13「殿下とは距離があった方がいいんだわ」

「王太子殿下! お誕生日おめでとうございます」

「おめでとうございます!」

 五月十日はフィンセントの誕生日。

 教室にフィンセントが入るなり、待ち構えていた女生徒たちがその元へと向かった。


「……ありがとう」

 女生徒たちから次々に手渡される封筒をフィンセントは笑顔で受け取った。

 学校内ではプレゼントを持ち込むことは禁じられているが、手紙は許されている。

 だから皆凝ったカードや、考え抜いたお祝いの言葉をしたためた手紙を渡すのだ。


「皆必死ね」

 そんな様子を眺めてルイーザが言った。

「……そうね」

「ヴェロニカは渡さないの?」

「一応カードは書いたけど……」

 毎年送っていたので今年も書いたけれど、これまでは領地から王都へ郵便で送っていたので直接渡したことはない。

 だからなんとなく気恥ずかしいのだ。


(殿下の誕生日……前世ではあまりいい思い出ではなかったわ)

 未成年のフィンセントは公に誕生日祝いをすることはなかった。

 それでも婚約者として毎年の贈り物はしていたけれど、フィンセントからは形式的なお礼の言葉をもらうだけだった。

 入学後、今のように女生徒たちに誕生祝いの言葉や手紙をもらい、笑顔で受け取るフィンセントを見て嫉妬心でいっぱいになっていたのだ。

 彼女たちと同等になりたくはなくて、ヴェロニカは用意したカードを渡すことができなかった。


(私が一方的に慕って、嫉妬して。破滅したのよね……)

 婚約解消をした今のほうがずっと会話もあるし、交流もできている。

 初めの頃はフィンセントと言葉を交わすたびに前世を思い出し息苦しさを感じるようになっていたが、最近ではそれもなく普通に接することができる。

(本当に、皮肉というかおかしなものね)

 もしも婚約解消しなければ、今のような関係でいたのだろうか。

 そう考え、ヴェロニカはすぐに打ち消した。


 婚約したままだったら自分は嫉妬でまた同じことをしていたかもしれない。

(きっと殿下とは距離があった方がいいんだわ)

 フィンセントを女子たちが囲むのを横目に見ながらヴェロニカはそう再確認した。



 フィンセントにカードを渡すタイミングがないまま放課後になってしまった。

「クラスの子が浮ついていたんだけど。今日って王太子殿下の誕生日なんでしょ」

 園芸サロンでヴェロニカが花壇の水やりをしていると、会長のセシルが言った。

「はい」

「やっぱり皆騒いでいるの?」

「そうですね……殿下に会いに、他のクラスや二年生の方々も来ていました」


「そんなに妃になりたいものなのか?」

 副会長のバルトが尋ねた。

「義務とか責任とか大変だろ?」

「そうねえ。でもやっぱり、国の頂点に立つ立場になれるのは魅力なんじゃない?」

 セシルが言った。

「え、お前もなりたいの?」

「私は嫌よ、毎日ドレス着てお茶してパーティに出て。面倒そうだわ」

 ため息をつきながらセシルは答えた。


「ふうん。そういやヴェロニカって元婚約者だったんだろ」

 バルトはヴェロニカを見た。

「王太子の婚約者ってどうなの? やっぱ毎日豪華なドレス?」

「そんなことはありません」

 ヴェロニカは首を振った。

「毎日お妃教育で、勉強漬けの日々でした」

「うわ、そっか。それは大変だな」

「何年前?」

「十歳の頃です」

「十歳で勉強漬けかあ。好きな勉強ならいいけど、それは嫌ね」

 大袈裟にセシルが手を振った。

「私だったら耐えられないわ」

「じゃあむしろ婚約解消して良かったくらい?」

「そ……うですね」

 バルトの言葉に、ヴェロニカは苦笑しながら答えた。

(このサロンの人たちは、本当に政治的なことに興味がないのね)

 ヴェロニカがかつて王太子の婚約者だったことは知っているし、こうやって話題にはするけれど、それについて深く追求するようなことはない。

 みな研究家気質というのだろうか、植物が好きな者たちの集まりで、居心地がいい。

(ここに入って本当に良かった)

 改めて思いながらヴェロニカは水やりを終わらせた。



「ヴェロニカ様は、王太子殿下にお祝いの手紙を渡すのですか」

 サロンが終わって帰りながらエリアスが尋ねた。

「一応カードを用意したけれど、渡す機会がなかったわ」

「……そうですか」

「毎年書いていたのに今年は渡さないのも変な感じだけれど……」

「毎年、ですか」

 エリアスは聞き返した。


「失礼ですが……婚約を解消されたあともでしょうか」

「ええ。殿下が私の誕生日に送ってくれたので、そのお返しをして……それが毎年続いたの」

「そうでしたか」

「変かしら」

 ヴェロニカはエリアスを見上げた。


「――いえ、変ではありません」

 小さく笑みを浮かべてエリアスは答えた。

「婚約を解消しても仲は良好なのですね」

「……そうね」

 実際は解消してからの方が良好になったのだけれど。

 それを人に言う必要もないと思ってヴェロニカはそれ以上言わなかった。


「ヴェロニカ様の誕生日は八月でしたよね」

「ええ」

「ちょうど夏休みですが、領地に帰られるのですか」

「いえ、王都の屋敷で過ごすつもりよ」

 もう何年も領地で暮らしていたから、今年は王都で過ごす予定だ。

 それに花壇に植えた花も気になる。

 長期休暇中は庭園を管理している庭師が面倒を見てくれるというが、メンバーが交代で世話をするというのでヴェロニカも様子を見に来たいと思っていた。


「そうですか」

「そうだ、エリアスも家に来る? 両親と会った方がいいでしょう」

 エリアスが馬車の事故のお礼にヴェロニカの執事になることを望んでいると、父親には手紙で伝えてあるが、実際にどうするかは直接会って父親に判断してもらった方がいいだろう。

「はい、是非お願いいたします」

「お父様に伝えておくから……」


「ヴェロニカ」

 声が聞こえて振り返ると、フィンセントとディルクが立っていた。

「殿下」

「サロンの帰り?」

「はい。殿下もですか」

「ああ」

「そうだ、ちょうど良かったです」

 ヴェロニカは鞄から封筒を取り出した。

「教室ではお渡しできなかったので。お誕生日おめでとうございます」

「――ああ、ありがとう」

 封筒を受け取ると、フィンセントはそれを見て口元を緩めた。

「ヴェロニカの封筒はいつも綺麗だね」

「ありがとうございます。領地にある文房具店のものなんです」

 ヴェロニカがお気に入りの店で、凝った商品や異国の珍しいものも仕入れていて、フィンセントへの誕生日プレゼントも多くはその店で買ったのだ。

「そうか。それは一度行ってみたいな」

 フィンセントは独り言のように言った。


「それでは失礼いたします」

「ああ。また明日」

「はい」

 軽く会釈をすると、ヴェロニカはエリアスと共にその場から立ち去った。


 フィンセントはヴェロニカから受け取った封筒へ視線を落とした。

 緻密な装飾が描かれた封筒には、丁寧な文字でフィンセントの名前が書かれている。


「ヴェロニカ嬢を探した甲斐がありましたね」

 その文字を見つめていたフィンセントは、背後でつぶやいたディルクを振り返ると軽くにらみつけた。

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