嘘から始まる物語

田中勇道

第一話

 上野うえの景太けいたは朝が苦手だ。

 ベッドから起き上がるのはいつも午前九時過ぎ。学校はすでにホームルームが始まっている時間帯だが景太は一年近く登校していない。新学期はすでに始まっているから新しいクラスになっているが、どのクラスかは知らない。

 高校であれば間違いなく留年しているだろう。幸いにも景太はまだ中学生。登校せずとも自動的に進級できる。


「景太、起きてる?」


 ドアの外から声がした。母の知子ともこだ。


「起きてるよ。ご飯は後で食べるから」

「冷めないうちに食べておいてね」


 このやり取りは朝の日常だ。足音が遠ざかっていく。リビングに移動したのだろう。スマートフォンで時刻を確認すると『9:16』と表示されていた。


「……着替えよう」


 景太が不登校になったのは中学生になってから三か月が経ったころだった。もともと人見知りで他人とコミュニケーションを取ることが難しく、苦労を強いられた。 

 クラスの半分以上の生徒は同じ小学校に通っていたので顔見知りは多かった。とは言っても、特に仲が良かったわけではなく会話も数えるほどしかしていない。クラスにも馴染めず、次第に仮病を使って休む回数が増えた。

 両親ははじめこそ心配そうにしていたが言及してくることはなかった。むしろ「学校は行きたいときに行けばいい」と助言されたほどだ。

 

「ごちそうさま」


 リビングで朝食を食べ終えると、景太は台所に向かい食器をひとつずつ洗って片づけていく。


「お皿はそこに置いといて大丈夫よ。洗っとくから」

「これぐらい自分でする」


 景太は両親にあまり気を遣わさせたくなかった。不登校ということだけでも迷惑をかけているのだから、必要最低限できることは自分ですると心に決めていた。

 知子は景太の言葉を聞いてふっと笑みを浮かべた。


「……何?」

「なんでもない。お皿、洗ってくれるのはありがたいけど割らないでよ」

「わかってる」


 それからお互い無言で作業をこなしていく。不思議と居心地は悪くなかった。

 

 正午、景太は部屋から出ると足早に玄関に向かう。


「あら、景太どこ行くの?」

「本屋」

「ああ、あの古本屋ね」


 自宅から歩いて十分ほどのところに古本屋があり、景太は小学生のころからよく寄っていた。知子はあまり行かないが店主とは軽く話をしたことがある。

 

「遅くならないようにね」

「わかってる」


 もはや景太の口癖になっている。一体どこまで信じていいやら。


「おっ、来たか」


 店に入った景太の姿を見て店主は訊いた。


「ちゃんと勉強はしてるか?」

「朝にまとめてやった」


 景太の返事に店主は「ならよろしい」と満足そうに笑う。見た目は若く年齢は三十代後半くらいだと景太はにらんでいる。


「まっ、勉強なんて学校行かなくてもできる。俺なんて高校半年で辞めてるからな」

「それ、自慢気に言うことじゃないよね」


 景太が呆れ顔で言うと店主は黙り込んだ。長い沈黙の後、店主がわざとらしく咳払いする。

 

「とにかく、お前にはせめて高校までは卒業してほしい。俺みたいに中途半端な学歴だと就職でいろいろと不利になる。親戚でもないのにおこがましいとは思うけど」


 店主の言い分はわかる。学歴が必ずしも将来に直結するわけではないが、中卒と高卒では進路に影響が出るのは確かだ。中学生の景太でもそれくらいは理解している。だから毎朝自主勉強することを習慣にした。


「しっかし、今は勉強の仕方も多様化してるよなぁ。俺がガキの頃はほとんどアナログだったのに今はみんなデジタルだろ。おまけにAIまで普及してきてる」

「僕はAI使ったことないよ。興味ないし」

「へぇ、そうなのか」


 このままだと駄弁っただけで日が暮れそうだ。人と話をするのは苦手だが店主とは不思議と会話が続く。気が合うのだろうか。

 店主はおもむろに肩を回し「さあ、仕事にもどるか」と呟く。景太はまず参考書を手に取った。

 適当にページをめくってみるといくつか書き込みがされていた。紙の本にしかないもの。ふと、後ろから店主が話しかけてきた。


「なんならそれやるよ」

「いいの?」

「ここはお前以外に学生なんてめったに来ない。置いてたところでどうせ売れないよ。受験に役立ててくれ」


 受験は一年以上先だけど、と景太は内心で呟く。本当にタダでもらっていいのかと思ったが景太は厚意に甘えることにした。

 夕食後、店主にもらった参考書で勉強を進めようとしたがどうにもやる気が出ない。


「毎日同じことばっかりしてると飽きるな」


 何か新しい刺激がほしい、と、ふいにドアがノックされた。母だろうか。

 ドアを開けると目の前にいたのは父の正樹まさきだった。小型のノートパソコンを手に持っている。


「何の用?」

「ちょっとお前にプレゼントをやろうと思ってな。入ってもいいか」

「別にいいけど……プレゼントって何?」

「その前に少し時間がほしい。準備が要る」

 

 正樹はそう言ってパソコンを起動させ、慣れて手つきでパソコンを操作していく。手を止めるとパソコン画面を景太に見せた。表示されていたのは小さな枠にマイクのアイコンと薄い『Message』の文字。


「これに適当に話しかけてくれ」

「ねぇ、これ何なの?」

「知り合いのプログラマーに作ってもらった対話型AIだ」

「AI……」


 景太は店主との昼の会話を思い出す。そのときは「興味ない」と一蹴したが今は完全に興味をそそられている。

 

「こ、こんにちは」


 画面に向けておずおずと話しかけると、数秒経って『こんにちは』と文字列が表示された。正樹は苦笑しながら言う。


「こいつ、音声認識はできるんだけど出力されるのはテキストだけなんだ。……あと出力も結構遅い」

「そうなんだ。でも、なんでこれを僕に?」

「ずっと部屋にいても退屈だろうと思ってな。話し相手にちょうどいいだろ」

「話し相手なら別にAIじゃなくてもいるじゃん」

「人よりAIの方が本音で話ができるだろう?」


 景太は何も返せなかった。「図星か」と正樹は悪戯っぽく笑う。


「それに、俺や母さん以外の人と会話するとき、お前はスムーズに話せるか?」


 正樹の問いに景太はバツが悪くなって目をそらした。古本屋の店主ならともかく、ほかの相手だと挙動不審になりそうな気がしてならない。

 

「多少のコミュニケーション能力がないと将来苦労する。そうならないための練習にも最適だと思うぞ」


 至極もっともな意見だ。ふと、景太は視線を正樹に向けて訊いた。


「パソコンはどうするの? 仕事で使うよね」

「新しいのがあるから問題ない。好きに使ってくれ」


 早い話「お前にやるよ」ということだ。昼は参考書で夜はパソコン。もらってばかりだ。


「そういえば、このAIの名前なんていうの?」

「名前か。名前はまだないな」


 一瞬、脳内に猫が浮かんだ。なぜだろう。

 毎度AIと呼ぶのは何か違和感がある。ただ、AIに性別という概念はないので名前を付けるなら男女ともに使える中立的な名前がいい。結局、勉強はまったく進まず時間だけが過ぎていった。

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