15「誘いたくても誘えなかったのよ」
パーティ当日は、特別に家から侍女を呼ぶことを許されている。
ドレスを着たり化粧したりすることは一人では無理だからだ。
学校でも人を用意してくれるが、人手が足りず時間がなくて大騒ぎになるし、慣れた侍女の方がいいという者も多い。
ヴェロニカも侯爵家の侍女に着付けてもらうことにした。
「お嬢様、とても素敵ですわ」
鏡に映るヴェロニカを見て侍女の一人が言った。
「ドレスもアクセサリーも、よくお似合いです」
ヴェロニカは夏らしい、水色のドレスを選んだ。
胸元やスカートの裾にはシフォンで作った花を散らしている。
アクセサリーは花に合わせてピンクサファイアやローズクォーツといったピンク色の石を使った。
(前世では殿下の色にしたくて、黄色いドレスとエメラルドだったのよね……)
相手に用意してもらうならまだしも、自分で用意したのは今思えば痛々しい、とヴェロニカは苦笑した。
髪はエリアスからもらったワックスを使い、練習の時よりも多めに前髪を左へと流した。
後ろの髪は三つ編みにしてやはり左側へと流し、ドレスと同じ花飾りをつけている。
「本当ね、お姫様みたいよ」
一緒に髪をセットしていたルイーザが言った。
ルイーザは学校で用意する使用人を利用するつもりだったが、それだと時間に余裕がないだろうとヴェロニカと一緒に着付けることにしたのだ。
「ルイーザはとても大人っぽいわね」
赤いドレスを着て髪もアップにしてまとめたルイーザは綺麗というより格好よく見えた。
「このドレスはお母様のものだけど、とても気に入っているの」
ルイーザはドレスへと視線を落として言った。
「裾の広がり方が綺麗だし、軽いから踊りやすいの」
「ふふ、ルイーザはドレスもダンスが基準なのね」
「だってこんなに大勢の前で踊れるのよ、楽しみだわ」
そう言って、ルイーザはヴェロニカを見た。
「ヴェロニカはやっぱり最初のダンスはエリアス様?」
「ええ」
「他に約束はしたの?」
「いいえ、誰からも誘われなかったもの」
パーティで一緒に踊ると、その相手と親しくなれる可能性が高い。
だから婚約者を探している者や家のつながりを求める者は相手選びに必死なのだ。
必ず踊りたい相手とはパーティ前にダンスの約束をすることも多いが、ヴェロニカはエリアス以外の相手はまだ決まっていなかった。
「それは誘われていないんじゃなくて、誘いたくても誘えなかったのよ」
「どうして?」
「そんなの、二人がガードしていたからでしょう」
「二人?」
ヴェロニカは首をかしげた。
「エリアス様と王太子殿下よ」
ルイーザは言った。
「殿下?」
エリアスはまだ分かるけれど、どうしてフィンセントもなのだろう。
「ダンスサロンの人に聞いたんだけど、男子寮でヴェロニカを誘いたいって話をしていた人が、通りがかった殿下からにらまれたんですって。その時の顔がとても怖くて皆遠慮しているそうよ」
「……どうして殿下はにらんだの?」
「どうしてって……」
ルイーザは息を吐いた。
「まあ、元婚約者が他の男に言い寄られそうになったのが嫌なんじゃないかしら」
「そうなの?」
「殿下はヴェロニカのことを気にかけているもの。そうだ、気をつけてね。それをよく思っていない女子もいるみたいだから」
ヴェロニカを見てルイーザは言った。
「ヴェロニカ様。とてもお綺麗です」
会場となるホールの前で待っていたエリアスが、ヴェロニカの姿を見て目を細めた。
「ありがとう。エリアスも素敵だわ」
黒の礼服に白いタイを巻いたエリアスは、髪をなでつけ、いつもより大人びて見えた。
「ありがとうございます」
エリアスが差し出した腕を取ると二人は並んでホールの中へと入っていった。
「まあ、華やかですごいわ」
社交界デビュー前の学生にとっては、これが初めての夜会となる。
会場内は煌びやかな光とあちこちに飾られた花にあふれ、既に管弦楽団による演奏が始まっていた。
(前世ではパーティの雰囲気を楽しむ余裕もなかったのよね)
会場を見渡しながらヴェロニカは思った。
こうやって学校生活を楽しむことができる、それはとても嬉しくて幸せなことだった。
校長による長い挨拶が終わるとファーストダンスが始まる。
前世では、この場で最も身分が高い王太子フィンセントとその婚約者であるヴェロニカが踊った。
けれど今世ではフィンセントには決まった相手がいない。
だからどうするのかと思っていたが、ダンス教師たちによる模範演技となった。
教師たちのダンスはさすがで、広いフロアを縦横無尽に踊り回るその姿はとても格好良かった。
「いいなあ、私もあんなふうに踊ってみたい……」
ヴェロニカの隣でルイーザがつぶやいた。
模範演技のあとは学生たちによるダンスタイムとなり、相手が決まっている者たちからフロアへと出ていった。
ヴェロニカもエリアスと、ルイーザは練習の時に踊ったアルヴィンとフロアに立った。
音楽が流れ始めた。
(そういえば、殿下は誰と踊るのかしら)
踊りながら、ふと気になって視線を巡らせると、片隅に人だかりが見えた。
その中心にいるのはフィンセントで、女生徒たちに囲まれている。おそらくダンスの相手になりたい子たちだろう。
(前世以上に大変ね)
あの時はヴェロニカが目を光らせていたので、集まってきたのは上級生やヴェロニカより爵位が上か同等の子だったが。
婚約者という枷がないフィンセントは誰とでも踊る可能性がある。だから皆ああしてアピールしているのだろう。
「王太子殿下が気になりますか」
耳元でエリアスの声が聞こえた。
「大変そうだと思って」
「そうですね。ところでヴェロニカ様は、他にどなたかと踊る約束はしていますか」
「いいえ」
「昨夜、園芸サロンの先輩方にメンバーで交代に踊ろうと言われたのですが」
「それは楽しそうね」
「なんでも、バルト様が弟君のあと押しをしたいそうです」
「あと押し?」
ヴェロニカは首をかしげた。
「ルート様は、カローラ様のことが気になるようですね」
「まあ、そうなの?」
副会長バルトの弟、ルートは一年生。兄に比べて大人しく口数が少ない。
そんなルートがカローラをダンスに誘うのは、確かに難しいかもしれない。
「なので、サロンメンバーで互いに踊ることにしたいとのことです」
「ふふ、それは素敵ね!」
それならば兄のあと押しもあまり負担にならないだろう。
ヴェロニカは笑顔でそう答えた。
一曲目が終わり、ヴェロニカたちがセシルの元へと向かうと、他のサロンメンバーも集まってきた。
皆いつもは制服にエプロンで土汚れも気にしないが、正装に身を包むと華やかで、やはり貴族の子息たちなのだと改めて思う。
皆で談笑したり踊ったりしている間にパーティの時間も半分以上が過ぎていた。
「少し休憩いたしましょう」
メンバー全員と踊った所でエリアスが言った。
「そうね。髪を直したいわ」
ヴェロニカはそっと前髪に触れた。
ワックスでしっかり固めてきたとはいえ、熱気のある会場で何曲も踊ったせいで崩れてきているような気がする。
「かしこまりました」
エリアスを伴い、控え室で待っている侍女の元へ向かった。
「ありがとう、エリアス。おかげでダンスを楽しむことができるわ」
廊下を歩きながらヴェロニカは言った。
傷のせいでダンスなどできないかと思っていたけれど、エリアスのアドバイスのおかげで気にすることなくダンスに集中することができたのだ。
「それは良かったです」
エリアスは笑顔を向けた。
男性は控え室の中には入れないのでヴェロニカだけが入り、髪と化粧を直して部屋から出ると、そこにエリアスの姿はなかった。
(どこへ行ったのかしら)
廊下で待っていると言っていたのだが。
「ヴェロニカ・フォッケルさん」
ここで待っていようか一旦控え室に戻ろうか迷っていると、名前を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、見覚えのない女生徒が三人立っていた。
「あなた、王太子殿下の元婚約者でしたわよね」
一人が口を開いた。
「……はい」
「でも今はもう関係がないということですわよね」
「そうですが」
「でしたらもう、殿下と関わるのはやめてくださる?」
「……どういう意味でしょうか」
ヴェロニカは首をかしげた。
「殿下は婚約者を決めないとならないの。でも候補者を紹介されても『今はまだそういう気持ちにはなれない』って全てお断りしているのよ」
「誰とも交流しようとしませんし」
「それなのにあなただけが殿下と親しくしているのはおかしくないかしら」
(……そうなの?)
そう言われてみれば、フィンセントは女子からよく声をかけられているが、会話が続いているのを見たことが無い。
教室やラウニー教授のサロンでも、ヴェロニカには話しかけてくるが他の女子生徒にフィンセントから話しかけるのを見たことがない気がする。
だから自分だけが親しいと思われるのだろうか。
「……私と殿下は、今は友人として交流させていただいています」
ヴェロニカは言った。
「ですから殿下の婚約に関するお話は、私とは関係のないことで……」
「友人?」
一人が鋭い声で聞き返した。
「王太子殿下と友人になるなんてありえませんわ」
「そうですわ。殿下をたぶらかさないでくださいます?」
(たぶらかす⁉︎)
思いがけない言いがかりにヴェロニカは目を丸くした。
(……なんでそんな根も葉もないことを……って)
前世の自分と同じだ、とヴェロニカは気づいた。
あの時の自分も、誰かがフィンセントと言葉を交わしただけでもその関係を怪しみ嫉妬していた。
(そうか……言われたほうはこんな気持ちだったのね)
困惑と不快感を覚えて、ヴェロニカは前世で自分が責めた相手に改めて申し訳なく思った。
「ちょっと。聞いているんですの?」
自問していたヴェロニカに、女生徒が目を吊り上げた。
「まったく、どうしてこんな女が殿下と――」
「そりゃあ、あんたらみたいな醜悪な女よりいいに決まってるだろ」
ふいに男性の声が聞こえた。
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