19「ヴェロニカ様は幸せになるべきです」
「ヴェロニカ様。そろそろ閉館のお時間です」
エリアスの声にヴェロニカははっとして顔を上げた。
「あ……もうそんな時間?」
「はい」
開いていた本を閉じると、ヴェロニカは慌ててイスから立ち上がろうとした。
「返却は私が行ってきますので、こちらでお待ちください」
ヴェロニカを制してエリアスは二人の本を取り、受付へと向かっていった。
「……はあ」
エリアスの背中を見送って、ヴェロニカはもう一度イスに座るとため息をついた。
今日は王立図書館へ来ている。
閉架書庫の本を借りて読もうとしたのだが、全く本に集中できなかった。
三日前にフィンセントから自分が婚約者候補だと言われたせいだ。
(どうして……私なんだろう)
あの日、帰って両親に報告した。
父親は驚いていたが、母親は「そんな気がしていたのよね」と言った。「好意がなければ毎年プレゼントを贈るわけないもの」と。
(でも……別に好きだと言われたわけではないのよね)
ヴェロニカ以上に婚約者にふさわしいと思える相手がいないからと。
フィンセントが自分に好意を持っているのは分かっているが、それは友人としての好意であって、恋愛感情ではないと思っている。
(好きだとも言われなかったし……あくまでも今は、私が一応候補だからあんなふうに言ったのよね)
それにフィンセント自身も、来年になれば変わるかもしれないと言っていた。
(そうよ、来年になればアリサが現れるんだし、そうなればきっと……殿下は、アリサを好きになるわ)
そう思いながら、ヴェロニカはエリアスが戻ってきたのを見て立ち上がった。
「なにか悩み事があるのですか」
帰りの馬車の中でエリアスが尋ねた。
彼はヴェロニカが図書館へ行く時は、いつもこうして屋敷へ戻るまで同行してくれる。
図書館へ同行するのはまだ分かるが、わざわざ屋敷まで行くのは大変だろうと断ろうとしても「それが仕事ですから」と言って聞かないのだ。
「悩みというか……」
窓の外に視線を送りながらヴェロニカは口ごもった。
「王太子殿下になにか言われたのですか」
ヴェロニカはエリアスを見た。
「三日前にお会いしたのでしょう」
「……ええ。それで……私が殿下の婚約者候補だと言われて」
「婚約者?」
ヴェロニカはエリアスに、フィンセントに言われたことを説明した。
「そうでしたか……」
「他に候補になる人がいないということはないと思うけれど……」
確かに一年生の中ではヴェロニカが一番成績はいいが、候補となるのに必要なのは学力だけではない。
それに同学年だけでなく、その前後の年齢の女性たちも候補になるはずだ。
「……そうですね。それで、ヴェロニカ様はどうするおつもりですか」
「どうって……私は、殿下の婚約者にはならないわ」
ヴェロニカは首を振った。
「それは、額の傷のせいですか」
「それもあるけれど……」
「以前おっしゃられたことですか」
「……そうね」
以前、エリアスに自分は嫉妬深いから、自分だけを愛してくれる相手がいいと言ったのを思い出した。
(それって……自分勝手な理由よね)
「私は自分勝手だから……お妃なんてふさわしくないわ」
ヴェロニカはつぶやいた。
「そうでしょうか」
「ええ」
「仮に自分勝手だとしても、ヴェロニカ様は幸せになるべきです」
エリアスは答えた。
「私はヴェロニカ様以上に優しく愛情があって、勇気もある方を知りません」
「それは……言いすぎだわ」
ヴェロニカは苦笑した。
エリアスにとって命の恩人だからそう思うのかもしれないけれど、ヴェロニカ以上の者なんて、この世界に数えきれないほどいるだろう。
それに、自分に人よりも愛情があるとも思えない。
「いいえ、ヴェロニカ様が一番です。ですから、ヴェロニカ様が幸せになれるお相手を……私が、必ず見つけます」
ヴェロニカを見つめてエリアスは言った。
「……ありがとう」
「そうだ。これをヴェロニカ様に」
エリアスは封筒をヴェロニカに手渡した。
「二日遅れですが、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。開けていいかしら」
「はい」
重さを感じる封筒の中には、カードとしおりが入っていた。
薄く伸ばした銀板を花の形に細工したもので、本に挟むと花が見えるようになっている。
「まあ、可愛いわ」
よく見ると花の中央には青い石が嵌め込まれていた。
「ありがとう、大事に使うわね」
「はい」
ヴェロニカが微笑むと、エリアスも笑顔を返した。
フォッケル家の門前で馬車を降り、再び走り出した馬車が屋敷へと入っていくのを見送るとエリアスは歩き出した。
ここからボーハイツ家の屋敷までは歩いて一時間ほどだ。
それを聞いたヴェロニカが驚いて、侯爵家の馬車で帰ればいいと言ったのを断りエリアスはいつも歩いて帰る。
歩きながら一日を振り返り反省するこの時間は大切だからだ。
(王太子殿下の婚約者候補……)
馬車の中で聞いた話を思い出し、腹の奥にじわりと熱いものが湧き上がるのを感じた。
フィンセントがヴェロニカに特別な感情を抱いているのには気づいていた。
彼のヴェロニカに向ける視線には明らかに熱があったし、他の女生徒と態度も違う。
(しかし……まさか本人に伝えるとは)
誕生日祝いに王宮へ呼ばれたと聞かされた時、嫌な予感はした。
一度婚約を解消したのだから、ヴェロニカが再び婚約者となるのは難しいと思っていた。
けれど確かに――ヴェロニカ以上に王太子妃にふさわしい者がいるとは、エリアスにも思えなかった。
(だが……王太子妃となって、ヴェロニカ様が幸せになれるのだろうか)
エリアスが望むのはヴェロニカが王太子妃になることではない。
彼女が幸せになることだ。
フィンセントにはそれができるだろうか。
ヴェロニカが前に言ったように、他に妃を娶らなければならない状況になることもあるだろう。
(ヴェロニカ様が幸せになれる相手を選ぶのが私の役目だ)
この数カ月間側で見守ってきて、そんな相手が学校内にいるとは思えなかったが。学校の外でも該当しそうな相手がいるだろうか。
(ヴェロニカ様を幸せにできる者……いや)
エリアスは手を握りしめた。
(違う。『私』が、ヴェロニカ様を幸せにしたいのだ)
主にこんな感情を抱いてはならないと、分かっているのに。
最初はただ感謝と尊敬の念だけだった。
けれどヴェロニカの側にいる間に、彼女をただ主として見られなくなっていくのを感じていた。
それを強く感じたのはオリエンテーリングの時だ。
友人をかばって怪我をしそうになったヴェロニカをフィンセントが抱き締めるのを見た時――腹の奥に熱いものが込み上げるのをはっきりと感じた。
それでも、これ以上余計な感情を抱いてはいけないと自律していた。
夏休み前のパーティ。
それまでヴェロニカと何回かダンスの練習をして、彼女の癖は分かっていたし息を合わせて踊れていると思った。
けれど、最後の曲でフィンセントとヴェロニカが踊った時――合わせるのが難しいダンスを、練習していないはずの二人は完璧と言ってもいいくらいに踊りきったのだ。
あの時湧き上がった感情は、嫌でも自分の心を自覚させるものだった。
ヴェロニカは自分にとって主となるべき存在なのに。
「私は……ヴェロニカ様を……」
エリアスは握ったままの拳をさらに強く握りしめた。
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