花を喰らう

彩葉

ダフニー

 まだ雪の残る街道に、ネズミの死体があった。

 腹から内臓をまろびだしているところを見るに、車に轢かれたのだろう。

 死してなお尊厳を保たれず、まるでゴミかのように扱われる死体を、通りがかりの初老の紳士がハンカチで優しく包み持ち上げる。慈しみで溢れた、優しい手つき。

 男は、日本には珍しく堀の深い西洋風の顔立ちで、服装も全身白のスーツにシルクハットと、東京の雑踏からは浮いていた。

 まだ死んだばかりなのか、ハンカチに鼠の鮮血が滲む。

 男はそのハンカチの中身がまるで我が子であるかのように大切に両手でくるみ、路地裏にある、もう誰も管理していないだろうゴミ箱に投げ捨てた。

「ゴミはゴミ箱に」

 男の、慈愛の籠った眼差しからは想像できない無慈悲な言葉。誰にも気に留められず朽ちていったネズミを、嫌悪するでも憐れむでもなくゴミと形容し、誰が見るかも分からないアルミの箱に投げ込んだ男は、もうネズミのことなんて忘れていた。

 迷いなく目的地まで足を進めた男は、駅前の花屋で足を止めた。

 駅前で人々の生活を彩る花屋には、今が時期であるチューリップやミモザ、ラナンキュラスなんかが飾られていて、それらは一つ先取りして春を届けている。

 しかしそんな花には目もくれず、男は狭い店内で作業していた店員に声をかける。

「お久しぶりですね、オクナさん」

 オクナと呼ばれた男は、無造作に伸びた髪を後ろで乱雑にくくり、接客業とは思えない無愛想を貼り付けた青年だった。

「待ってましたよ、ダフニーさん♪」

 まるで動かない表情筋から繰り出される、明るい声音。知らなければ、他に声の発生源を探してしまうほど、彼の表情と声音は乖離している。

「少し遅くなってしまいすみません」

「いえいえ♪ さ、こっちへどうぞ♪」

 そんなオクナに、男は露も動じない。促されるまま奥の部屋へと一歩踏み入れれば、咽かえるような甘い香りがあたりに立ち込めた。

 もちろん、青年の名はオクナではないし、初老の彼もダフニーという名ではない。ではなぜ花の名前で呼び合うのか。

 それはスパイやアサシンがコードネームを持つように、この密会も、人目に憚られるようなことを示す。

 もっとも、誰かに知られたところでここにたどり着くような人間はそうそう居ないし、もしたどり着いたなら、それは野次でも何でもなく必然なのだ。

 だからまあ、これはほとんど願掛けみたいなものである。

 この少女が、少しでもその気になってくれますように、という願掛け。

「お久しぶりです、フロースさん」

 部屋は簡単な応接室になっていて、花屋らしく様々な観葉植物が部屋を飾る。

 緑に浮く素朴なパーテーションを少し除けたその先で、フロースと呼ばれた少女は、フランス人形のように壁にもたれかかって座っていた。向かいの窓から射す西日が、彼女の白髪を煌めかせている。

「ほら、ちゃんと咲いてる♪ 沈丁花♪」

 オクナが乱雑にフロースの腕を持ち上げると、彼女の肘のあたりに花が咲いていた。

 花弁に似せた萼が、ウチに入るにつれて朱く染まるその花は、春の訪れを告げる沈丁花そのもの。

「はい、本当に綺麗に咲いていますね」

 ネズミを見るのとはまた違う、熱のこもった眼でその花を見つめるダフニーは、フロースの前に跪く。

 そしてオクナから彼女の腕を引き取ると、

「では、いただきます」

 ダフニーは敬意を示し、慎ましく咲く沈丁花を喰らった。


沈丁花の花言葉

――不死、不滅

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