16「世界で二番目に嫌いな男だ」

「ほんっと、醜いな」

 声の聞こえたほうを見ると、一人の男子生徒が立っていた。

ダークブロンドの髪に、鋭く青い光を宿した切長の瞳が三人を見据えている。

(この人……)

「なんですって」

「ほらその顔。窓見てみな、びっくりするくらい醜いぜ」

 男子生徒の言葉に、女生徒は思わず窓ガラスを見た。


「ヴェロニカ様!」

 エリアスが駆け寄ってきた。

 その姿を見ると、三人は慌ててその場を立ち去っていった。

「申し訳ございません。二年生の方に助けて欲しいと呼ばれておりまして……」

「そうやってあんたらを引き離したのか」

「引き離した?」

「彼女、今の女たちに因縁をつけられていたぞ」

 ヴェロニカを示しながら男子生徒が言った。

「あんた、いつも彼女にくっついてるって有名だからな。引き離して彼女が一人になるよう仕向けたんだろう」


「ヴェロニカ様……申し訳ございません」

 エリアスは深く頭を下げた。

「大丈夫よ。大したことなかったし、こちらの方に助けていただいたから」

 そう答えて、ヴェロニカは男子生徒に向いた。

「先ほどはありがとうございました」

「見ていて気分が悪かったから口出ししただけだから、礼なんか……」

 男子生徒はそこまで言いかけて言葉を止めた。

「そうだ、お礼代わりと言ったらなんだが、一曲踊ってくれるか?」

 そう言って、男子生徒は姿勢を正すとヴェロニカに手を差し出した。

「カイン・クラーセンと申します。一曲お相手願えますか? ヴェロニカ・フォッケル嬢」


「――ええ」

(そうだ、やっぱりこの人……前世でエリアスを殺した人だわ)

 動揺を顔に出さないようにしながら、ヴェロニカは差し出された手に手を重ねた。



 カイン・クラーセンは祖父である先代が亡くなったため、十六歳にして既に子爵位を継いでいる。

 父親は生まれる前に死亡、母も幼い時に亡くしているという孤独の身だ。

 領地も小さな、田舎にある子爵家の事情をなぜヴェロニカが知っているのか。

 それは彼が前世で大きな事件を起こしたからだ。


 彼の父親は元平民の婿養子とされていたが、実は現国王の弟にあたるボスハールト公爵だ。

 公爵が王子時代、王宮の侍女だったカインの母親に手を出して彼が生まれたのだ。


 不遇な子供時代を過ごしたカインは学校に入学すると、いとこであり恵まれた立場の王太子フィンセントを憎むようになる。

 そうしてフィンセントが心を通わせたアリサを襲おうとしたのだが、それをかばったエリアスを殺してしまい、投獄されることになる。

 裁判で明らかになった彼の素性に、子供がいたことを知った公爵によってカインは引き取られ、公爵領の別邸で幽閉されることになった。


(そんな人と踊っているなんて……不思議な感じだわ)

 偶発的とはいえ、前世でエリアスを殺した相手なのだが、そんな実感が湧かないのは、ヴェロニカは前世のエリアスやカインのことをほとんど知らないからだろうか。

 エリアスがアリサとどういう関係だったのかは知らないし、彼が死んだ場にも居合わせていない。

 それに嫉妬からアリサを殺そうとして幽閉された自分とカインは似ている、とヴェロニカは思った。

 彼もまた、フィンセントを妬ましく思う気持ちが抑えられなくなってしまったのだろう。

(彼は……今世でもまた殿下を恨んで、アリサを襲おうとするのかしら)

 口調はあまり良くないけれど、ヴェロニカを助けてくれたのだ。本当は悪い人ではないのだろう。


「高嶺の花と踊れて今日はついているな」

 視線が合うとカインはそう言った。

「高嶺の花?」

「一度は王太子の婚約者になるくらいの家柄で美人。近づきになりたい連中は多いけど、あの執事がいつもぴったり張りついているから声すらかけられない。そんなあんたと踊れるなんてな」

「……エリアスは過保護すぎるから……」

 ヴェロニカは苦笑した。

 エリアスがヴェロニカの側にいすぎることは、ルイーザや園芸サロンのメンバーにも言われるのだが、当人は「これが役目なので」と気にしていない。


「それにもう一つ」

 カインは視線をそらせた。

「あいつのあんな顔を見られるなんて、本当についている」

 ヴェロニカはカインの見た方へ視線を送った。

 そこには、こちらを無表情で見つめるフィンセントの姿があった。

「……あいつ?」

「世界で二番目に嫌いな男だ」

 吐き捨てるようにカインは言うと、ヴェロニカを見た。


「あんた、前は王太子と婚約してたんだよね。今は相手いるの?」

「いいえ」

「王太子とヨリを戻す可能性は?」

「それは、ないです」

 ヴェロニカはきっぱりと言った。

「私は……その、知っているかもしれませんが。事故で傷が残って、それで婚約解消をしたので。まだその傷は消えていませんし……」

「傷くらいで婚約解消するのか?」

「……女性にとっては『傷くらい』ではないんです」

 普通なら見えない場所にあっても嫌なものなのに、顔に残っているのだ。

 それに、前世のようにならないためにもフィンセントとの婚約だけはしてはいけないのだ。


「ふうん」

 ヴェロニカをじっと見つめて、カインは口端を上げた。

「じゃあ、俺があんたの婚約者に立候補していい?」

「え?」

「決めた。俺は田舎のちっぽけな子爵だけど、あんたに釣り合う男になるから」


(……ええ⁉︎)

 思いがけないカインの言葉に、ヴェロニカはただ相手を見つめるしかできなかった。



 ダンスが終わるとヴェロニカはカインに伴われてフロアから出た。

「ヴェロニカ様」

 すぐにエリアスが二人の元へとやってきた。

「じゃあヴェロニカ嬢。楽しかったよ」

 ぽん、と肩を軽く叩くとカインは去っていった。

「ヴェロニカ様。今の方となにを話されていたのですか」

「え? ……私と踊れて、ついているって」

「他には?」

「それくらいよ」

 どこまで本気なのか分からないので婚約の話は言わないほうがいいとヴェロニカは思った。


「そうですか」

「ヴェロニカ」

 フィンセントが歩み寄ってきた。

「今一緒に踊っていたのは誰だ」

「……カイン・クラーセン様です」

「クラーセン?」

「二組の者で、確か子爵ですね。既に爵位を継いでいたかと」

 後ろに控えていたディルクが答えた。

「なぜ彼と踊った?」

「なぜって……」

 どう答えようか少し迷って、ヴェロニカはエリアスを見た。


「先程ヴェロニカ様が二年生の女生徒たちに絡まれまして、それをクラーセン様に助けていただきました」

 エリアスが代わりに答えた。

「絡まれた?」

「計画的でしょう。私とヴェロニカ様を引き離してその隙にヴェロニカ様に接触したので」

 ヴェロニカを見てエリアスは説明した。

「それでクラーセン様が、助けたお礼代わりに一曲踊って欲しいと言われたのです」


「……そうか」

 どこか不機嫌そうな顔でフィンセントは言った。

(殿下はカイン様のことを知らないはずだけど……)

 踊っていた時もにらむようにこちらを見ていたし、なにか気になるのだろうか。


「ヴェロニカ」

 表情が柔らかくなると、フィンセントはヴェロニカに手を差し出した。

「私とも踊ってくれる?」

「……はい」

 ヴェロニカが差し出された手に手を重ねると、一瞬強く手を握られた。

 二人がフロアへと向かうと周囲からざわめきのような声が聞こえた。


(……もしかして注目されている?)

 王太子はヴェロニカだけと親しくしている、という二年生の言葉を思い出した。

 曲が始まり、フィンセントの手がヴェロニカの腰へと回った。

(あ、この曲は……)

 これはステップが複雑で、二人の息が合わないともたついてしまい見栄えが悪くなる。

 だから前世でフィンセントと何度も練習した曲だった。


 今世でフィンセントと踊るのは、婚約解消後は初めてだ。

 彼は二回目の練習時は公務で休んでいたし、三回目の時も踊る機会はなかった。

 婚約を解消する前に何度かダンスの練習はしたが、この曲はまだ練習していなかった。


(ここから難しくなるのよね)

 フィンセントが足を踏み込み、リードしながらヴェロニカを回す。その動きに合わせてヴェロニカもステップを踏んでいく。

 二人の息はぴったりで、最後の着地も二人同時に足が止まった。


 わあっと周囲から歓声が上がった。

「すごいな」

 フィンセントが笑顔を見せた。

「六年前に踊ったことがあるとはいえ、初めての曲でここまで踊れるとは」

「……はい」

 身体は覚えているのだろうか。それは不思議な感覚だった。


 曲が終わると二人は向き合ってお辞儀をした。

「ヴェロニカ! とっても良かったわ」

 ルイーザが歩み寄ってきた。

「殿下のダンスもとてもすばらしかったですわ」

「ありがとう。ヴェロニカとは息が合うようだね」

 ヴェロニカを見てフィンセントは笑顔でそう言った。

 今の曲が最後だったらしく、管弦楽団が退出の曲を演奏し始めた。


  *****


「やっぱりヴェロニカと殿下が復縁するんじゃないかってうわさよ」

 パーティの数日後。

 明後日から夏休みを控えているため、部屋の整理をしていたヴェロニカを訪ねてきたルイーザが言った。


「え、どうして?」

「パーティの時殿下と踊ったでしょう? あの曲を練習もなしにあそこまで息ぴったりに踊れるはずもないから、きっと二人で練習していたんだろうって」

「……婚約していた時に練習したわよ」

「六年前でしょう? それだけ間があったら普通は忘れるわ」

「そう……?」

「それに、あの日殿下が踊ったのはヴェロニカだけなのよ」

「え?」

 ヴェロニカは目を丸くした。


「大勢から誘われていたのに誰とも踊らなかったのよ。それなのに最後の曲で自分からヴェロニカを誘っていたから、きっと殿下の本命はヴェロニカだって」

「……そんなことはないと思うけど」

「いいえ、あるわよ」

 ピッと指を立ててルイーザはそう言い切った。

(そうなのかしら……)

 フィンセントとは、婚約解消後は手紙のやり取りがあっただけで、顔を合わせるようになったのは入学してからだ。

 他の人たちよりは交流があるだろうけれど、でもヴェロニカがまた婚約者になるなどないはずなのに。


(そうよ、友人としてダンスに誘われたんだわ)

 ダンスの息が合ったのはヴェロニカに前世の記憶があったからだし、ヴェロニカと踊ったのも友人として誘いやすかっただけだろう。

 それに、来年になればアリサが現れるのだから、自分のことがうわさになるのも今だけだろう。

 ヴェロニカはそう納得した。

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