11「知りたいからだ」

「ヴェロニカ。あなたまたうわさになっているわよ」

 入学して二週間がたった。

 寮にあるヴェロニカの部屋にやってきたルイーザが、開口一番そう言った。


「うわさ?」

「フォッケル侯爵家の令嬢は最強の護衛がついているから近づけないって」

「え……どういう意味?」

「ヴェロニカとお近づきになりたい男子は多いのよ。侯爵家の後継娘だし、婚約者がいないでしょう? でもあの執事見習いががっちりガードしているから、話しかけることもできないのよ」

「……そうなの? 知らなかったわ」

 ヴェロニカは目を瞬かせた。


「でも実際、男子と会話していないでしょう?」

「そんなことはないわ、園芸サロンで色々お話ししているもの」

「それ以外では?」

「――そういえば、殿下としかお話ししたことがないかも……」

 ヴェロニカは初めて気づいた。

 というより特に気にしていなかったけれど、言われてみればサロン以外で男子と交流したことはない気がする。


「でも、どうしてそんなことをするの?」

「どうしてって。悪い虫がつかないようにじゃないの」

「悪い虫……」

「あの人ずいぶんヴェロニカに心酔しているみたいだし」

「……それは」

 ルイーザの言葉にヴェロニカは苦笑した。

 エリアスからすればヴェロニカは命の恩人なのだから、態度が特別になるのは仕方がないだろう。


「ボーハイツ家出身の執事って能力がとても高いのでしょう。やっぱり彼もそうなの?」

「どうなのかしら。学校では執事の仕事はないし……所作はとても綺麗だけれど」

 まだ知り合って二週間しかたっていないのだ、そこまで彼のことを知っているわけではない。


 執事の仕事は主人の身の回りの世話や仕事の補佐など多岐に渡るが、学校では基本、生徒は自分のことは自分でしないとならないので執事の出番はない。

 それに寮は男女に分かれ、異性が寮に入ることができないから、エリアスとは学校の中でしか会わないのだ。

(前世のエリアスは怪我のせいで執事にはなれないとされていたし……)

 エリアスの執事としての能力がどうか、ヴェロニカにはまだ分からなかった。


  *****


「来週はオリエンテーリングを行う。これは地図やコンパスの使い方を学び、自分たちの力で道を選び行動できる力を養うものだ」

 次の日。授業終わりに用紙を配りながら担任のブレフト先生が言った。

「一チーム五人で四チーム作る。男女比が偏りすぎないように。チーム分けは明日までに各自で決めておけ」

(ああそうだったわ、ここに行ったわね)

 地図が書かれた用紙を眺めながらヴェロニカは前世を思い出した。


 王都を出てすぐにある小さな森で行われるこのオリエンテーリングで、前世の時ヴェロニカはフィンセントと同じチームだった。

 そうして一緒のチームになった女子に嫉妬心を抱いたのだ。

(あの時は……つらかったわ)

 まだ入学して一月もたっていない時期で、ヴェロニカは自分の中に湧き上がりつつある感情に戸惑いながらも、まだそれが外に出るのを抑えられていた。

 けれどそのオリエンテーリングで、フィンセントが怪我をした同じチームの子を助けて抱え上げたのを見た瞬間に――タガが外れたのだ。

(そう……あの時からだったわ)

 自分がおかしくなってしまったのは。


「ヴェロニカ、一緒のチームになりましょう」

 ルイーザが声をかけてきた。

「ええ」

「あなたも一緒なんでしょ」

「はい」

 ルイーザが歩み寄ってきたエリアスに尋ねると、エリアスは笑顔でうなずいた。

「じゃあこの三人と、あと二人ね。男子は入れないと……」

「では我々を加えてもらえるかな」

 声が聞こえて振り向くと、フィンセントとディルクが立っていた。


「殿下……」

「これで五人だろう?」

 ヴェロニカはルイーザと顔を見合わせた。

(人数的にはちょうどいいけれど……)

 前世を思い出してしまうのでフィンセントと同じチームになるのは少し抵抗があった。

(でも……王太子殿下自ら声をかけてきたのだから断れないわよね)

「かしこまりました」

 同じように思ったのだろう、ルイーザが答えたのでヴェロニカもうなずいた。



「王太子殿下はヴェロニカ様と一緒のチームですって」

「殿下からお声をかけたそうよ」

「まあ、じゃあやっぱりヴェロニカ様が婚約者候補なのかしら」

「でも婚約は解消したのでしよう?」

「王太子殿下はまだ未練があるといううわさよ」


(好き勝手に言っているな)

 聞こえてくる声に耳を立てながら、ディルクは廊下を歩いていた。

(だが……ほぼ事実だ)

 婚約者候補からは外れているが、フィンセントがヴェロニカに未練を残しているのは本当のことだ。

 フィンセント本人がそれを口にしたことはないが、長年側で仕えているディルクにはよく分かる。

 誕生日にヴェロニカから贈られたペン軸を今でも愛用し、彼女からの手紙や刺繍入りのハンカチやタイは大切に仕舞ってあるのだ。


 校舎の最上階にある一室の前で立ち止まると、ディルクはドアをノックした。

「戻りました」

「入れ」

 室内に入ると正面にある執務机に向かってフィンセントが書き物をしていた。

 ここはフィンセントが王太子としての公務を行うために用意された部屋だ。

 王太子ともなると学業に専念することはできず、公務と学業を並行して行わなければならない。


「書類は確かに渡してきました」

「ご苦労」

「それからこちらが、エリアス・ボーハイツに関する報告書です」

 ディルクは持っていた封筒から取り出した書類をフィンセントに手渡した。


 ペンを置くと、フィンセントは報告書を受け取り読みはじめた。

「――彼やその身内があの事故の場にいたかは分からないか」

 読み終えた報告書をディルクに返しながらフィンセントは言った。

「護衛もヴェロニカ嬢を救うのに必死で、周囲まで見えていなかったようですね」

 受け取った報告書に目を通しながらディルクは答えた。

「だが、他に二家の接点はない。やはりあの事故に関わっている可能性が高いな」

「関わりを調べてどうなさるおつもりですか」

 ディルクは尋ねた。


「……どうもしない」

 少し考えてフィンセントは答えた。

「ではなぜ調べさせたのです?」

「知りたいからだ」

 ディルクを見上げてフィンセントは答えた。

「エリアス・ボーハイツがヴェロニカの執事になると決めたことに、正当な理由があるかを」

「正当な理由がなかったら?」

「阻止する」


「……殿下にその権限はないと思いますが」

 きっぱりと言い放ったフィンセントに、小さくため息をついてディルクは言った。

「もう婚約者ではないのですし、決めるのはフォッケル侯爵です」

「だが私には彼女に対する責任がある」

「それについては王家と侯爵家の間で話がついていると聞きましたが。殿下だってもう何度も謝罪しているのでしょう」

 ディルクの言葉に無言のフィンセントに、ディルクはもう一度ため息をついた。

「婚約者でもないのに特定の女性を気にかけるとあらぬ誤解が生じます」

「……分かっている」

「さっさと未練を捨てるか受け入れるかして、いずれにしても在学中に婚約者を決めてください。陛下からも申しつけられているのでしょう」


「……そうだな」

 ふ、と今度はフィンセントがため息をついた。

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