フィークス

 冬も終わり、春の陽気が眠気を誘う四月初頭。

 一人の女が、無機質な診察室で絶望の淵に立たされていた。

「残念ですがこれ以上はどうしようも……」

 医者の宣告に、体の感覚が遠のく。隣で慰めてくれる夫の声も、目の前で続きを説明する医者の声も、いまは耳に入らない。

 女は、衝動的に病室を飛び出した。

 公園で自転車の練習をする父親とその子供、コンビニで駄々をこねる子供とそれに困った顔を向ける母親、父親に肩車をせがむ子供。

 外に出れば、ありとあらゆるところに女の望みが現れた。

 それから逃げるように、ふらふらと歩く。

 駅前の、色とりどりのガーベラが並ぶ花屋に目がいった。

 ミツバチが甘い香りに誘われるように、女の足が花屋に向かう。

 店頭で花を眺めていた女だったが、じっとこちらを見つめる店員に居心地が悪くなったのか、目の前のガーベラを一輪取りレジへ向かう。

「あなたには、どうしても叶えたい願いがある♪」

 やたらと陽気な声音が聞こえ、女は思わず振り返る。目の前の不愛想な青年から発されたとは露も思わなかったから。

「違いますか♪」

「ちがわ、ないです」

 こぼれ出た答えに、女は口を手で押さえる。

「ついてきて♪」

 言われるがまま、店員の後ろをついていく。

 案内されたのは店内の奥の部屋。観葉植物で溢れる応接室からさらに奥に進むと、一人の少女が壁にもたれて座っていた。

 白く美しい長髪に、陶器のような滑らかで透き通った肌。

 女は自然と、この子が我が子であったらと思う。

 女が見惚れていると、お人形のような少女は動かぬまま女に話しかけた。

「こんにちは、フィークス。あなたの願いを教えてほしいな」

 歌うようなソプラノ。それは人の無防備な心に優しく届く。

「私、ずっと自分の子供が欲しかった。愛情を一身に注ぐ相手が、それを無条件に許してもらえる子供が、ずっと欲しかった」

 フィークスが胸の内を吐露すると、オクナがフロースを持ち上げ反転させた。

 その細い腕のどこにそんな力があるのだろうという疑問は、少女のうなじに実る果実の存在によって霧散する。

 まだ熟れていない、青い無花果。花無い果実と書くが、実際にはその花嚢かのうのうちに無数の花を咲かせている。

「食べて♪」

「は、」

 人に実がなるという現実離れした状況に混乱するフィークス。そこに追い打ちをかけるようにオクナが言う。

「食べたら願いが叶う♪」

 ありえないとも思ったし、ありえるかもしれないとも思った。

「これを食べれば、願いが叶う……」

 確かめるように復唱する。フィークスの瞳に、もう迷いはなかった。

 震える手で青い無花果を支え、かぶりつく。


無花果の花言葉

 ――多産、子宝に恵まれる

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