アイリス
五月に入ると大抵の花屋は母の日に向けたカーネーションを売りに出す。
オクナの店も例にもれず、子供をターゲットとした赤や青や虹色のカーネーションと店頭に並べている時だった。
「あの、オクナさんですか」
オクナが振り返ると、随分とやつれた中年の男がぎこちなく視線を外したり合わせたりしている。
「そうですが♪」
「よかったあ。実はフロースさんのことを聞いてからずっとこの花屋を探してまして、今日ようやく見つけられて本当に嬉しいです。藁にも縋る思いでしたので半信半疑で来てみれば、ほんとに表情と声が一致しないオクナという名の店員を見つけられて感動しました」
オクナが答えれば、聞いてもないのにべらべらと喋りだしたこの男、どうやら誰かからフロースのことを聞いてやってきたらしい。
これほど内面の薄っぺらさが際立つ喋り方の男にも、今日この日に花屋にやってきたということは、心からの願い事を持っているということだ。
若干の警戒を滲ませながらも、オクナは男を奥の応接室へと案内する。
「こんにちは、アイリス。あなたの願いを教えてほしいな」
パーテーションの奥で動かぬフロースが、アイリスに話しかける。
足の甲に咲くのは
「ほんの五年前に東北の方で地震があったじゃないですか。地震大国の日本でも珍しい規模の地震に加えて津波なんかも来ちゃいましたから、もうそりゃ大変で。僕はその日丁度出張で東京に来ていたから被災はしなかったんですけど、家の残した妻から、娘が帰ってこないって連絡が、その二日後に来ましてね」
男の語りは、胸の内の吐露というよりは何度も推敲した台本を読んでいるようで、どことなく説明の面が強かった。
「何とか家に帰ったら、娘の通ってた学校は全部津波に流されてしまったなんて報告されて。もうどうしていいか分からず、救助隊のボランティアにできるだけ参加したりしたんですけど、成果はありませんでした」
なかなか本題に入らないアイリスにオクナは少し苛立ちを見せていたが、フロースは続きを促した。
「でも、僕はどうしても娘が死んだと認めることが出来なくて、」
アイリスの言葉がそこで詰まる。顔は歪み、何か発そうとしている口元は結局何も紡げず、そこには躊躇いと困惑の静寂が訪れた。
「あなたの願いを、教えてほしいな」
静寂を破ったのはフロースだった。それを皮切りに、アイリスの本当の気持ちがあふれ出す。
「本当は、もう諦めたいんです。でも、父親である私が諦めるなんてと外聞を気にする自分がもっと嫌になって、もうどうしていいか分からない。せめて、行方不明じゃなく、死んだと分かるものがあればと、娘の死を願ってしまう。そんな自分も嫌で」
声は震え、瞳は潤んでいる。
「大丈夫。あなたの望みはきっと叶う」
「その菖蒲を食べればね♪」
目の前で優しく揺れる菖蒲の花。
アイリスは何度も嘔吐きながら、菖蒲の花を咀嚼した。
菖蒲の花言葉
――良き便り
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