第8話

 玲と棕梠は、試合開始の合図を受けても睨みあったままだった。

 先に動いたのは棕梠。両手を地面につけ、獰猛な獣の咆哮を轟かせると、人間の肉体が瞬く間に虎へと変化した。

 巨大な虎になった棕梠は、太い前肢を玲に叩きつける。玲は軽く避けると、6本の尾を棕梠へと伸ばす。


 玲の尻尾は固く刀のようになっていて、棕梠は次々に襲い掛かる尾を避けるが、体にはかすり傷が幾つも刻まれている。

「力は相当あるようだが……狙いを定めるのは苦手なようだな」

 余裕があるのか、玲は棕梠を見て微笑んだ。

 弱点を指摘された棕梠は、全身を使って玲を踏み潰しにかかる。

「狙いにくいとなると俺を捕らえるのは無理だぞ」

 棕梠は唸り声をあげた。


「これで仕舞いだ」

 棕梠の攻撃を体を捻ってかわし、尻尾を虎の体に突き立てる。頑丈な虎の毛皮に玲の尻尾が突き刺さった。

 玲が勝った、と思われたが。彼の体にも棕梠の尾が刺さっている。


 玲は棕梠から距離を置くと、腹部を押さえた。手から染み出ている鮮血を見て椿は不安になる。

「玲殿も変化へんげしなくて良いのですか?」

 挑発するような棕梠の言葉。虎に刻まれた傷はもう治りかけていた。

「ほう、治癒能力も高いのか」

 玲の口角が上がる。この試合を楽しんでいるようだった。


「別に変化しなくてもお前には勝てるさ」

 呪詛を唱えると、風が玲の周りに吹き荒れる。

 棕梠は再び尾で玲を刺そうとするが、吹き荒れる風に遮られてしまう。尾の先は削られ、皮膚が現れている。玲が纏うのは風の鎧のようだ。


 玲は一気に踏み込むと、棕梠の額を足場に跳躍する。彼の頭上に舞い踊ると、6本の尾を突き刺した。体に纏う風の鎧が、今度は棕梠の体を削る武器になる。

 棕梠は吼えると、その場に倒れた。


「そこまで!」

 文福の声が響く。勝者は玲だった。

「大丈夫か?」

 倒れる棕梠に玲は声を掛ける。虎は力なく頷くと、自嘲気味に笑う。

「拙者はまだまだです。うぅ、背中が痛いや……」

「2人とも大丈夫ですか!?」

 思わず椿は駆けつけてしまう。血を流しても平気で話せる2人を見ているだけで心配になる。

「玲殿、先程拙者の尾に触れていましたが、尾の先には毒がありますので……後で解毒しておいてください」

「毒!?」

 驚いたのは椿だった。何故そんな平気にしていられるのか、人間である椿には想像出来ない。


「だから熱っぽいんだなぁ……」

 玲はそう言い、その場に座り込む。心配そうにやって来た黄金を一瞥し目を閉じる。

「玲さん、手当てさせてください」

 棕梠の手当てを文福に任せ、椿は玲に駆け寄る。

「要らねぇよ。唾つけときゃ治る」

「妖怪の治癒力がどれほどなのか分かりませんけど、明らかに熱出てるじゃないですか」

 玲の額に手をやると、燃えるように熱かった。椿の手が冷たくて気持ちが良いのか、玲は目を閉じた。


 傷付いている玲を見ていると、何故か涙が出てくる。緊張の糸が切れたからなのか、玲が怪我をしているからなのか分からないが、椿は頬を濡らしながら玲の腹部に包帯を巻く。

 椿の様子を不思議そうに見ていた玲は、大人しく手当てを受けていた。


「棕梠殿は回復力が高いみたいですので、消毒さえしておけば後は大丈夫でしょう。問題は玲様ですな」

 毒が回っているらしく、しばらく安静にしないといけないそうだ。

「毒の耐性付けときゃ良かったな。体が重いぜ」

「玲様の数少ない弱点が毒なのですから、克服は難しいでしょう」

 文福はその体に似合わず、玲を軽々持ち上げる。ぽてぽてと玲の部屋へと運んでいった。

 一方の棕梠は人型に戻っていて、怪我も大丈夫そうだった。


「拙者はこれにて失礼させていただきます」

「もう大丈夫ですか?」

「はい! 拙者の取り柄は頑丈さですから。玲殿にもお礼を言いたかったんですが、拙者のせいですが、今日は話せそうにないので申し訳ないが、奥方からお礼を伝えて頂いてもよろしいでしょうか」

 奥方と呼ばれる事に少しくすぐったい。と言っても、玲と椿は夫婦ではないのだが。


 椿は分かったと答えると、棕梠は敬礼をして帰っていった。

 棕梠を見送った後、部屋に運ばれて行った玲を心配して部屋の前まで行くと文福がちょうど出てきた。

「玲様は眠っておられます。解毒剤も飲まれましたし、あとは体力の回復を待つだけですね」

「そうですか……。長降ろしって危険なんですね」

「怪我はしますがね、死にはしません」

 妖怪は頑丈なのだそうだ。腕や足、体の一部がちぎれても少し経てば蜥蜴のようにまた生えてくるらしい。


「玲さん、大丈夫かなぁ……」

 妖怪は怪我に強いと分かっても、椿は心配せずにはいられなかった。

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