セダム

 総合病院の一室で、一人の少女が物憂げに外の景色を眺めている。

 中庭の桜は葉も花も付けていない裸状態で、木枯らしが吹けば悲しく枝先が揺れるだけだ。

 そんな哀愁漂う病室内に無機質なノックが鳴り響く。それに入室の許可を出した少女は、現れたフロースに冷たく聞いた。

「あんたがうちの願いを叶えてくれんの?」

「うん。だから、セダムの話も聞かせてほしいな」

「いいけど、話せることなんてなんもないんだよね」

 ベッド横のパイプ椅子にフロースを促しながらセダムは言う。

「接触事故で打った頭の打ちどころが悪かったらしくてさ、ほとんど何も覚えていないの。言葉は喋れるし、ここがどこかもわかるし、医者って職業も分かるけど過去のことは何も思い出せない」

 ショートカットのよく似合うセダムはその利発さからか、病室が妙に似つかわしくない少女だった。

 フロースは琥珀の瞳でセダムに続きを促す。

「いろんな人がお見舞いきてくれるんだけど、誰が親かも分かんないし、友達だって言われてもピンとこない。誰も今の私は見てないから疎外感が凄くて、すぐに面会謝絶にしてもらったの。どうせ退院するんだから苦痛の先送りに過ぎないんだけどね」

 セダムの乾いた笑いに、フロースは何とも言えない気持ちになった。

 この子に花を与えたい。でも、その結果いいほうに転ぶとは限らない。

 人一人の命運を左右できるフロースは結局、本人の強い希望を免罪符にして花を与えるしかないのだ。

「私は、自分の記憶を取り戻したい。誰にも見られないなんて、もう嫌だ」

 それまでの快活な語りとは違う、セダムの弱みを含んだ本音がポツリとこぼれる。

「話してくれてありがとう」

 心の一番柔らかいところを曝してくれたセダムに敬意をもって謝辞を贈り、腕に咲く万年草を差し出す。ぷっくりとした葉に囲まれる黄色の五芒星は、夜空浮かぶ星の輝きを思い起こさせた。

「食べて」

「は?」

「食べたら、あなたの願いが叶うの」

 常軌を逸したフロースへの拒絶と嫌悪によってセダムの顔が歪む。

 理解できないものを見たときの反応として、セダムのそれは正しい。

 だが、フロースにとっては初めての拒絶だった。

 なくした記憶と共に強い感情も封印され、結果セダムに残ったのは幼さゆえの素直な反応と、いたってフラットな感情だけ。

 それでもフロースは花を差し出した。

「意味わっかんない」

「それでも、私はセダムにこの花を食べて記憶を取り戻してほしいと思ってる」

 だめかな? と下手に問うフロースに、突発的な拒否反応を収めたセダムはもう一度問う。

「これを食べたら、本当に記憶が戻るの?」

「うん」

 力強い肯定に、セダムはフロースの腕を取り、その万年草を喰らう。

 その瞬間、セダムは頭を抱えて唸りだした。

「なに、これ。……い、いや! やめて! やだやだやだ私が何をしたって言うの!」

 錯乱し始めたセダムにフロースは思わず一歩後ずさる。

「やだ、そっちはだめ、いや……」

 か細く「いや」と繰り返し続けるセダムは、その後電池が切れたかのように布団へと倒れ込む。

 その一連をフロースは放心してみていた。

 フロースは知っていた。知っていたはずだった。

 花がもたらすのは願いを叶えることだけで、それは幸福とはまた独立した事象だと、知っていたのに。

 何もかもが嫌になった。

 こんな花、もう咲かなければいいのに。

 結局、フロースも祈るしかないのだ。


万年草の花言葉

――記憶、私を思ってください

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