第15話

 みつに化け物と呼ばれた朧は、目を見開き驚いていたが、悲しげに俯くとそのまま部屋を出ていく。

 扉の前には腕を組んで怒った顔を見せる玲がいた。みつと朧の会話を聞いていたのだろう。大股に歩いて朧との距離を詰めると言い寄った。


「あんな事を言われて、兄貴はむかつかないのか?」

 今にもみつに食って掛かりそうな玲に、朧は落ち着かせるように語りかける。

「きっと、気が動転してるんだ。いきなり妖の世界に放り込まれて適応しろと言う方が無理に決まってる。みつ殿が落ち着くまで、僕は出来ることをするつもりだよ」

「だけど、侮辱されてまで世話を焼こうとしなくても良いだろ? あいつを元の世界に帰して、次の花嫁を待てば良いじゃないか」

「みつ殿が僕の花嫁としてやって来たのには、何かしらの縁があると思ってる。すぐ次の花嫁を待つというのは、薄情なんじゃないか?」


 朧と玲の意見は対立し合う。どれだけ話し合っても、朧はみつを追い出さない。玲は大きくため息をつく。

「俺はあいつの事なんか嫌いだからな。もし、兄貴に何かしたらただじゃおかねえ。兄貴が止めようとしても無理だからな」

「僕の事を大切に思ってくれてありがとう」

 朧は微笑む。苛立ちながら尻尾を揺らして去っていく玲を見る目が、とても悲しげに見えた。


 それから千里鏡は、みつの世話を焼こうとして冷たく当たられる朧の姿を次々と映し出す。

 食事を持っていっても拒否され、挙げ句の果てには茶碗を引っくり返される。みつの癇癪に宥めるように寄り添う朧の表情が、徐々に生気を失っていくのが分かった。

 玲も文福も心配するが、当の朧は大丈夫と言い張り助けを求めない。その度に玲がみつを追い出そうとするが、朧がそれを止める。

 そんな状態が続いていたようだった。


 朧はいつものように、みつの部屋へ食事を持っていく。彼女の食事は朧が作っていた。全てはみつの心を開くため。みつと分かり合いたいという朧の願いだった。

「みつ殿、昼食を持ってきました」

 扉を開けると、寝台に寝そべり身動きしないみつの姿があった。やつれた顔をしていて、光のない瞳は虚空を眺めている。


「食事はいつもの場所に置いておきますね」

 朧は寝台近くの机に置く。みつは朧を見ようともせず、蚊の鳴くような声で答える。

「要らない」

「少しでも食べないと死んでしまいます」

 ここに来てからほとんど何も口にしていないじゃないですか、と朧は悲痛な声をあげる。

「死ねるならそれで良い」


 それほどまでみつは追い詰められていたのだろう。みつの言葉に朧は苦しげに問う。

「貴女はこの世界が嫌いなんですね」

「ええ、大嫌い」

「だから僕の事も嫌っている……」

 萎んだ声は静かな部屋に響く。外から聞こえてくる楽しげな声が、とても賑やかに感じた。


「あたしは姉の代わりにここへ送られた。父さんは姉さんの方が大事だから。妹のあたしなんてどうでも良かったんだ」

「帰りたければ貴女を元の世界に帰らせます。無理に引き留めて申し訳なかった」

 朧は頭を下げる。しかし、みつは謝罪を一蹴した。


「今さら帰ってどうしろって言うのよ。あたしが好きだった人は、もう誰かと婚約してるだろうし。花嫁送りにされたあたしが帰っても、家族が歓迎するわけない」

 みつが好いた人。彼女には向こうの世界で、心に決めた人が既にいた。朧がどれだけ寄り添おうとしても、みつの心は決して朧には向かない。きっと、自分と恋人の仲を裂いた原因として憎んでいるだろう。


「あんたみたいな化け物と誰が結婚するの。人じゃない存在のくせに、人の真似事をしているだけ。どれだけ近付こうとしても、所詮化け物は化け物なんだ」

 ようやくみつは朧へと振り返った。完全に狐の姿へと変化をした朧を見ても、彼女は何も反応しない。


 朧の美しい金の毛並みが波打つ。光の加減によって色味が変わる黄金の毛並み。6本の尾が揺らめいていた。太い四肢には鋭利な爪が。額から顔にかけて赤色の紋様が刻まれている。金色の瞳は真っ直ぐにみつを捕らえた。


「結局、人も妖怪も根本は獣なんだ」

 鋭い牙がぎらりと光る。みつは、すくむことなく朧を見やった。

「あんたは愛が欲しかったみたいだけど。あたしに求めても無駄だから。あたしは死んでもあんたを愛したりしない。化け物が家族を作ろうなんて無理に決まってるでしょ」

 みつは目を閉じた。


「最期まであんたの事、大嫌いだった」

 静かな部屋に響く不快な音。肉が裂かれ、骨が砕かれる。血が滴り、床に滲む。残ったのは血溜まりと数本の毛髪だった。

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