第3話 敗走
つい勢いで全弾一斉発射してみたはいいものの、すぐさま後悔することになった。
1、2、3、4。1、2、3、4。
死ぬ気で頑張った甲斐あって、黒い杭の数はかなり大量に射出することができた。ここまではいい。一発撃ったら次を装填、発射。この1サイクルを2秒で実現できたのもいい。
硬く凝縮したやつ。病の呪のやつ。傷の呪のやつ。死の呪のやつ。それぞれ4種類の杭を0.5秒毎に撃ち出すことで、途切れない連射を可能にできたのもいい。というか咄嗟にこれができた時は、我ながらファインプレーだと内心ガッツポーズを決めたりもした。感覚的には4つの玉でのジャグリングもどきといった感じか。
いっちに、さんし。いっちに、さんし。はい以降いけるトコまで繰り返しッ!
さらに弾丸数問題もどうにか解決できた。壁や地にぶつかり砕けた杭はまた闇に戻る。つまりリサイクル可。おれ自身がめっちゃ疲れるから無限ループとはいかないが、集中力が続く限りは延々と繰り返せる。つうかこの地下空間、異常なまでに濃密な闇に満ちていて、気持ち悪いぐらい気持ちよく動かせる。それもまたいい。
といった風に、思いがけずいくつかの『いい』が重なった結果、当初考えていた最良の結果――最初にかまして後は連射で釘付け、を実践できてるのはいいんだけど……。
今連中は、でっかいバリアっぽい何かを展開した一人の下に集合している。正確には、なんか白い手みたいなのが10本ぐらいにゅっと伸びて他のやつらを引きずり込んだ。
ドーム状に展開されたバリア(仮)が亀の甲羅のような濃い緑色をしているので、中がどうなっているのかはわからない。
ただ、かなりの本数の黒杭が叩き込まれているにもかかわらず、緑バリアはびくともしない。当たった端から砕け散るを繰り返して、本当に微塵も小揺るぎもしない。
……なんだか悔しかったので、今さっき見たばかりの『伸びる白い手』をパクって、闇で造った『伸びる黒い手』で叩いたりペチペチしてもびくともしない。
ジャグリングの片手間に、黒い手を束ねて『黒い大きな手』にして殴ったり握り潰そうとしても、やはりびくともしない。
ムキになりすぎて、危うくジャグリングが破綻しそうになったので、慌てて元のルーチンに戻る。
……予想できていたことだが、やはりこちらの魔法モドキでは本職には通用しないらしい。
まあそれはいい。正直いうと全然よくないのだが、まあいいとしておく。それより問題なのは。
こんなどしゃ降りの杭スコールの中、いったいどうやって非戦闘員を逃がすというのか。
いやこれ、戦闘要員じゃない技術者とか、バリアから出た瞬間に蜂の巣だよ。そりゃ逃がすも何もないって。安全地帯でじっと終わるのを待つしかないよな。わかるわかる。ははは。
……うん。やりすぎ、というか上手くいきすぎた。
出入り口まで案内させるなら、連中の背後側は空けておかなきゃダメだろう。
ぐるっと黒い杭シャワーで囲んでしまえば、そりゃ身動き取れなくなるに決まってる。
初めての魔法でテンションが上がりきっていたおれは、そんな当然のことに気付けなかったのだ。
……よく覚えてないけど、やっぱおれって大したことないやつだわ。アホすぎる。
1、2、2、4。1、2、4、4。あやべ。っとリズムが同じなのでセーフ!
かといって連射を止めると、その瞬間にバリアの中から一斉に飛び出してくるよなあ絶対。
今のこの膠着状態って、連射が止んだ瞬間を狙ってのスタンバイ中だよなあきっと。
1、2、、4。1、2、、3、、4。あこれまずい。
もうそろそろ集中力が限界のおれに、超スピードで突進してくる近接戦闘用人外マッチョの群れ。
うん無理。どう考えても対処できるわけがない。
ひとりが咄嗟に張ったバリアでこの超強度。近接戦で飯を食ってきたやつらなら、きっと数発は耐える。最悪のケースとして、個人サイズに縮小したバリアを纏って突っ込んでくるケースもあり得るのが最高に笑えない。さらに向こうの遠距離攻撃もばかすか飛んで来るだろう。突撃組の補助もするだろう。チームワークを駆使するだろう。しない理由がない。
やばい。
考えられる限り最高に上手くいったのに、なぜか追い詰められてる。
上手く行き過ぎて、なんか一週回ってダメになってる。
つうかもう無理。連射が限界。これ以上は本当無理。
あ、あ、まずっ、無理ムりむり!
そこで不意に開く記憶の扉。
新車を買って初めての遠出。
気心の知れた友人たちとの楽しいひと時。
帰りの高速で巻き込まれる渋滞。
次のパーキングエリアまで5キロの標識。
ずっと黙りこくっていた1人がいう。
トイレに行きたい。
10分経過。進んだ距離は5メートル。
沈黙と緊張が支配する車内。
せめてもの抵抗と冗談めかしておれは聞く。大か小か?
やつはいう。ミディアムだと。
ちょっと笑ってしまう。ふざけんな。ぶっ殺すぞ。
30分が経過する。進んだ距離は20メートル。
おれは懇願する。せめて外でと。
やつはいう。もう動けないと。もう自分は走れないのだと。
だから――すまん、と。
おれにはわからない。なぜここで謝るのか。わかりたくない。
やつはただいう。すまん、と。
なに謝ってんだよ、新車だぞふざけんじゃねーぞおい。
もう一度だけやつはいった。すまん、と。
だから謝ってんじゃ、
クッソどうでもいい記憶の扉をそっと閉める。
何の役にも立たなかったが、記憶と同じくちょっとだけ笑うことができた。ふと肩の力が抜けた。
だよな。
ごりごりに強張って、一方向だけじっと凝視して、うまくいくワケないよな。
駄目だとわかったなら、さっさと自分のマヌケを認めて次に行こう。
他に選択肢などない、と断言して停止するなら、そのままそこでお終いになる。
なら今回はどうか。
綻びそうなジャグリングもどきをスパっと止め声を張り上げる。
平均値よりも少し尊大に。巻角野郎を参考にやや時代がかった感じで。余裕をもって、ナメられないように。
「なあ、ここらで止めにせんか?」
賭けだ。
あのまま続けても、これに失敗しても結果は同じ。
ならやらない理由がない。
ビビるのはいい。仕方ない。だが縮こまるな。
「…………」
誰も飛び出して来ないのを確認して、最大の難関を突破できたと安堵する。
問答無用で来られたら終わってた。
問答無用で来なかった事実から確信を得る。
「お前らが何をしようとしていたかは知っている。だが、それを考えたやつはもう消えた」
これまで連中は、おれのことをエンジンの材料としか見ていなかった。
それがこうして反撃に出て、少なくとも脅威たり得ると認識させた。してくれた。だから問答が挟まる余地ができた。
「なら、それでいい。付き添い連中までどうこうするつもりはない」
10人もいれば、1人か2人は合わないやつがいる。
それに利害が絡めば、すぐさま嫌いなやつにランクアップする。
巻角野郎を嫌いなやつが、残りの中で主導的な立場だったら芽はある。
「もう一度いう。ここらで止めにしないか?」
……まあ、ダメならダメで、暗闇かくれんぼの開始だ。
そこはもう開き直ろう。
こっちを脅威と認識した今なら、きっとやりようはある。
などと考えていると、不意に緑バリアの中から人影が出てきた。
一見すると、まだ少年の面影を残した童顔の男だが、なんか思いっきり眼が3つあった。両目の真ん中ちょっと上、額に第三の眼がある。
だが、なによりもおれの注意を惹いたのは、彼の所持していた武器だ。
ここでそれが出てくるとは思わなかったので、ついついその腰元をガン見してしまった。
そう。
邪眼君(仮)の腰には大小二本が差されていた。
見間違いかと思い慌てて二度見したが、それは間違いなく日本刀だった。
……こんな人外魔境にポン刀とか、めっちゃ浮いてね?
「ИΠΛΣΔÅ」
不意に3つ眼男が何かをいったが、聞き取れない。いや、わからない。
最初、邪眼君(仮)は違う言語圏出身なのかとも思ったが、おれと巻角野郎は会話ができていた。筋肉ケンタウロスの最後のつぶやきもちゃんと拾えた。同グループ内の見た目がまったく違う2人が同じ言語を使っていたのだ。きっとあれが共通言語だろう。
「язиёй」
ならこれは違う。
これは、おれの言葉に対する返答ではない。
普通に考えるならこれは。
「――ΣΠ」
魔法といえば当然のようについてくるあれ。
呪文の詠唱。
つまりは、攻撃の予備動作。
そう思い至った時にはもう、変化の真っ最中だった。
薄闇広がる地下空間。
それがぽろぽろと剥がれ落ちていく。
徐々にではなく全箇所同時進行で、一息に剥がれ落ちていく。
落ちた裏から出てきたそれが、新たな表面と成り代わる。
上は青空に。下は土に。横は広大な屋敷の縁側に。
地下空間のすべてが、まったく別のものへと成り代わる。
そうして瞬きを終える頃には。
薄暗かった地下空間は、晴れた昼下がりの庭先になっていた。
風が頬を撫で、鳥の囀りが耳朶をくすぐる。
日差しが目を焼き、かすかな木の香りが鼻をつく。
わけがわからず辺りを見渡す。
そこにあるのは青い空。四方から押し寄せるようなただただ広大な快晴の蒼。
そして眼下には瓦葺きの屋根が、それぞれちぐはぐな高さで交わりながら延々と広がっている。
……どう見ても、思いっきり日本家屋だ。
それも普通の民家ではなく、どこか時代掛かった武家屋敷だ。
……うん、いつか京都で見たのとだいたい一致するな。つうかおれ、結構観光地とか行ってたのね。
いや違う。そうじゃない。
なぜおれがそれを見下ろしているかというと。
辺りの景色は一変したが、ピラミッドだけはそのままなのだ。
だから今、最上段付近で伏せているおれからは、周りの景色がよく見えるのだ。
逆にいえば、それしか見えない。
これまでのように、闇に反射した先が見えるなどという、ワケのわからん超視界がすべてなくなっていた。
理由は考えるまでもない。
こんな澄み渡る青空の下、いったい何処に闇があるというのか。
ないものはない。どうしようもない。
あ、これ、ダメなやつだ。
血の気が引き、頭が冷え、どうしようもない理解が霜と降りる。
バトル物と呼ばれるマンガ、アニメ、小説、ゲーム等々のフィクション作品において、おおよそ最終奥義的な位置づけにあるやつ。
固○結界、ブリアー、領域○開。
呼び方は色々あるけれど、そのどれもが、自分にとって有利なように世界を塗りつぶしたり造り替えたりといったトンデモ系最終奥義だ。
……たぶんこれって、それ系のやつだよなあ。
魔法が実在する世界において、それをとことん煮詰めていったならば。
やっぱりそういう方向に行きつくんだなと、妙に感心してしまった。
元いた日本で、創作者たちがどうすれば強いか凄いかを考え抜いた結果生き残ったアイデアは、実際にそれをやる連中からしても、同じく正解として採用されるに至ったというわけだ。
いや、想像力って、まじで凄いな。
などとどうしてか嬉しい気持ちになっていると不意に、かつ、かつと足音が響いた。
視界はなくても、へばりついているピラミッドに伝わる振動でわかる。
これをやった邪眼君(仮)が
まずい。と思うと同時にようやく気付く。
そんなことすら気付けないほどに動転していたのだと、遅まきながらに気付く。
憎らしいほどに明るい空とは対照的に、唯一にして最大の違和感たるピラミッドは墨汁をぶちまけたように真っ黒だった。
まるでこれこそが闇の根源だといわんばかりに、遠目では段差がよくわからないレベルで真黒だった。
出来る出来ないを考えるより先に動く。
この真っ黒なピラミッドからなら、あの杭を出、
「――下ァにィィィ!!」
三目男が馬鹿でかい声で叫んだ。
瞬間、伏せていた姿勢から、頭だけが吸い込まれるように地に落ちた。
足元の真っ黒いピラミッド石に頭突きをするが如くの勢いで、がんと落ちた。
意味がわからず慌てて顔をあげようとするが、まるで溶接されたかのように動かない。
咄嗟に踏ん張った両手も、まるで掌がくっついたようにびくともしない。
折り曲げた膝を伸ばそうにも、伸ばし方がわからない。
こんなことしてる場合じゃないと思うのだが、思うだけで何もできない。
つまり、土下座の姿勢から、一切の身動きがとれないのだ。
させられる。
したくもない理解をさせられる。
自分にとって有利なように世界を塗りつぶしたり造り替えたりするトンデモ系最終奥義。
そんなもの、された時点でもう終わりなのだと。
「平伏せぬか」
どうやら、玉座の子機はあぐらをかいたままらしい。
……実はばっちり土下ってるんだけど、わざわざ教えてやるもんかよ。
「ふむ。成程」
しゃらん、と甲高く金属のこすれる音がする。
三目男が抜刀したのだろう。
「しかし動けぬか」
時間がない。
だから今度は意図的にやった。
クッソどうでもいい記憶をほじくり返して、とりあえずちょっと笑って肩の力を抜いた。
1秒でも時間を稼ぐため、子機の口元と連動させ、笑みを見せ付けておく。
そうして、無駄にじたばた足掻くというボツ案を破棄し、プラン自体を一新。
とはいえ、おれにできることはそうない。
ミニマム系土下座オブジェと化している今のおれにできることなど、もうホント悲しいぐらいに何もない。だから、最高に情けないとか最悪に格好悪いなどといった『ガワ』は完全に無視する。それどころじゃない。こっちは必死なんだ。ぎりぎりの瀬戸際なんだ。おれは何処かの誰かの失笑よりも自分の命を取る。言葉にすると当然のことのように思えるから不思議だ。
ならよしいくぞ。できる限り強くでかい気持ちで。せーの、
助けて、ピラミッド!
……別に気が狂ったわけではない。
だって
こんな風に辺り一面青空になっても、
しかもついさっき、おれ好みの透き通っていて、けれども確かな芯の強さがそこはかとなく感じられ、しかしある意味浮世離れした透明感ゆえに童謡や民謡を歌えばなぜか怖くなってしまうような澄んだ声で、製本魔法(物理)を授けてくれたりもした。
あの時は本当にピラミッドが喋ったのか半信半疑だったが、こうなった今なら確信がある。
このピラ――いや、彼女は、おれを助けてくれたのだと。
だからすまん、もう一度助けて下さい。
自分ひとりじゃ、本当に、どうしようもないんだ。
なので助けて下さい。お願いします。
そうして、とことん本気に心底から祈るように念じ続けると、
三目男の足音が停まった。止める理由はない。だから停まった。
わずかに吹いていた風も止んだ。
どうにか視線だけで辺りを窺うと、景色は変わらず同じまま、色だけが全て黒一色に塗りつぶされていた。
塗り固められ、停止していた。
そして、
――対価を頂くことになります。
相変わらず透き通っていて、けれども確かな芯の強さがそこはかとなく感じられ、しかしある意味浮世離れした透明感ゆえに童謡や民謡を歌えばなぜか怖くなってしまうような澄んだ声で、返事がきた。
――それでも求めますか?
驚きはない。期待通りなのだから当然だ。
だが。
……この状況で対価ときたか。絶体絶命のやつに、まずは有無を言わさず要求を呑ませる。冷静になる前に致命的な一撃をかまし趨勢を決める。
たぶんこいつ、おれと同程度には邪悪だな。しかも厄介なことに、ちゃんと機微ってやつを読んでやがる。
とはいえ、こちらは請う立場。嘘偽りはなしで答える。
「先に対価の内容を提示して下さい。出来ないことは、出来ません」
――あなたなら、きっと出来ます。
……あちゃー。聞きたくなかったなこれ。
自分のことをちっとも覚えてないおれが、何ができて何ができないかを把握しているとか。
しかもこんな、世界改変系奥義をものともしない超存在とか。
もうこれ、ほぼ自白じゃねーか。
あーくそ、畜生。
「……そっか。おれを日本から拉致ってきたのは、貴女なんだな」
主犯だと思っていた巻角野郎は、こいつがおれに教えた魔法で本になって消えた。
どちらが上位かなど、考えるまでもない。
つまり、唯一の味方かと思いきや、犯行グループの幹部だったと。
……うわあ。ちっとも笑えない。
が、今はそんな感情を表に出す余裕はない。今必要なのはそれじゃない。
はったりとやせ我慢を総動員して、走り抜ける。
「拉致って、わざわざエグい魔法まで教えて手下潰させて。そんな面倒なことをするんだ。何か目的があるんだろ。それって、今ここでおれが殺されるよう仕向けることだったのか?」
――いいえ。違います。どうやら誤解があるようです。
そこで不意に、真っ黒い景色に青が混ざり始める。どうやら、そう長くはもたないらしい。
「なら誤解を解く時間を捻出しよう。このままじゃ後3秒ぐらいでおれは死ぬ」
もしかすると、子機が斬られても死なないかもしれない。が、そこから先がない。晴天の空の下、隠れる場所も逃げ道もない。
――しかし過度な干渉は、
「ここまでの貴女の仕事がすべて無駄になる」
一瞬の沈黙。もはや黒はほぼ青と化している。
悲しいことに『貴女の仕事』に関しての否定はなかった。
どうしてか、嫌な予測だけはよく当たる。
……ポジティブに考えよう。
おかげで、方向性としては間違っていなかったと安堵することができた。
拉致ってきた張本人(人じゃないけど)に『元の日本へ戻せ』などといっても無駄だろう。
ならばこれしかない。向こうの目的を人質に、とにかくここを生き延びる。
赤点だが零点ではない。そんな底値で満足することしか、今のおれには出来ないのだ。
……なんというか。やっぱりしょぼいなあ、おれは。
などと密かに落ち込んでいると、
――やむを得ません。では二葉目の宵の葉を。界を崩す、力ある言の葉を。
その声が途切れた瞬間、景色は一面の青空へと戻った。
停まっていたものが動き出す。
疑問や不平を並べる時間はない。抜刀した三目男が斬りかかるまで、はたしてあと何秒の猶予が残されているのか。
だからやる。さっさとやれ。
やつはいった。界を崩す、力ある言の葉を、と。
界、世界。世界を崩す。壊す、壊された。どかんと、ぐるりと、ひっくり返す、映画。
2度目だったので最初の方法を踏襲した。
――『宵の双葉』承認。泣き疲れた嬰児が、泥のように眠れますよう。
きっとこれは全世界全時代を合計すれば、1億人以上の世界を崩したはずだ。各種メディアや配信の普及により、その人数は今もなお増え続けていることだろう。
ラストまでの90分に積み上げてきたそれまでの世界を、そのあまりに有名なオチで完膚なきまでに崩しまくったその作品は、タイトルよりも、主演俳優によるその前説の方が有名かもしれない。
億を超える世界を崩し壊した映画。その最も印象的な台詞。
それは間違いなく、疑いようもない、力ある言の葉だ。
そこにほんの少し乱暴な思いを込め、確実に砕け散るよう切に願う。
こんなされたらもうお終いなどという、やられる側からしたらクソ以下の所業に。
矛盾しないようそっと重ねて、歪ながらもどうにか形になったそれを。
叩っ斬られる前に、叩きつける。
――
ぼたり。
一滴だけ落ちる。
粘度の高い、大きく黒い雫が落ちる。
最初の1が通ってしまえば、後はもう一瞬だ。
青空が割れて濁り染まり滴り塗り替えられる。
瓦は崩れ屋根が剥がれ柱がへし折れ腐り泥に沈む。
濁流と化した泥が庭園を埋め尽くしそして。
いつかのどこかの貴き箱庭は、薄暗い地下空間へと回帰した。
そうして、吐き気を催すほどに濃密な闇が戻ってくる。
ここだ。
ここしかない。
三目男が状況を正確に把握する前に。
とにかくぶった斬るのが大正解だと気付くより早く。
自分ごと巻き込むつもりで、出来得る限界を絞りつくし、全力全開のさらに無理筋を抉じ開け、ここで死んでたまるかと文字通り死力を尽くして、ありったけの黒い杭を撃ち下ろした。
黒い帳が降りてくる刹那、復活した超視界で他の連中を探ると……驚いたことに、全員が土下座の真っ最中だった。
どうやらさっきの『あれ』は、敵味方の区別なく無差別に襲い掛かる類のものだったらしい。
もはやエンジニアがどうこうなどというつもりはなかった。
こうやって黒い杭を撃ち出すことしかできない初心者のおれとは違い、連中はこの魔法世界で今日まで生きてきた先達だ。そのヤバさの一端は、つい先ほど味わったばかりだ。
そんなやつらに交渉をもちかけ、返ってきたのは必殺の世界改変系最終奥義。つまり『黙れ死ね』が向こうの返答。
甘かった。
平和ぼけと揶揄される日本人の悪いところがもろに出た。
すでに行動に出た犯罪者に対し交渉が通用するのは、絶対に勝ち目のない超暴力を誇示してからだ。
立て篭もり犯と交渉する際は必ず、完全武装の機動隊が包囲していたというのに。
銃を持った犯人と銃を向け合い1対1で対峙した時、向こうが考えるのは『どうやって交渉しよう』ではなく『どうやってこの邪魔者を撃ち殺そう』だという当然のことを、完全に失念していた。
命があったのは、単に運が良かっただけ。
もうピラミッドに足向けて寝れねーわ。そこだけはまじでありがとう。
黒い杭の集合体が視界を埋め尽くす。
子機も親機も等しく黒い雨に打たれるが、予想通り痛みも何もなかった。
よかった。自滅などという笑えないオチだけは回避できた。
と安堵すると同時に、尋常じゃない目眩と脱力感に襲われ意識が飛びそうになる。
さすがに頑張り過ぎたらしく、吐き気を伴う悪寒が全身を駆け巡り、しばし呼吸もままならない状況が続くなか、不意にそれはあらわれた。
数は2つ。
ひとつは視界の端に小さくぽつりと開いた穴のような何か。
慌てて視界の照準を合わせる。
するとちょうど、最初に黒い杭の撃ち方を見せてくれた顔色の悪い姉さんが、ひらりとその中に飛び込むところだった。
瞬時に理解する。これ、出口だ。
もうひとつは子機の目の前に。
黒い杭があちこちに刺さった、全身血塗れの腕が4本もある筋肉達磨が。
3本の腕に握った剣で致命的な杭だけを弾きつつ、残り1本の腕で剣を振りかぶり。
瞬時に理解する。これ、避けられない。
子機の首が飛んだ。
返す一閃で胴が分かれ、さらにもう一閃で欠片にされる。
解体が行われている頂点玉座の背後、這いつくばっていたおれはそのままピラミッドから滑り落ちた。
痛い、なんてもんじゃない。
まさかのフィードバック率100パーセント。
激痛で意識を失い、落ちた段差に頭をぶつけ覚醒し、また次の瞬間に激痛で落ちる。そうして一度ついた勢いは止まることなく、上から下へ当然のように落ちていく。
途切れ途切れの意識のなか、4回までは数えていたが、そこから先はもうカウントすらできなくなった。
気がつけばピラミッドすぐ脇の地べたに転がっていて、五体満足のままバラバラにされるという意味不明な激痛にのたうつことしかできなくなっていた。
だが。
だがそれでも。
まだ死んではいない。
まだ生きている。
なら、めそめそ泣きながら蹲っているわけにはいかない。
どうにかして行かなければ。
歯を食いしばり顔を上げる。
意思はある。
だがそれだけ。
本気の痛みは動きを止める。痛い痛い痛い。それ以外に何もできなくなる。
立ち上がれず、歩くことはおろか、走るなど夢のまた夢だ。
だから歩かず走らず出口に飛び込む必要がある。
できるか。方法はあるか。おれの手持ちは、本、杭、手。……ある。
ちゃんと考える理性も余裕も残ってはいない。
だからすぐ実行する。
良しも悪しも判断することなく、ノリとフィーリングで即実行してしまう。
だがそれでいいと囁く。
野蛮な根っこが、蹲る以外なら何でもいいと、とにかく動けとGOサインを出しやがる。
よし。やろう。
おれの身体は小さくて軽い。
本当はもっと違った気もするが、もうこの際どうでもいい。
いま重要なのは小さくて軽いというその一点のみ。
こうも小さくて軽いなら。
出口までぶん投げることができるはずだ。いいや、やる。
落下の際、少しでも出口のそばにと足掻いたおかげか、出口らしき穴とは直線で10メートルほどの距離だ。
こうしている間にも徐々に出口は小さく縮小し塞がり続けている。
時間がない。まずは黒い手だ。でかいやつを。なるべく大きいやつを。
ぐらぐら回る視界と激痛のなか、どうにか黒い大きな手モドキを造り、感覚だけで転がるおれ自身を掴む。
集中力も何もあったもんじゃないので、掴むというより、吸盤のない無数のタコ足で巻き取るといった方が正解か。
そうして大きく前後に2、3回振り、遠心力ともいえないような、これぐらいでいけるだろうという超絶適当なやけっぱちにも似た勢いをつけて。
出口に向けて放り投げた。
回る視界に流れる景色が合わさり、今自分がどこに居るかもわからない。
当然、こんな状態で都合よく出口にすっぽり入れるとは思っていない。
まあ普通に考えて外れるだろう。
それどころか、ワリと洒落にならない勢いで地べたに叩きつけられることになるだろう。
考えたくもないが、その勢いでこの細っそい首がへし折れてそのまま終わる可能性もある。
だがそれでも、何もしないよりはマシなのだ。
数瞬前の子機の最後を思い出す。
肉薄されると、もう本当にどうしようもなかった。
次はない。だからやるしかない。
きっと必要なのは、運と覚悟と頑丈さ。
このちっこい身体に頑丈さなど期待できない。
運はどうなるかわからない。
だったらせめて、最後のひとつぐらいはがっちがちに固める。
絶対に意識は飛ばさない。おれは死なない。絶対に。
このまま地面に激突し、10メートルを飛んできた衝撃を受けても尚まだおれが意識を保てていたならば、生きていたならば。
次こそはきっといける。
ゴルフでいうところのあれだ、パターでちょんと突くだけのやつだ。ミスりようがない。
だから必要なのは――地面と激突しても意識を失うことがないよう、ただ腹を決めて我慢するだけなのだ。
ふと思う。
なんでおれは魔法世界で根性勝負をしているんだろう。
しかも自分相手に。
……まあいいや。歯でも食いしばっとくか。
……。
……ん?
……んん?
さあ来いと空元気全開で待ち構えていたが、なぜか衝撃がこない。
定まらない視界を強引に固定すると、なんか空中で止まっていた。
地面にぶつかる寸前で、逆さ向きのままぴたりと固まるように停止していた。
……つうかこれ、顔面から直撃コースじゃないの。
どう考えても、勢いと自重で首ぼきり即死コースじゃん。
だがそうはならず、空中で固定されたまま、すすすと横にスライド移動して、そのまま出口の穴にぽいっと放り込まれる。
ご丁寧にも半回転のおまけ付きだったので、綺麗な受け身で背中から着地できた。
……なんつーか、嫌々やってた受身練習が魔法と並ぶくらいに役立ってるなおい。
大の字に寝転がりどうにか一息つくと、
――まだ痛みはありますか?
その声に驚きはなかった。
今の状況であんなことができる存在は他になかったので、疑問に思う余地がなかったというべきか。
――もう動ける筈です。対の窓が閉まる前に、はやくお行きなさい。
さすがに無視を続けるわけにもいかない。
要点だけ聞く。
「……おれに何をさせたいんだ?」
頭上の穴に向かって声をかける。
たぶんあいつは、あそこから動けない。
一息、間があってから。
――強制はしません。あなたが何もしなくとも、わたしが干渉することは一切ありません。
だんだん穴が小さくなっていく。聞こえる声も掠れていく。
――だからこれはお願いです。
……やっぱりこいつ、やりやがる。
あからさまに命を助けた後の『お願い』とか、普通に考えてまず無視できない。
本気で無理なものは論外だが、それ以外は前向きに検討させる強制力を帯びる。
――わたしの願いは唯ひとつ。
いっそ論外の邪悪なやつでもこないかなと期待していると。
――できることなら、助けてあげてください。
なんか綺麗なのがきた。
「助けるって、誰を?」
――あなたが、
そこでしゅぽんと穴が塞がった。あとは真っ黒な天井がただただそこにあるのみ。
「……」
……え? 前フリが長すぎて本題いえなかったの?
もしかしてあいつって、おれが思うほど超存在じゃないっぽい?
――あなたが助けたいと思う、誰にも手を差し伸べられない彼や彼女に、
せめてあなただけは、寄り添ってあげてください――
いや、穴塞がっても声聞こえるんかい!
などと冗談めかして思ってはみたものの、正直なんともいえない内容だった。
もしや続きがあるのかなと10秒ほど待機してみたが何もなし。どうやらもう本当に『向こう側』とは途切れたらしい。
真っ黒な沈黙のなか、意味不明な『お願い』の内容を繰り返してみる。
おれが助けたいと思う、誰にも手を差し伸べられない彼や彼女を助けろ。
具体性が何ひとつない、あやふやな物言いだ。
だが妄言と斬って捨てるわけにはいかない。
彼女には確かな知性があった。こちらが断りにくい状況を構築できる、極めて高い知性だ。
なので頭がお花畑なやつのハッピーポエムだと決め付けるのではなく、なにか自分が知らない要素があると考えるべきだろう。
……うーん、何つうか、気持ち悪いな。
相手の利益が見えない要求は気味が悪い。
自己犠牲の殉教者でもない限り、絶対に存在するはずのそれを悟らせない相手の上手さがおっかない。
そう。
正直、不快感にも似た怖さがある。
おれを拉致っておいて、急に聖者みたいなことをいいだす。
拉致という犯罪行為で強制的に連行してきたやつに、まだ見ぬ誰かを助けろとご高説をたれる。
そしてそれがまかり通ると、一定の説得力をもっておれに受け入れられると、ワリと心の底から信じているっぽいのが最高に薄気味悪い。
……いや、ふざけんなって。誰が拉致犯のいうことなんか聞くかよ。
そんな当然を押し潰す脅しや暴力を、あいつは使わなかった。
恩は売られたが、あくまでお願いという形を崩さなかった。
どうにもちぐはぐだ。させたいのか、どうでもいいのか。
あー、うん、わからん。
まあ、喋るピラミッドの考えなんてわからんのが当然か。
とりあえず立ち上がる。
全身くまなく無茶苦茶痛いが、どうにか歩くぐらいは出来そうだ。
たしか『対の窓が閉まる前に』とか何か不吉なことをいっていた。
あまりゆっくりしている暇はなさそうだ。
冗談みたいにガクガク笑う膝を笑い飛ばしながら歩を進める。
つられて、止めたはずの考えも歩を進める。
もし。
もしあいつが極めて客観的な視点を持つ真っ当なやつだったとしたら。
さっきの『お願い』は、そういったおれの当然の心情など、いくらでもどうにでもできるという自信の表れに他ならない。
お前がどう思おうが絶対にそうさせてやるという告知に、おれの意思など関係ない。
……止めよう。
推測に推測を重ねてもしょうがない。
そう愚にもつかない空想を振り切ったものの、粘つく泥のような不快感が消えることはなかった。
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