14「踊ると髪が揺れて、額が見えてしまうでしょう」

「……すっごく美味しい……!」

「え、いつも飲んでいるのとぜんぜん違うんだけど⁉︎」

「茶葉は同じなんだよね……?」

「はい。カフェから分けていただいた茶葉を使用しております」

 エリアスは笑顔で答えた。


 今日の園芸サロンは会長セシルの父親で、植物学者のバッケル博士を招いている。

 講義のあと庭園にある休憩所に集まり、エリアスがお茶の用意をしたのだ。


「これが一流執事の技か……」

 バルトがつぶやいた。

 カフェと同じ茶葉を使っているというのに香りがずっと高く、雑味のようなものも感じられず、とても美味しいのだ。

「本当に……家で飲むのより美味しいわ」

「ありがとうございます」

 ヴェロニカの言葉にエリアスは満面の笑みを浮かべて答えた。

「卒業したらヴェロニカはこのお茶を毎日飲めるのねえ。いいなあ」

 二年生のエルマがため息とともに言った。

「お茶って淹れる人によってこんなに違うんですね……」

 一年生で二組のカローラもうなずいた。


「茶葉は種類や製造方法、淹れ方によって味が全く変わる」

 バッケル博士が口を開いた。

「学者仲間で、より美味しい茶葉を作る研究をしている者がいる。彼に頼んで複数の茶葉を用意してもらい、飲み比べてみるのも面白いだろうな」

「それは素敵ですね!」

 カローラが目を輝かせた。

「その茶葉のお話も聞きたいです」

「興味があるか」

「はい!」

「そうか。興味を持ったものを大切にして、深く掘り下げていくといい」

 博士の言葉に生徒たちは皆大きくうなずいた。



「みんな、本当に植物が好きなのね」

 サロンからの帰り道、ヴェロニカは歩きながら言った。

 講義の時もお茶の時間も、皆博士に質問攻めだった。

「とても詳しいし、すごいわ」

 サロンに入る前は、植物を育てたり鑑賞したりするところなのかと思っていたが。実際は座学や講義も多かった。

「ヴェロニカ様も充分お詳しいと思います」

 エリアスが言った。

「でも、私はあそこまでにはなれないわ……」

 ヴェロニカも植物は好きだが、読書や刺繍の方がより好きだ。

「学者になるわけではないのですから、いいのでは?」

「そうだけど……」

 サロンは居心地がいいし、植物を世話したり学んだりすることは楽しいけれど、周囲の熱量に少し引け目を感じてしまうのだ。


「それを気にしていたのですか?」

「……そういうわけではないわ」

「では、なにか悩み事でも?」

「え?」

 ヴェロニカは立ち止まるとエリアスを振り返った。

「今日のヴェロニカ様はどこか暗いように感じます」

 ヴェロニカを見つめてエリアスは言った。


「そう……かしら」

「はい」

「……多分、明日からのダンスの時間が憂鬱だからかもしれないわ」

 エリアスから視線をそらせてヴェロニカは答えた。

 七月、夏休み前にパーティが開かれる。

 皆ドレスアップしてダンスを踊るので、そのための練習が明日から始まることになっている。

「ダンスは苦手ですか?」

「そうではないけれど……」

 ヴェロニカは前髪に触れた。

「踊ると髪が揺れて、額が見えてしまうでしょう」

「それは……」

「あの事故のことを後悔はしていないの。でも……傷を見られるのはちょっと、ね」

 額に残る傷のおかげで、前世のような道をたどらなくて済んでいるけれど。

 それでも、額の傷を他人に見られるのは嫌だと思う。


「――ヴェロニカ様」

 髪に触れるヴェロニカを見つめながらエリアスは口を開いた。

「傷を見せていただくことはできますでしょうか」

「え?」

「それほど気になるものなのか、確認したいと思いまして。無理にとは言いません」

 ヴェロニカはエリアスを見た。


「……傷を見て謝らない?」

 しばらく迷ってヴェロニカはそう尋ねた。

「はい」

 ヴェロニカは前髪をかき上げた。

 額の中央から左眉の上にかけて、肌の色に近いけれどはっきり分かる、一本の傷跡が横に入っていた。

「化粧で多少は誤魔化せるけど……近づけば分かるでしょう」

 ダンスは相手との距離が近い。

 前髪を厚くして、傷が隠れるよう左へ流しているが、踊っていればきっと相手に見えてしまうだろう。

 それが怖いのだ。


「――傷があっても、ヴェロニカ様の美しさが損なわれることはありません」

 エリアスは言った。

「それでも気になるのでしたら、ダンスのお相手はわたしが務めます。傷が見えないようにリードいたします」

「……ありがとう」

 真剣な眼差しのエリアスに、ヴェロニカは微笑んだ。

 エリアスだけがパートナーになることは無理だろう。

 前世での練習では相手を変えて踊っていたし、ダンスは色々な人から誘われたり誘ったりするのが普通だ。

 それでも、そうやってヴェロニカを守ろうとしてくれる気持ちがうれしかった。

「それじゃあパートナーをお願いするわね」

「お任せください」

 胸に手を当ててエリアスは答えた。


  *****


「それではまず、お手本を見てもらいます。ルイーザ・バンニンクさん、アルヴィン・ビスホップさん、前へ」

 ダンスの練習初日。

 教師の言葉にルイーザと男子生徒が前へ出た。


「二人はダンスサロンで素晴らしいダンスを披露しています。動きのキレや息の合わせ方に注意して見ていてください」

 音楽が流れ、二人は踊り始めた。

(わあ、上手……!)

 ヴェロニカは内心で歓声を上げた。

 身体にブレがなく流れるような、そして力強い動きと、指先まで意識した美しい姿勢。

 息の合った二人の踊りは見惚れてしまうほどだった。


 ダンスが終わると大きな拍手が湧き上がった。

「とっても素敵だったわ」

 戻ってきたルイーザにヴェロニカは声をかけた。

「ありがとう」

 ルイーザは照れたように笑った。

「それでは、二人一組になり、まず曲に合わせて踊ってみてください」

 教師に言われて生徒たちは動いた。


「ヴェロニカ様」

 エリアスが手を差し出してきたので、ヴェロニカはその手を取った。

 演奏が始まると、エリアスはヴェロニカの腰に手を回してステップを踏み始めた。

(踊りやすい……!)

 エリアスの所作は完璧だった。

 けれど堅苦しさはなく、ヴェロニカが踊りやすいようにリードしてくれるのだ。

 傷が見えないようにすると言った通り、ヴェロニカを大きく回すようなことはない。

 それでも周囲からはきちんと踊っているように見えるように、二人の動きをコントロールしているのだ。

「ヴェロニカ様はとてもお上手ですね」

 エリアスが言った。

「……エリアスもとても上手ね。初めて踊るのに、とても踊りやすいわ」

「ありがとうございます」


 あっという間に一曲が終わった。

「それでは、次は相手を変えてください」

「ヴェロニカ様、大丈夫ですか⁉︎」

 教師が言い終えるなり、エリアスが声を上げた。

「ボーハイツさん、どうしましたか」

「申し訳ございません。ヴェロニカ様の足を踏んでしまいまして……」

(え?)

 思いがけない言葉にヴェロニカはエリアスを見上げた。


「まあ。大丈夫ですかフォッケルさん」

「あ、はい……」

「念のため休憩してよろしいでしょうか」

「そうですね。二人の踊りは上手でしたから、無理に練習しなくてもいいでしょう」

「ありがとうございます」

 教師がうなずいたため、エリアスはヴェロニカの手を取りゆっくりと教室の隅へと連れていきイスに座らせた。


「これで今日はもう練習しなくて良くなりましたね」

「……そのためにうそをついたの?」

「はい」

 ヴェロニカが問いただすとエリアスはうなずいた。

「でも練習はあと二回あるのよ」

「それは、前髪が動かないよう工夫をすればいいかと思います」

 エリアスは言った。

「ヴェロニカ様はダンスがとてもお上手ですから、体の軸をブレさせず頭をなるべく揺らさないことを意識するようにして、あとは髪を固めれば問題ないと思います」

「髪を固める?」

「硬めのワックスで固定すれば、半日くらいなら大丈夫です」

「そうなのね」

「はい。次の練習までに用意しておきますね」

 ヴェロニカを見つめてエリアスは言った。


 彼は言った通りに次の練習の前日に、ワックスを持ってきた。

 それを使って固めると前髪はほとんど揺れず、ヴェロニカは残りの練習を安心して行うことができた。

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