第6.1話 君に会いにゆこう
旧市街の地下深く。
アリの巣状に張り巡らされた無数の通路とそれらを連結する幾つもの大広間。
地上の街区と連動して、
そこは王家専用の緊急避難経路であり、秘匿すべき術理の訓練場であり、絶対に表には出せない輩の幽閉場所でもあった。
故に、この王国時代の遺構は、その崩壊と共に徹底的に破壊され尽くした。
王城の遥かな高みから見下ろすだけでなく、自分たちの足下すらもあまねく全て王家の所有物だったという物証は、新たな体制を立ち上げようとする者たちには、到底看過できない『打破すべき象徴』でしかなかった。
故に壊せ。壊した。壊し尽くした。
そうして
しぶとくもいまだ健在な旧王家に生を受けた麒麟児が過去の文献を紐解いたことで、この『まだ半分ぐらいなら使える空き地』は再び日の目を見た。
「ちょうどいいじゃない。どうせ魔術師なんて連中は、薄暗い穴倉とか大好きでしょう? 誰にも内緒で好きなだけ後ろ暗いことができるとっておきの場所。理想の本拠地ではなくて?」
およそ半世紀前、旧市街を支配していた巨大非合法組織が壊滅した。
その残党の一派、ことさら魔術に傾倒していた人でなしどもがつくりあげた秘密結社――闇の薔薇。
埒外の暴力による蹂躙を経験した彼らは、2度と同じ轍は踏むまいと、組織の基幹部を徹底的に隠匿する方針を取った。
どうしようもない時は、もう本当にどうしようもない。
理外の化生は存在する。もうそれはどうしようもない。
ならばそれを前提に組織をつくろう。
広く、薄く、大きく。しかし根は深く、誰にも見付からぬよう、深く、深く。
そうして築かれた、旧市街のはるか下方に広がる『闇の根』と呼ばれる本拠地。
その中心部にして大規模な祭儀場でもある地下大聖堂で今、最後の頭蓋が砕け散った。
「やはりお強い。うむ、良き術比べでした、副首領閣下」
首から上が破砕した敵手より、心からの賛辞が送られる。
驚くには値しない。
彼奴の声は、喉より発せられるものではない。直接頭の中に聞こえるのだ。
対象を1人へと限定する代わりに全ての制限を『踏み倒した』荒業。
音声に依らない呪文の詠唱を可能とした、驚嘆すべき術師最後の言葉は、掛け値なしの祝辞だった。
返礼として、残る首から下は一息に砕いた。
続いて、真っ白な灰となり散って行く。
これにて反逆者の根絶は完了。
だが、しかし。
「どれだけ残った?」
聖堂内で立っていると思しき、ぼんやりとした人影へ彼は問う。
予期せぬ反動で潰され、完全に視力の喪失した両目が再生するには、今しばらくの時が必要だった。
「自分を含めて4人ですね。もれなく祭壇に『回収』されたので、擬死はありません」
「そうか」
そこまで数が減ってしまえば、もはや組織としての体裁は保てまい。
それがたった数名しか残っていないとなれば、全体の統制など取れよう筈もない。
つまり、組織としての破綻は、もう避けられない。
「最後は仲間割れで終わるとは、なんともまあ締まらない話ですね」
「最後などとキサマ、何をいうか! まだ盟主さまがご健在ならあるいは」
「そ、そうだ! 盟主さまなら、あの御方なら!」
今宵『闇の薔薇』の盟主は不在だった。
数週間前から、とある『特級の大儀式』に参加する為に、はるか遠方へと長旅に出ていたのだ。
「いや。あの魔女が
悪目立ちを避ける為、息のかかった者どもを使い『盟主は他の代表と同じく弾け飛んだ』と虚報を流したが……実際のところ、ただの先行発表でしかなかった。
「な、ならば副首領閣下、我々はこれからどうなるので?」
「そうさな。今宵の動乱を制した勢力によって『
「わ、我々が、頭が落ちてしまえば、残る手足は」
「うむ。統制を欠いた大陸各地の支部はそれぞれ独自の名を掲げ好き勝手に動き出し、そうして現地の有力者に討たれ、緩やかに消滅してゆく。実につまらぬ閉幕よ」
内容とは反比例して、語る彼はどこか楽しげだ。
それを見たひとりが、薄笑いを浮かべながら問う。
「座して終わりを迎えるつもりなど、欠片もありはしないのでしょう? 副首領閣下?」
「無論。でなければ、これの炉に火など入れぬよ」
いって彼は『祭壇』を見上げた。
中心へ行くにつれ段々と面積が小さくなっていく多層型の立体構造物。
俗にいうピラミッド。
ただし全体が真っ黒で継ぎ目がなく、段によってサイズやスケールがまちまちで、さらには観測する度にその数値を変動させるという意味不明な代物だ。
「
最初期に発掘され、その余りの禍々しさから結社のシンボルとして扱われてきた未知の遺物。
おそらくは何らかの
炉と思しき箇所に魔力で火を入れると、ごく短時間だけ起動状態に移行する以外に判明したことはひとつもなかったのだが……ほんの数時間前、唐突にその正体が判明した。
急な『接続』による過負荷で目と耳から血を垂らしながらも、
その場のノリで物見として浮かべられ、何らかのトラブルで破壊された『眼』のダメージで強制遮断されるまでには、これの仕様は大方判明していた。
だから彼は、反逆者どもとの衝突が避けられないとなったその時、そっと『これ』の炉に火を入れたのだ。
どうせ無為に散らすのならば、せめて贄になれよと。
「諸君らも見ただろうが『これ』の有効範囲内で死した者は灰となり、糧となる」
「それは一体『何』の糧なのでしょうか?」
「これの5倍の大きさなら『皇魔城』という、人類との決戦兵器の動力部となったそうだ。少なくとも、あの
ひとつの世界を相手に必勝を確信する物の5分の1。
スケールが大きすぎてピンとこないが、それでもとんでもない代物が控えていることだけは間違いない。
「なれば旧市街など、一息に吹き飛びましょうね」
「旧市街どころか、下手をすればネグロニアそれ自体も」
「我らが結社のシンボルが、終にその真価を発揮すると」
「そ、それは、それはあまりにも」
皆の視線が彼に集まる。
どいつもこいつも、溢れ出る好奇心を隠そうともしない。
ああ、素晴らしき同志たち。
彼は嗤い、煽る。
「面白そうであろう? このまま先細り終わって行くよりも、ずっとずっと、もっともっと、心躍るとは思わぬか?」
「然り!」
「然り!!」
「然り!!!」
意志の統一は成された。
いや、もとより外法の下に集いし左道の群れ。
今一度確認した、といった方が適切か。
「しかし副首領閣下。我らが精鋭たる『位階持ち』の大半を喰わせてなお、いまだ不足しておるように見受けられますが」
不気味に脈動する『祭壇』を見やる。
確かに、これまでにない反応を見せてはいるものの、まだ決定的な閾値は超えていない。
まだ、足りない。
「ふむ。ならまずは確認だ。死ねば喰われる『有効範囲』の
大規模な反乱だったので、階層区画を問わず、あちこちで殺し合いが発生していた。
彼自身は大将としてこの大聖堂での迎撃に終始していたが、他4人は遊撃として各地を飛び回っていた。なので知るべきは過不足なく知れた。
各々の証言をもとに仮定し、祭儀用の家畜を用いて実験を繰り返した結果……この地下本拠地の全てが『有効範囲』だと判明した。
「つまりだ諸君。最も上のA層にでも引き込めば、あとは殺るだけで事足りるというわけだ」
では何を狙うべきか。
何をさらい、何を捧げれば、かの遺物は目覚めるのか。
思い当たるフシは、ひとつしかなかった。
答えは既に、かの
「彼奴等は失敗した。我らは、どうであろうな?」
外法の徒たる彼らにとってその甘美なる響きには、抗い難い、どうしようもない
――神殺し。
「し、しかし、居所がわかりません。もう夜は明けた。決着はついたとみるべきでしょう。我らは出遅れた。いや、参戦すらできなかった」
「案ずるな。夜明けの少し前、魔女の巫女へ植えた『草』から連絡があった。同志マリアンジェラと共に確保に移ると。回収地点は『青の6』で発信するので迎えに来てくれとも」
探知に長けたひとりがすぐさま『青の6』の所在地を探るが、先んじて彼が告げる。
「発信があったのはついさっきだ。なぜか一箇所でじっとしている。当然追撃はあるだろうに移動する様子がない。何かトラブルでもあったのか、はたまた篭城でもしているのか」
千載一遇。
しかし目標は死地の只中。
この場にいる全員がその理解に至ったのを見た彼は、よく通る声で号令をかけた。
「行くぞ諸君。ただし慌てるな。準備は万端に、出し惜しみはなしだ。あるだけ使え。持ち主のいなくなった秘法はごまんとある。湯水のように使い捨て、そして我らは成し遂げる。さあ動け。持てるだけ持て。掴めるだけ掴め。両手一杯に切札抱えて突撃するぞ」
※※※
「あー、こりゃ見事にやられちまってるね」
旧市街の中でもさらに奥まった住宅密集地。
無駄に背の高い掘っ立て小屋もどきが軒を連ね、連結され、どうしてそうなったのか上方では無数の橋が行き交ったりしている為、狭い空はさらに切り分けられ、昼間でも妙に薄暗いどこにでもある陰気な路地裏。
そこに転がる、首が異常なまでに捻れた裏切り者の死体。
ひとつは彼女、もうひとつはリリカと馬鹿で調べる。
「ノドもとにある痕からして、細いヒモ……いや、頑丈な糸ってところか」
「なんというか、一切ためらいがないよねーこれ。最初からこうするつもりでしたってのがみえみえ。こいつら、仲間じゃなくて捨て駒だったんだね」
ならばずっと
ついそんなことを考えてしまう彼女の視線は、自然と馬鹿へと向いてしまう。
「なんだよお
そう、死ねばお終い。もうそれまで。
だというのにこの馬鹿は、彼女や周りの制止を一切聞かず、毒の釜の底へと飛び込んだ。
「違うよヨランダ。ばあちゃんはね、おまえが死体からサイフをくすねないか警戒してるんだよ」
「するかアホ。ガキの頃の話をいつまで引きずってんだよ。つうかこいつらロクなもん持ってないし」
「いやもうすでに手に取ってるじゃん。早業すぎて正直ひくわー」
「は? 裏切り者の情報集める為に持ち物チェックすんのは普通だろ。あたしがいつポッケにインした? ええ? リリ、いってみろよおい」
「ねえばあちゃん、このメイド服着たちんぴら何? さっきから妙になれなれしいんだけど、知ってる子?」
「……さあね。昔ウチを飛び出した馬鹿によく似ちゃあいるが、身の程を知らないあの馬鹿は魔女の館で怖い魔女に嬲り殺されただろうからねえ。成仏できない悪霊とか、そのへんじゃあないかね」
「なんだお婆、ボケてんのか? おっ死んだのはあたしじゃなくて
そういった情報共有をすっ飛ばして『とにかく追え!』と尻を叩いたのはこの馬鹿だ。
足を負傷した裏切り者はあっさりと自害した。
手がかりは途切れ、時間はこちらの敵。経てば経つほど向こうは遠ざかる。
ならば1秒でも早く動き出せと、ぐうの音も出ない正論に押し切られた。
なんとか道すがら聞けたのは、あの御方の名前と
そう。1番大事な『これ』の確認が、まだだった。
「……本当にあの魔女は、死んだのか? おまえはその目で
「死ぬより酷い目に遭うのは見た。そんで無防備になったところを、最後は親衛隊か使用人の誰かに『そうとは知らずに』トドメを刺されて終わったよ」
「あの化物を相手に、どうやって?」
「……いえない。アマリリス様の手札を勝手にさらすような真似は、しない。たとえお婆が相手でもだ」
内心彼女は破顔する。
劣悪な環境に居たからといって、根腐れを起こしてはいないらしい。
「随分と入れ込んでるじゃないか」
「……助けられたんだ」
気まずそうに、だが黙っているという選択肢は決して取らないこの馬鹿の心根が、昔から彼女は嫌いではない。
「へーそうなんだ? どんな風に?」
「
「長いってもう。よーするにさ、今かみさ――アマリリスさまが『ああなってる』のは、ヨランダのせいってことだよね?」
「そうだ。だからあたしは先頭で走って、最初に突っ込む死番をやってんだよ」
いい終わる前にヨランダは次の予想ポイントへ駆け出し、彼女が指示するまでもなくリリカが後を追った。
「オーナー。わたしたちは追わなくても?」
ヨランダに『治された』マリエッタが彼女を見る。
「必要ない。ああもやる気なら、むしろ数が武器ではなく枷になりかねない。こっちは反対側に回るよ」
逃走した方向。子供サイズとはいえ1人を抱えての移動。馬車や車が通れる道幅はない。
それらを考慮すれば、当たるべき場所の目星はついた。
ただこの旧市街、かつて栄華を極めた旧王国時代の置き土産だけあって、その総面積は広大の一言に尽きた。
それが平面なら――1階層だけならまだしも、後の勝手な増改築により2層3層、所によっては4階層まであったりするものだから、いくら範囲が絞られていても結局は総当りの虱潰しとなってしまう。
上って覗いてハズレ。飛び越え開いてハズレ。
たまに襲いかかってくる阿呆をぶちのめし、命の代価に情報を吐き出させ、さらに範囲を絞る。
「オーナー。ずっと聞きそびれていたのですが、あの黒い被り物の中から出てきた彼女は、どこの誰なんです? いえ、会話からオーナーの身内だと察しはつくのですが」
6つ目のドアとも呼べない木の板を蹴り破ったところで、マリエッタが訊いた。
「そういや、おまえが来た頃にはもうあの馬鹿は居なかったね。ちょうど入れ違いの時期だったか」
「ええ。わたしは知りませんわ。ただ、あの裏切り者に打たれた薬物による麻痺を一瞬で治せて、さらにはあの給仕服。おそらく彼女は『魔女の館』に詰めるエリートですよね?」
「……そんな大したもんじゃないよ。ただ適正値が高かっただけのじゃじゃ馬さ」
「もしかして、オーナーのお孫さん?」
「まさか。まだあれが幼い頃に、縁のあった旧知から頼まれたのさ。
あれの祖母を名乗れるのはこの世でただひとり。
彼女と良く似た星の下に生まれ、しかし全く違う道を歩んだ、幸薄き隣人。
「そんな彼女が魔女の館へ行ったということは……間諜ですか?」
「生きて帰る見込みがないのはスパイじゃなくて生贄だよ」
「ああ、勝手に行ったのですね」
「そうさ。勝手に志願書出して、勝手に適正検査受けて、勝手に殺されに行ったんだよ」
たぶん本人はよかれと思って。
彼女やその身内のプラスになると信じて。
あの魔女相手に、あり得ない楽観にまみれて。
「ですがいま彼女――ヨランダさんが築き上げた人脈が、オーナーの力になろうとしていますわ」
「順当に行けば嬲り殺されてたさ。それこそ、神様でも降ってこない限りはね」
どうしてまだ何もしていないのに、言葉すら交わしていないのに、恩だけが積み重なってゆくのか。
「わたし、右」
何の前触れもなく唐突に、マリエッタが短く言葉を切った。
同時に彼女は、左側の対応を終えていた。
短刀を突き出そうとする手首の腱に一突き。
がら空きの胴にもう一突き。
最小限の動きで済ませる。
いくつかある主要臓器のひとつでも不全にすれば、生き物は死ぬ。
派手に吹き飛ばしたり、ぶった切ったり、カチ割ったりといった伊達は、もう彼女には必要ない。
彼女は、かつての失敗から何も学べない間抜けでは、断じてない。
「あー、こいつら、どっかで見た気がするんだが……マリ、わかるか?」
こちらも問題なく済ませたマリエッタが、得物の血を振り払いながら、
「少し前に例の『秘薬』の利権に手を伸ばした連中の下っ端、ですね」
「ああ、それでいきなり殺しに来たのか。こんな時に、紛らわしい奴らだねえ」
追い詰められた犯人が飛び掛って来たのかと期待したが、どうやらハズレだったようだ。
「……相変わらず、美しいわ。血の一滴も出ず、これといった外傷もなし。わたしにもオーナーのそれ、できるかしら?」
「もうおまえは殺し屋じゃあないんだ。百を前提にした技なんぞ、学んでどうする?」
「うーん、いりませんわねぇ」
「いらないよ。んなもん習うヒマがあるなら、銭勘定でも覚えて私に楽させな」
そうしてひとつひとつ虱を潰しつつしばらく進むと、別班の4人組みと鉢合わせた。
向こうがいうには、ここまでに異常はなしと。つまりこちら側に『当たり』はなかった。
ならば残る可能性は。
「リリカは問題ないとして、あのヨランダさんは大丈夫なのでしょうか?」
「一応はエリート様らしいから、まあそこいらのちんぴらにやられはしないさ」
実のところ、さほど心配はしていない。
こっそりと入手した資料には
彼女とリリカが、被り物を取って顔を見るまでわからなかった。
彼女とリリカが、こっちが神様だと確信する次元の『濃さ』だった。
むせ返るような、無限に湧き出すかのような、異質な密度の塊。
手触りは良いが、あまりにも膨大すぎて吐き気すら催す破格の命。
「ただあの馬鹿は、勢いはあるけどケンカ自体はあまり強くないのがねぇ。まあそれでも『特別行動隊』や『闇の薔薇』みたいな、その道の専門家や本気の外道とカチ合わない限り、なんとでもなるさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます