ミリカ

 毎日、花を一輪買う男がいた。

 平日も休日も関係なしにその時旬の切り花を一本買う男はいつも絶望を顔に貼りつけていて、他の客とは一線を画していた。

 毎日毎日訪れるその男を、オクナが認知していない訳がなかったけれど、フロースが全く反応を示さないことからも、ただの一客として接していた。

 だがその男がこの店に通うようになってから十二年たったある日、フロースが反応を示した。

 今日も足繫く通う男に、オクナが話しかける。

「ついてきてください♪」

 男は何が何だか分からなかったが、とりあえずオクナについていくことにした。

 通されたのは店奥の応接室で、さまざまな観葉植物に囲まれた白い少女に最初に目がいった。

「こんにちは、ミリカ。あなたの願いを聞かせてほしいな」

 フロースは言葉を手に入れてからというもの、花を求める者から、これが代価だと言わんばかりに心の内を曝け出させた。外に出れないフロースにとって、それだけが外界との接点だった。

 突然の問いにミリカは動きを止めたが、何を思ったのか、大人しくフロースの向かいのソファに座り、ぽつぽつと話を始めた。

「妻がいたんですが、不妊治療に失敗しましてね。私は自分の子供より妻の方が大事でしたから、無理しなくていい、いざとなったら養子を取ろうと励ましたつもりだったんですが、その一か月後、妻が妊娠したと言ってきまして」

 話を聞きながら、オクナはこの後の展開が分かって思わずため息をついた。

 花は願いを叶えるだけで幸せを運ぶものではないと、身をもって知っていたのに。

「ありえないと咄嗟に否定したんですが検査薬は陽性を示してましたし、病院ではエコーも見せられて、どうも信じられなかったんですけど妻がすごい嬉しそうだったものだからそれでいいじゃないかと、そう思ってしまったんです」

 毎日毎日花を買うのは、いつもいつも絶望を貼り付けているのは。

「出産時、妻は出血多量で死にました」

 ミリカは俯いてしまった。

「妻が望んでやったことですから、後悔はありましたけど意外とすぐにその事実を受け止めきれました。だけど、本当の地獄はここからでした」

 表情を変えずに琥珀の瞳でミリカを見つめるフロースは、何を感じながらミリカの話を聞いているのだろう。

「記憶って時間と共に忘れられていくじゃないですか。それが僕は耐えられなかった。妻の声も、もう思い出せません。何より妻を愛していた時の感情が薄れていくのが、はっきりと分かるんです」

 しばしの静寂の後、フロースが口を開いた。

「忘れたくない?」

「もちろんです!」

「いいよ。叶えてあげる」

 フロースはそう言って後ろを向き、長く白い髪に隠されたうなじを曝す。そこには薄く紅い穂のような山桃の花が咲いていた。

「これは……」

「食べるんだ♪ そうすれば願いが叶う♪」

 ミリカは一瞬ひるんだ。だが躊躇いはなしに山桃の花にかぶりつく。

 これでミリカが幸せになるかどうか、それは誰にも分からない。

 花は願いを叶えるだけだ。


山桃の花言葉

――一途、ただひとりを愛する

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