第17話
次に千里鏡が見せたのは、花嫁送りが行われようとしている最中だった。
美しく着飾られた白無垢姿の初々しい少女。陶器のような白い肌に、紅の唇が映える。
少女は湖の畔に立って、花嫁送りが行われるのを待っていた。
彼女の近くにいた大人達は訝しんでいる。顔を突き合わせ小声で話し合う。
「みつが送られてからそんなに経っていないぞ」
「それなのにまだ花嫁送りが必要なのか? 長が変わったか?」
「もしかして、みつには縁が無かったんじゃないのか」
1人の男の言葉にみなが賛同する。
「きっとそうに違いねえ。宗方の旦那は、みつより姉の方が可愛かったからな。話によれば姉はいつも瑞鶴湖に行きたがっていたとか」
「それは縁のある花嫁の証拠だ。縁がある者はみな向こうに行きたがるか、向こうを怖がらないものなんだ」
「じゃあ、やっぱりみつには縁が無かったんだ」
大人達の会話が聞こえていたのか、少女は不安げな表情を浮かべた。
そんな少女に何処からともなく声が掛けられる。
「怖がってるんだね」
少女は辺りを見渡すが、誰もいない。近くにいる大人達はみつの父親の悪口で盛り上がっている。
「誰?」
「あたしは、あんたより前に向こうへ送られた花嫁」
姿なき声は笑った。少女は寒気がするのを感じる。目には見えないが、確かにそこにいるのだ。
「花嫁送りは生贄の儀式だ。あんたも喰われる前に早く逃げた方が良い。あたしは、父に厄介払いついでに送られて、狐に喰われたんだ」
少女は頷く。怖くなって瑞鶴湖から離れようと、歩きにくい白無垢で必死に走る。
そんな彼女を、鬼の形相で父が止めた。
「何処に行こうとするんだ、華!」
「わたし、花嫁送りにされたくない……」
父は信じられないと言うように、首を振る。
「花嫁送りは名誉な事なんだ」
「でも、生贄だって声がしたの。前の花嫁が送られてから少ししか経っていないのに、今度はわたしが送られるのよ。きっと妖怪が花嫁を喰らっているんだわ」
少女は涙を浮かべてちらりと視界の端を見る。少年が複雑な顔でこちらを見守っていた。幼馴染みである彼の事が好きだった。まだ想いも伝えていないというのに。
「花嫁送りをしないと泡沫は豊かにならない。妖は人間の花嫁を求める代わりに、泡沫に蔓延る邪気を祓ってくれているんだ。お前の存在がこの街を救うんだぞ」
父はそう言い聞かせ、少女を無理矢理小舟に乗せた。風を受けて湖を進む小舟から、少女は少年の名を叫んだ。
泣き叫ぶ花嫁の声が霧の中から響いていた。
「酷い……何でこんな……」
霧の中で小舟に乗せられた少女は涙を流す。綺麗に施された化粧は濡れて落ちている。
彼女は気が付かない。背後にいる金の狐に。
*
玲は文福と共に朧の霊力を辿って鳳仙へ登っていた。
「霊力が強くなってきたぞ、気を付けろ」
仙狐を祀る祠の近くから朧の霊力を感じる。後ろを歩く文福を制止させ、玲は近くを警戒していた。
文福は険しい山登りに疲れたのか、息を切らしている。大きな石に腰をおろし、深呼吸をした。山はとても静かだった。
「山登りは老体に堪えますな……」
荒い息遣いが聞こえる。鳥の鳴き声もぴたりと止んでいる。
「文福、後ろだ!」
玲に言われ文福は後ろを振り返る。そこには、牙を覗かせ今にも文福を喰らおうとする朧がいた。腰を抜かした文福を掴んで、遠くへ放り投げると玲は朧と対峙する。
「尻尾が8本に増えてるじゃねえか。やっぱりあの花嫁を喰ったな」
朧は低く唸る。びりびりと空気が揺れたような気がした。玲は意識を集中させると、変化する。
銀色の髪は美しい毛並みに、細い四肢は逞しい4本足に。6本の尻尾が揺れている。朧と同じように額から青色の紋様が刻まれていた。
2匹の巨大な狐は、術を使う事なく揉み合っていた。まるで、獣の争いのように。
朧の尾が玲の体に突き刺さる。玲も同じように朧を尾で拘束した。そして、朧の一瞬の隙をついて呪を唱える。
「すまねぇ、兄貴……俺じゃ元に戻すことが出来ない。だから封印させてくれ」
玲の青みがかった灰色の瞳から真珠のような涙が零れた。
朧はぴたりと動きを止める。封印を唱える呪も読み終えようとした時。朧が動いた。
強靭な顎は玲の喉笛を狙って噛みつく。玲は体を反らして避けた。体勢を整えようと玲に隙が出来る。
「ぐっ……!」
朧の牙が玲の左目を抉った。左目があった窪みから滝のように鮮血が溢れている。
玲の左目を喰らった朧の尾は9本まで増えていた。
玲は痛みに意識を失いそうになりながらも、最後まで呪を唱えた。
断末魔の叫びをあげて、朧の姿は黒い玉へと変わる。中に閉じ込められたのだ。封印は見事に成功した。
「玲様、大丈夫ですか!」
「どうってことねぇよ」
左目を手当てしてもらいながら、玲は転がった玉へと視線をやる。
「これで長降ろしは終わったな……兄貴、ごめん。元に戻せなくて」
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