第12話

 痛む身体に鞭打って残雪は起き上がる。

 玲に投げ飛ばされ、家屋に叩きつけられたようだった。

「全く何してくれてんだい! 扉が破れちまったじゃないか!」

 弁償してくれるんだね、と残雪に怒鳴り散らす女の妖怪。家屋の持ち主なんだろう。

 残雪は面倒臭そうに自分が直すと言うと、彼女は鼻を鳴らして中へ入っていく。


「おいおい、長降ろし連敗の残雪だぜ」

 通りを歩く者達は好き勝手に残雪を罵倒していく。


 残雪は長になりたかった。何度も長降ろしに挑戦したが、いつも完敗だったのだ。長になる実力の持ち主と残雪の間には、越えられない大きな壁がある。自分には、長になれるほどの実力が無い事は分かっている。

 だが、自分なりに長降ろしをすれば良い。そう考えて残雪は、長降ろしを終えたばかりの若者に声を掛けた。

 きっと今頃、残雪の思い通りに彼は祠に行っているだろう。


「あとは宝玉を割って封印を解くだけ……。楽しみじゃのう」

 残雪は鳳仙の山を見た。胸がざわつくのをはっきりと感じていた。



 椿は台所の床下から味噌が入った壺を手に取ると、側に控えていた文福に手渡す。その様子を居間から見つめる玲と黄金。お腹が空いているのか、玲は早くしろと目で訴えていた。

「文福さん、今日の献立は何ですか?」

 夕餉の支度はいつも文福と椿で行っている。朝が弱い文福と行動する時間帯が一緒になるのは、大体夕方が多い。


「今日はなめこの赤だしと、文福手作りお寿司でございます」

「お寿司! 私とっても大好きなんです」

 文福は嬉しそうに笑うと、慣れた手つきで酢飯を作る。椿はなめこの赤だしを担当する。


 台所に立って、楽しそうに料理をする文福と椿を玲はじっと見ていた。とことこやって来た黄金が鳴いて玲を呼ぶ。

「きゅい」

「何だ?」

「きゅい、きゅい!」

 黄金はしきりに北東の方向に顔を向ける。何か伝えたいようだが、妖力がまだ充分でない黄金と意志疎通を完全に図るのは難しい。


「あっちに何かあるのか?」

 玲がそう聞くと、黄金はぶわっと尻尾を膨らまして反応する。どうやら警戒しているらしい。

「ちんちくりん達が危なかった時は、しっかりお前の意志が伝わってきたのになぁ。今は分からねぇ」

 黄金が一生懸命に何かを伝えようとしているのは分かる。しかし、意識を黄金に集中させても読み取ることは出来なかった。


「食事の準備が出来ましたよ」

 椿が居間の食卓に配膳していく。食欲をそそる香りが鼻孔とお腹の虫を刺激する。

「黄金、後でもう一回教えてくれ」

「きゅ~……」

 不服そうだが黄金も食欲には勝てない。とにかく今は腹を満たすことが優先だ。



 夕餉の後、椿は黄金を連れて風呂に入っていた。お湯は温かくて心地良い。だんだん瞼が重くなり、うつらうつらとしていると、勢いよく風呂場と脱衣所を繋ぐ扉が開く。

「…………っ!」

 そこに立っていたのは一糸纏わぬ玲の姿。椿と玲は驚きのあまりお互いを凝視していたが、先に反応したのは椿だった。


「玲さんの変態、犯罪者! 出て行ってください!」

「きゅい、きゅい! きゅぷぷ!」

「犯罪者は無いだろ! 俺だってお前が入ってるなんて知らなかったんだ! やめ、やめろ、物を投げるな、噛むな、痛いっ」

 手当たり次第に物を投げて攻撃する椿と、玲の足首を噛む黄金に負けじと玲は湯船に浸かる。


「何で出ていかないんですかっ!?」

「俺も風呂に入るからだ!」

 椿はそうじゃなくて、と前置きする。黄金もぷくりと頬を膨らませた。どうやら怒っているらしい。

「時間ずらせば良いじゃないですか」

「もう服を脱いだのに、もう1回着替えて、また脱いでというのを繰り返したくないからだ。お前が我慢しろ」

 玲の尾はお湯の中で毛先が揺らめいている。左目はいつものように覆われていた。湯浴みをする時も眼帯を付けているらしい。


「それに、もうお前はここの住人なんだし。風呂くらい一緒に入ってもどうってこたぁ無いだろ」

 思わず玲の顔を見た。湯加減が気持ち良いのか、目がとろんと蕩けている。

「私は気にします……裸を見られるのって恥ずかしいですし」

 湯に浸かっているからではない頬の赤み。

「ふぅん、人間はそうなのか。安心しろ、お前の裸を見ても俺は何とも思わねぇ」

「それはそれで腹が立ちますね……!」

 椿は掌を玲の方へ向けて、端正な顔に湯を掛ける。


 思いきり顔に掛かった湯を、頭を振り弾く。そして、椿と同じように湯を掛けてきた。

「ぶっ、鼻に入ったんですが!」

「先にやったのはお前だからな!」

「きゅい!」


 文福は玲と椿の部屋に布団を敷いて、自宅へ帰ろうと風呂場の前を通る。中からは、湯を掛け合う音と3人の楽しげな声が聞こえてきた。

「うんうん、仲がよろしくて何よりですなぁ。玲様に風呂場が空いてるか聞かれた時、空いてると答えたこの文福の気遣いでございますよ」

 その時には既に椿が入浴していたのだが。

 文福は聞こえてくる笑い声を背に、上機嫌で帰っていった。

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