第19話

 朧は玲の姿を確認すると、勢いよく飛び掛かってきた。

「随分な挨拶じゃねぇか、兄貴。お前ら今のうちに飛び降りろ! どこかに隠れとけ!」

 椿と黄金は言う通りに飛び降りて、祠の中に隠れた。


「棕梠さん、大丈夫ですか!?」

 祠の中では棕梠が倒れていた。必死に声を掛けるが反応がない。棕梠の口許に耳を近付けると、静かな息遣いが聞こえた。どうやら意識を失っているらしい。

 椿は棕梠を引きずって祠の奥に寝かせた。


 外では玲と朧が激しい戦いを繰り広げている。

 体格も力も朧の方が勝っているのが分かった。

 無事で居て欲しい。椿の胸は今にも裂かれそうなほどだった。


 朧の尾は、それぞれ生きているかのように自在に動く。不規則な攻撃を9本の尾で繰り出す朧に、玲は戸惑っているのか防戦一方だった。

 避け続ける玲に攻撃の手を緩めない朧。本気で玲を殺そうとしているのが、椿にも分かった。朧の殺気が辺りに伝わる。


「きゅい!」

 黄金が何かに気付いて声をあげる。朧と玲の間に黒い玉が転がっていた。おそらく、朧の本体だろう。黄金は一目散に黒い玉へと走り出す。

「駄目、黄金――!」

 椿は慌てて黄金を連れ戻そうとするが、黄金は素早く動くと椿を避ける。


 そうして黄金は黒い玉がある場所まで辿り着く。玩具を見つけたかのように前肢で掴んだ。

「おい! 黄金、下がってろ!」

 玲は怒鳴る。朧は黄金に気付く。

 黄金が危ない、と思ったときには椿の足が勝手に動いた。


 朧と玲の前に躍り出るように椿は走る。人間である椿を見た朧は、補食しようと口を開けた。

「椿――っ!」

 玲の叫び声が聞こえた気がする。初めて玲が名を呼んでくれた。

 朧の大きな口が椿を包み込もうとする。咄嗟に黒い玉に手を翳すと、中に吸い込まれていく感覚があった。全てがゆっくりに見えて、椿だけに流れる時間が違っているように思える。


 玉へと吸い込まれていくうちに、椿は意識を手放した。


 目を覚ますと、夢で見た景色が広がっていた。何もない真っ白な空間。右も左も、上も下も分からない。夢と違うのは、足元に黄金がいることだ。

「黄金、心配したんだから」

 ここは天国なのだろうか。椿と黄金は朧に食べられてしまったのか。


 不思議に思いながら、とりあえず歩いてみようと足を進めると、ぽつりと1人の青年が立っていた。

 輝くような金の長い髪。優しげに椿達を見つめる金の瞳。背後には9本の尻尾があった。

「朧さん、ですね?」

 椿が微笑みかけると、朧は頷いた。


「夢で助けを求めていたのは、貴方だったんですね」

「あぁ、そうだよ。ここまで来てくれた事に感謝します、椿殿」

 朧は優雅な動きで一礼する。

「朧さんに起きた出来事を千里鏡で見せてもらいました」

「そうだったね。僕は精神的にとても弱かったんだ。そのせいで、昔も今も皆に迷惑を掛けてしまっている」


 悲しげに目を伏せる朧。

「玲はきっと僕を殺さない。僕を殺さなければ、玲はいつまでも悩んでしまうだろう。だから、僕は君に殺されたい」

 朧は真剣な眼差しを椿に向ける。一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「殺すなんて事、出来ません。やり直す権利はあると思うんです。朧さんは家族が欲しかったんですよね。やったことは良くない事だけど、家族を持ちたいという夢は見ても良い夢です。叶えるために頑張っても良いじゃないですか」

 椿の言葉を微笑みを浮かべながら黙って朧は聞いていた。黄金はそんな彼を見上げていた。


「私と玲さんと文福さん、黄金と朧さん。皆で家族みたいに暮らせたらとても楽しいと思うんです。罪を償いながら私達と一緒に生きませんか?」

 朧に向かって手を差し伸べる。朧がしてしまった過ちは決して許されるものではない。だが、やり直す事は許されて欲しいと椿は願った。

 朧は家族が欲しかっただけなのだから。


「実はもう皆と過ごす夢は叶えさせてもらったんだ」

 朧は黄金を呼ぶ。黄金が朧の髪とよく似た毛色をしている事に気付く。

「椿殿が黄金と呼んで大事にしてくれたこいつはね、僕の心が妖へと産み落とされたものなんだ。黄金は僕の心が具現化したものと言って良い」

「黄金が朧さんだったんだ……」

 朧は微笑んだ。


「君達と過ごした日々は黄金を通じて僕も一緒に過ごせた。本当にありがとう、椿殿」

 朧は差し伸べた椿の手を握り返した。

「最期に僕の欲しかった言葉をくれて礼を言うよ。君が弟の花嫁で本当に良かった。素直じゃないけど、玲をよろしくね」

「はい、朧さん」

 朧の体が光の粒になって消えていく。だんだんと薄くなる朧の体。朧の心である黄金も一緒に消えていく。


「僕は妖狐としての生を終える。その手伝いを椿殿にお願いしたい」

 朧だった光の粒は、蛍のように飛び去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る