18「ここで君と一緒にお茶を飲むのも七年ぶりだな」

「よく来てくれたね、ヴェロニカ」

 案内されたティールームで待っていると、すぐにフィンセントが現れた。


「本日はありがとうございます」

「ああ。一日早いけど誕生日おめでとう」

 フィンセントは立ち上がったヴェロニカに、手にしていた大きな箱を手渡した。

「ありがとうございます」

 大きさの割には重さを感じない箱だった。

「視察で行ったアルケマ領の特産でね、ヴェロニカに似合うと思ったんだ。開けてみて」

「……はい」

 箱を開けると、中には白いストールが入っていた。

「これは……とても触り心地がいいですね」

 なめらかでとろけそうな手触りはずっと触っていたいくらいだった。

「これはウサギの毛で作られているんだ」

「ウサギですか?」

「ああ。特別に毛が長いウサギで、軽くて暖かいのが特徴だ。冬になったら使ってみて欲しい」

 よほど手触りが気に入ったのか、ストールをなで続けるヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。



「夏休みは楽しんでいるのか?」

 お茶とお菓子を並べていた侍女たちが離れていくとフィンセントは口を開いた。

「はい。久しぶりに街へも行きました」

 王立図書館へ行った以外に、街に買い物にも行った。

 街へ行くのはあの事故以来だ。


「楽しめたか」

「はい。領地に比べてお店も人もずっと多くて。とてもにぎやかですね」

「ああ」

「……そういえば、あの事故がきっかけで、馬車の規定が変わったと聞きました」

「ああ。以前から何度も馬車と人の接触事故が起きていて、対処して欲しいという要望があったのだが、商会組合との調整が難しかったんだ」


 馬車の通れる道を定め、歩道を整備し、人と馬車がなるべく接しないようにする。

 事故前からその計画はあったのだが、馬車の交通に制限ができることで商売が不便になると組合からの反発が強かった。

 けれど、王太子の婚約者が事故にあい、婚約が解消されるという事態にまで発展してしまったのを重く見た国王が、強い権限で新しい規定を定めたのだ。

 当初は組合からの反発があったが、市民からは安心して歩けると好評だった。


「この七年間で道路の整備も進んだし、市や店も増え、人口も増えて王都全体が活性化している。市民も暮らしやすくなっているはずだ」

「それは良かったです」

 前世と比べて街の雰囲気がにぎやかだと思っていたけれど。まさか自分が事故にあったことがきっかけだったとは。

(やっぱり、事故にあって良かったのね)

 改めてヴェロニカは思った。



「そうか、七年か……」

 フィンセントはティーカップを手に取った。


「ここで君と一緒にお茶を飲むのも七年ぶりだな」

「……そうですね」

 婚約していた時、週一回のお茶の時間はこのティールームで設けられていた。

「あの頃は……正直、君との時間が苦痛だった」

 自嘲するように口元をゆがめてフィンセントは言った。

「……はい。存じ上げています」

 それは今世でも気づいていたし、前世でははっきりと言われたことだ。


「そうだったか」

 ふ、とフィンセントは息を吐いた。

「ある日突然婚約者を決めたからと君を連れてこられて……見ず知らずの相手と婚約させられたことに反発していたのだろう。一生を共にする相手なのだから自分で選びたかったとも思っていた。……まだ九歳の子供にそんな判断ができるはずもないのだけどね」

「そう思うのは当然だと思います」

「ヴェロニカもそう思ったのか」


「私は……」

 ヴェロニカは首をかしげた。

「王太子殿下の婚約者になることは名誉なことなのだと教えられました。親からも、教師の方々からも。だから誇らしいと思っていました」

 婚約したばかりの時は、婚約や結婚という意味が分かっていなかった。

 周囲からは王太子妃という存在の意義や責任の重さを教えられ、それに選ばれたのはとても名誉なのだと言われ、そうなのかと素直に受け取っていた。


「……そうか」

 フィンセントは手にしていたティーカップを置くとヴェロニカに向いた。

「そんな君を、私は顔に傷が残ったという理由で婚約破棄を求め、さらに醜いとまで言ってしまった。本当に……最低だった」

「もう謝らないでください」

 ヴェロニカは慌てて首を振った。

「あの時のことは仕方がないと思います。まだ十歳でしたし……」

 いくら王太子と言ってもまだ子供だ。それにヴェロニカ自身も醜いと思うくらいの傷痕だったのだ。

 大人への反発や見た目への不快感でああいう発言をしても仕方がないだろう。

(本当に……あの時の殿下は前世の殿下のままだった)

 プライドが高く、自分にも他人にも厳しさを持った王太子。

 それが、こうやって反省し続け何度もヴェロニカに謝罪するようになるなんて。

(殿下も……前世と大きく変わったのね)

 ヴェロニカ、そしてエリアスや街が変わったように。

 フィンセントもまた変わったのだ。


「……君は本当に心が広いな。あの時も、君だって十歳だったのに私を責めなかった」

「それは……」

 ヴェロニカは外見こそ十歳だったが、中身は十九歳だったからだ。

 もしも本当に十歳のヴェロニカだったら……おそらくあまりのショックにその場で泣いていただろう。


「多分、自分でもあの傷を見て無理だと思っていたからです」

 けれどそんなことをフィンセントに言えるはずもない。

 だからヴェロニカは代わりにそう答えた。

「そうか……ヴェロニカ。入学式の時に私が言った言葉を覚えているか」

「……私を知ることから始めたいと言ったことですか」

 新しい婚約者を選ぶのに、同じ過ちを繰り返さないよう、その前にヴェロニカのことを知りたいというようなことをフィンセントは言っていた。

「ああ。この五カ月近く学校で過ごして考えてきた。それで、一つ決めたことがある」

「……なんでしょう」

「私は、君を婚約者候補として考えている」


「え……?」

 ヴェロニカは目を見開いた。

「あの婚約は私から破棄を言い渡した。だからこんなことを言えるものではないことは分かっている。だが、君以上にふさわしいと思える相手がいないのが実状だ」

 ヴェロニカを見据えてフィンセントは言った。

「候補者は何人かいるが、家柄や学業の成績、性格で君は以上の者はいない……いや、そうではなくて」

 フィンセントは首を振った。

「私は、君以外の者を婚約者とすることを……望んでいないんだ」

(え……どういう意味?)

 ヴェロニカは思わずフィンセントを凝視した。

 自分が、またフィンセントの婚約者に?

(それは……ダメ)

 ヴェロニカは膝の上の手を握りしめた。

 せっかく前世と変わっているのに、また戻ってしまったら……。


「……殿下、そのお話は……」

「今すぐということではない」

 ヴェロニカの言葉を遮るようにフィンセントは言った。

「学校を卒業するまでに婚約者を決める予定だ。今はヴェロニカが唯一の候補だが、来年になれば変わるかもしれない」

「……はい」

「もちろん君の意志を一番に尊重する。今は、君を候補に考えていることを知っていて欲しかったんだ」

「……分かりました」

 ヴェロニカは小さくうなずいた。



「卑怯だな」

 ヴェロニカが帰ったあと、フィンセントは彼女が座っていたソファを見つめてつぶやいた。

 自分の気持ちを伝えずに、ただ婚約者候補にしているということだけを伝えた。

(だが……言えるはずもない)

 婚約破棄を宣言した、その直後から彼女に惹かれはじめたなどと。


 あの時、十歳とは思えないほど落ち着いた様子でヴェロニカはフィンセントの言葉を受け入れた。

 自分をまっすぐに見つめるその瞳と、現実を受け入れる覚悟を持った大人びた表情を見て、初めて彼女の美しさと強さを知った。

 もっと彼女のことを知りたいと思った。


 治療院から戻るころを見計らい、謝罪の手紙を送った。

 ヴェロニカからの返事を読み、どうやら自分への怒りはあまりなさそうだと思い、誕生日にプレゼントを贈った。

 ヴェロニカからはお礼と彼女自身が刺繍したというハンカチが送られてきた。

 丁寧に刺されたその刺繍からは、彼女の優しさと真面目な性格が伝わってきた。

 手紙とプレゼントだけの交流を続け、入学式で六年ぶりにあったヴェロニカは相変わらず美しかった。


 ヴェロニカは好奇心旺盛で、高位貴族にありがちな高慢さを感じさせない。

 頭も良く、優しさと強さがあり、王太子妃にふさわしい素質を備えている。いや、そんな素質がどうこうよりも、ただ彼女から目が離せないだけだ。

 おそらく自分は彼女にかなりの好意を持っているのだろう。これが「恋心」というものなのかもしれない。

(本当に、どうして自分は彼女との婚約を破棄してしまったのだろう)

 いくら後悔しても、もう遅かった。


 学校を卒業すれば成人となる。それまでに婚約者を定めなければならない。

 全寮制の学校は異性と交流する機会も多く、婚約者探しにも都合のいい場所だ。

 それは分かっていたけれど、どうしてもヴェロニカ以外に興味が持てなかった。


 だから夏休みに誕生日を迎えるヴェロニカを王宮へ呼び出し、婚約者候補だと告げた。

 今決断を迫ればきっと断られるだろうし、彼女には断る権利がある。

 だからこの場では結論を出させなかった。

 ヴェロニカに自分を意識させたかった。


「本当に、私は卑怯だ」

 自嘲する笑みを浮かべてフィンセントはもう一度つぶやいた。

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