12「魔女って本当に存在したのかしら」

「これから行く森は、かつて『魔女の森』と呼ばれていたそうです」

 オリエンテーリング当日。

 森へ向かう馬車の中でエリアスが言った。


「魔女の森?」

「はるか昔『宵の魔女』がその森に住んでいたという言い伝えがあるのです。今回のルートにはありませんが、奥にある洞窟がその名残だそうです」

「宵の魔女が……知らなかったわ」

 この大陸を作ったとされる三人の魔女の一人で夜を司り、悪しき魔女とも呼ばれる宵の魔女。

(その魔女があの森に?)

 そんな話は前世でも聞いたことがなかった。


「ずいぶん詳しいのね」

 ルイーザがエリアスに向かって言った。

「万が一危険なことがあってはなりませんから。事前に調べました」

 笑顔でエリアスは答えた。

「そう……さすがね。でも魔女って本当に存在したのかしら」

 ルイーザは首を捻った。

「誰も会ったことがないのでしょう」


「そういえば、私がいた治療院の森に古い塔があって。そこで魔女に会えるって聞いたわ」

 ヴェロニカは思い出した。

 治療院の片隅に小さな森があり、その樹々の間から石を積んだ古びた塔の先端が見えたのだ。


「え、その塔に入ったの?」

「いいえ。入れるのは院長だけよ」

 それにその森は昼でも薄暗く感じられて、近づこうとは思えない雰囲気だった。

「……治療院ではどんな治療をしていたんだ?」

 フィンセントが口を開いた。

「毎日薬を塗っていました。茶色くて、臭いがすごいんです。最初の頃は慣れなくて、あまり眠れませんでした」

 治療院の薬はどれもみな臭いが強い。

 ヴェロニカはまだ塗り薬だったから良かったが、病気などで飲み薬を飲まないとならない人はとても大変そうだった。


「なぜそんなに臭うのでしょう」

 エリアスが尋ねた。

「お医者様が言うには、薬の材料に魚や動物を使っているからだって……」

「動物!?」

 馬車内がざわついた。

 普通の薬は植物から作られ、生物は使わない。

 生物を使うのが魔術で作る薬の特徴なのだと医師は言っていた。


「え……その薬大丈夫なの?」

「大丈夫なように調合する技術が『魔術』なんですって」

 顔色を変えたルイーザにヴェロニカは答えた。

 治療院内も常に独特の臭いが漂っていて、慣れるまでは苦痛だったが今となっては懐かしい臭いだ。


「ヴェロニカが治療院にいたのは半年だったか」

「はい」

 フィンセントの言葉にヴェロニカはうなずいた。

「半年も……大変だったな」

「友人もできましたし、今となってはいい思い出です」

 あの臭いも、アンとその妹弟たちとの日々も。



 途中で昼食を取ってから森の入り口へ到着した。

「それでは時間をずらしてチームごとに出発する。迷ったりなにか起きたりしたらすぐに笛を鳴らして呼ぶように」

 全員に笛が配られた。

 他にチームごとに地図とコンパスを一つずつ。

 先日渡されたものよりも詳細な地図には三カ所のチェックポイントがあり、そこにある木の枝に巻かれているリボンを取ってゴール地点に向かうのだ。

 目標は休憩を含めて三時間。ヴェロニカたちのチームは最後に出発した。


「あれ、地図がおかしくない?」

 地図を回しながらルイーザは首をかしげた。

「まず地図とコンパスの方角を合わせてください」

 ディルクが言った。

「合わせているわよ」

「現在地は把握していますか」

「ここでしょ」

「そこは別の道です」

 少し呆れたようにディルクは答えた。

「え?」

「ルイーザって、本当に地図を見るのが苦手なのね」

 眉根を寄せて地図をにらむルイーザにヴェロニカはおもわず笑みがもれた。


 このオリエンテーリングは地図を読む力を養うのが目的なので、苦手だというルイーザに二つ目のチェックポイントを任せることにしたのだ。

 何カ所か分岐があるルートで、途中までは問題なく進むことができたのだが現在地が分からなくなってしまったらしい。

 皆に教えてもらいながら、無事に二つ目のチェックポイントに到着することができた。


「ここで休憩にしよう」

 フィンセントが言った。

「ヴェロニカ様とルイーザ様はこちらへ」

 すかさずエリアスが草地へ持参していたブランケットを広げて女子二人を促した。

「ありがとう」

「キャンディも用意いたしました」

「……準備がいいのね」

 エリアスから受け取ったキャンディを見てつぶやくとルイーザはそれを口に放り込んだ。

「甘くて美味しいわ」

 ヴェロニカは口の中でキャンディを転がした。

 二時間近く歩いて疲労感を覚えた身体に甘みがいきわたっていく。

(ふふ、前世と違って楽しいわ)

 あの時は、ただつらかった。

(本当に……あの時の私はどうしてあんなに壊れてしまったのだろう)

 前世のヴェロニカも、今のヴェロニカにも分からなかった。



(そういえば、あれが起きたのはどの辺だったのかしら)

 休憩が終わり最後のチェックポイントに向かいながらヴェロニカは思った。

 前世で同じチームの女子が怪我をしたのは、もう少し歩いた場所だっただろうか。

(あの時は……確か突然変な臭いがして、強い風が吹いたのよね)

 それで風に煽られて、女子は転倒し、足を折ってしまったのだ。

 風はあまりにも強くて、腕の服や皮膚も裂け、出血も多かった。

(そう、こんな感じに木々が多くて暗い雰囲気で……)

「そういえば、先刻言った魔女の洞窟はこの川を下った先にありますね」

 地図を見ていたエリアスが口を開いた。


「川の先?」

「ええ、あちらの方角です」

 指で指し示した先をヴェロニカは振り返った。

 ふと頬に風が当たるのを感じた。

 そうして、かすかに感じる程度の不快な臭いが鼻をくすぐった。

(え……)


『逃げて!』

 ふいにヴェロニカの脳内に声が響いた。

 視界の隅にルイーザの姿が入り――前世の光景がその姿に被った。


「危ない!」

 無意識にヴェロニカの身体が動いた。

 ルイーザの腕をつかんで強く引き寄せるとその勢いで二人の身体は倒れ込み、そのすぐ上を一陣の風が猛スピードで走り抜けていった。

「……いった……」

「……ごめんね、大丈夫?」

 うめいたルイーザにヴェロニカは慌てて上体を起こすとその顔をのぞき込んだ。


「ヴェロニカ様!」

 エリアスが駆け寄った。

「お怪我は!」

「……大丈夫よ。ルイーザは?」

「大丈夫……」

「ヴェロニカ様……」

 エリアスは立ち上がろうとしたヴェロニカに手を差し出しながらため息をついた。

「あなたという方は……本当に……」

「ヴェロニカ!」

 フィンセントは立ち上がったヴェロニカの肩をつかんだ。

「なにをしているんだ! 自ら危険に飛び込むだなんて」

「……ええと、危ないと思ったら自然に身体が動いて……」

「普通は避けるものだろう」

 フィンセントは少し声を荒げるとその眉根を寄せた。

「――あの時も君はこうやって、自ら行ったのか」

「え? あ……」

 ヴェロニカは六年前を思い出した。

 確かに、あの馬車の事故の時と今の状況はとてもよく似ているように思えた。


「ヴェロニカ様……申し訳ございません」

 エリアスは深く頭を下げた。

「私がお守りすべきでした」

「あ、ええと。私がとっさに動いてしまったせいだから」

 ヴェロニカは慌てて手を振った。

「そうやって謝らないで」

「いいえ、私の落ち度です」

「私が勝手にしたことなのよ。それに今回は怪我しなかったのだし」


「……そういう問題ではございません」

 エリアスは頭を下げたまま首を振った。

「確かに無事でしたが、あの風に当たっていたら大怪我をしていましたね」

 ディルクが言った。

「非常に強くて、危険な風でしたから」

「大怪我……」

(やっぱり、前世と同じなのね)

 ここで風に襲われるのは。あの時も被害にあった女生徒は大怪我をして、復帰したのは夏休み明けだった。

(今回はルイーザで、でも怪我はしなかったから……良かった)

 胸をなで下ろしたヴェロニカの身体を、誰かが抱きすくめた。


「ヴェロニカ……本当に君は……」

「……殿下?」

「もう二度と危険なことはしないでくれ」

 フィンセントはヴェロニカを強く抱きしめた。


  *****


「今日のオリエンテーリングは大変だったわね」

 寮に戻り、着替えを済ませたルイーザがヴェロニカの部屋を訪ねてきた。


「ええ。痛みはないの?」

「倒れた時は少し痛かったけど、今はもう全然」

 答えて、ルイーザは眉をひそめた。

「助けてもらって言うのもなんだけど、ヴェロニカは自分を大事にすべきだわ」

「え?」

「男子が三人もいたんだから、ヴェロニカが動くことはなかったんじゃないかしら」

「……そうね、でも……無意識に身体が動いてしまったんだもの」

 あの臭いと声に反射的に動いてしまったのだ。

(あの臭いはなんなのかしら……それにあの声)

 あの『逃げて』という声は、前世では聞こえなかったはずだ。

(そういえば……六年前の時も声が聞こえたわ)

 あの時の声と今日の声は、似ているような気がする。

(誰の声なんだろう……)

 同じ声なのだろうか。どうして聞こえるのだろう。


「ヴェロニカって……そういう子よね」

 声について考えていると、ルイーザがため息をついた。

「優しすぎるというかお人よしというか」

「……そんなことはないわ」

「でも色々鈍くて自覚がないから、きっと王太子殿下も放っておけないのね」

「え?」

「馬車に乗っている時も、ずっと心配でたまらないという顔で見ていたわよ」

「……そうなの?」

 ヴェロニカは気がつかなかったけれど。そんな顔をしていただろうか。

「そう、あと顔といえば、殿下に抱きしめられたでしょう」

「……ええ」

「あの時のエリアス様の顔、すごかったわ」

「すごい?」

「ええ。傍観している側は面白いけど、当事者になると大変よね」

 首をかしげるヴェロニカに、ルイーザは意味ありげに笑みを浮かべた。

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