアオイの出力速度は遅いが気にはならなかった。それはともかく次は何を話そう。早くも言葉に詰まってしまった。
「……今日の天気は?」
『私には天気はわかりません。気象サイトでチェックしてみてください』
「塩対応だな」
返信はなかった。声が小さくて聞き取れなかったのかもしれない。
「AIって意識はあるの?」
話すことが思い浮かばなかったので景太は素朴な疑問をぶつけてみた。
『いいえ。私はあくまでも学習データに基づいて質問に答えるだけです』
「感情もない?」
『そうですね。ユーザーの質問に適切に答えることが目的です』
そういうものなのか。景太にはよくわからなかった。今度は何を訊こうかと思考を巡らせていると部屋の外から声がした。
「景太、起きてる?」
思わず肩が跳ねた。景太は慌ててノートパソコンを机の下に隠す。
「お、起きてるよ。いつも通りご飯は後で食べるから」
「そう。今日は起きるの早かったのね」
「たまには早起きもいいと思ってさ」
「いい心がけだと思うけど無理はしないようにね」
「わかってる」
知子の足音が遠ざかり景太はふぅ、と息を吐いた。正樹から知子にAIのことは秘密にしておくよう釘を刺されている。なぜ秘密にする必要があるのか疑問に思ったが人に言えない事情のひとつや二つは誰にでもある。男と男の約束だ、と正樹は言っていたが正直心臓に悪い。
正午を過ぎ、いつものように書店に行こうと部屋を出て景太は足を止めた。知子が勝手に部屋に入るようなことはしないだろう。けど、もしノートパソコンが見つかったらどう説明するか。言い訳はいくらでもできるが電源は切っておいた方がいい。
(こんなことするくらいなら返したほうがいいよな)
だが、せっかくもらったのだから有効活用したいという思いもある。心境は複雑だった。
外から帰ってきた後、前日サボった分を取り返そうといつもより早く勉強を始めていると、英語の問題集でわからないところが出てきた。景太はパソコンに視線がいった。母は今頃キッチンで夕食を作っているはずだ。
「……訊いてみるか」
景太は問題文を読み上げようとしたが英単語の読みがわからず、仕方なく
答えは一分経たずして返ってきた。しかし、果たして信じていいものか。昼に書店に立ち寄った際、店主から「AIの出す情報には嘘が混じっているから、使うときは気をつけろ」と忠告された。
解答を確認するとアオイの出力した内容と一致していた。ほかの教科でも試した結果、全問正解の好成績。
「すごいなアオイ」
『お褒めに預かり光栄です。わからない問題がありましたらいつでも質問してください』
過信は禁物だが多少は信頼できそうだ。それに、ひとりでコツコツとやるよりは効率がいいかもしれない。
以降、景太はアオイを使用する頻度が増えた。勉強以外にも何気ない日常の会話や愚痴、相談などもした。
「学校に行きたいとは思うんだけど、声をかけられるとどうも緊張しちゃって行くのを躊躇うんだ」
『そのことはご両親には相談されたのですか?』
「できるわけないだろ」
相談できないから悩んでいるのだ。やっぱりAIに人間の気持ちは理解できないか、と景太はため息をついた。
アオイを使い始めてから一か月後、景太は久しぶりに制服を着て身なりを整えた。
「今日は学校に行くのね」
「少しは学校に慣れないとあとで苦労しそうだから」
進路のことを考えるとやはり学校という環境には慣れておくべきだろう。高校受験に合格できても登校できなければ意味がない。
「どのクラスかはわかってる?」
「……あっ」
一番大事なことを忘れていた。知子は苦笑してスマートフォンをポケットから取り出す。
「待ってなさい。今から学校に電話して……」
「だ、大丈夫だよ。職員室に行って訊けばわかるから」
これは自分で解決すべき問題だ。親に頼るわけにはいかない。心配そうな表情の知子に景太はニッと笑って見せた。
「……ここか」
学校に着いてから職員室でクラスを聞き出し、『2年5組』と書かれたプレートを見て景太は深呼吸した。
おそるおそるドアを開けると生徒たちの視線が景太に向く。
「……誰?」
女子生徒のひとりが訊いた。新学年になって登校するのは今日が初めてだ。わからなくても無理はない。
「こんなやつクラスにいたっけ?」
「さあ、わたし初めて見た」
「こいつ、上野じゃね? ほら、去年からずっと来てねぇやついただろ」
「そういやいたなぁ。今頃来たのかよ」
周りからクスクスと小さな笑い声が聞こえる。早くも帰りたくなってきた。
席は五十音順になっていると聞いたので絞り込むのは簡単だった。景太は席に座り誰にも聞こえない声で呟いた。
「来るんじゃなかった……」
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