10「人柄なんて、全然良くないわ」

「面白かったわ」

 サロンの見学を終えて、ヴェロニカとエリアスは寮へと向かっていた。

 花壇の土を掘って、容器から取り出した苗の根を崩して掘った穴に植える。

 簡単な作業だったが、ヴェロニカには初めてで全てが新鮮だった。


「土って柔らかくて少し温かくて、いい匂いがするのね」

「それは土に栄養がたっぷりある証しでしょう」

「まあ、そうなのね……。もしかして土も生きているということかしら」

「はい」

「凄いわ」

 目を輝かせたヴェロニカにエリアスは頬を緩めた。

「ヴェロニカ様は園芸サロンに入られるのですか」

「そうね、先輩方も優しそうだったし……」

「ヴェロニカ」

 呼ばれた声に振り返ると、フィンセントとディルクが立っていた。


「殿下」

「サロンの見学か?」

「はい。園芸サロンへ行ってきました」

「園芸?」

 一瞬不思議そうにフィンセントは目を丸くしたが、すぐに小さくうなずいた。

「ああ、前に手紙で花を育てたいのに、やらせてもらえないと書いていたな」

「……覚えていたのですか」

 確かに数年前、フィンセントへ手紙を出したときにそんなことを書いたような気がする。

「ヴェロニカからの手紙は全て覚えているよ」

 フィンセントは笑顔で答えた。

「まあ、さすが殿下ですね」

 記憶力の良さにヴェロニカが感心していると、ディルクが一瞬なにか言いたそうな目でヴェロニカを見た。


「――ところで君は、エリアス・ボーハイツだったな」

 フィンセントはヴェロニカの後ろに控えていたエリアスを見た。

「ヴェロニカと一緒にいたのか」

「はい。ヴェロニカ様の執事見習いとしてお仕えさせていただくことになりました」

 胸に手を当ててエリアスは答えた。

「執事見習い?」

 聞き返すと、フィンセントはヴェロニカへ視線を送った。

「はい、色々ありまして……」

「色々とは」

「ええと……以前、うちがボーハイツ家を助けたことがあったそうで、そのご縁で」

 事故でヴェロニカがエリアスたちをかばったということを、わざわざフィンセントに言うことはないとヴェロニカは思った。

 もうあの事故は過去のことなのだし、エリアスがなにか言われるようなことがあっては面倒だ。

「……それで、ボーハイツの次期当主はヴェロニカの執事になると?」

「仰せの通りです」

 フィンセントの問いかけに、エリアスは頭を下げて答えた。

「誠心誠意務めさせていただきます」


「……そうか」

 なにか考えるように、少し視線を落としてそう言うと、フィンセントは再びエリアスを見た。

「君は武術の心得はあるか」

「はい」

「一昨日、ヴェロニカにつきまとおうとした者たちがいた。これからも出てくるだろう。そういう者から彼女を守れ」

「――畏まりました」

 エリアスは深く頭を下げた。


「ところで、ヴェロニカは園芸サロンに入るのか」

 フィンセントはヴェロニカに向いた。

「はい、そのつもりです」

「他に入る予定は」

「いえ……特には」

「私は政治サロンに入るのだが、もうひとつ、ラウニー教授のサロンに入ろうと思っている」

「ラウニー教授?」

「学校に隣接する王立博物館の元館長で、若い頃は諸国を旅していたそうだ。その教授の話を聞くサロンがある」

「それは面白そうですね」

「ヴェロニカも一緒に入らないか」

 ヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。

「頻度も少ないし、都合のいい時だけ出ればいいからかけ持ちしやすい。王宮で講義をしたこともあるが、話も面白かった」


(博物館の元館長……ああ、確かに面白いお話だったわ)

 ヴェロニカも前世で一度、お妃教育の一環で聞いたことがあった。

 旅の経験を交えて語る教授の話はユーモアにあふれ、難しい内容もすんなり頭に入るのだ。

 配布されたリストにはラウニー教授による講義と意見交換会としか書かれていなかったので、あの時の講師とは気づかなかった。

「ぜひ参加してみたいです」

「そうか。明後日一回目の講義がある。一緒に行こう」

「はい」

 ヴェロニカがうなずくと、フィンセントはほっとしたように笑みを浮かべた。



「――ヴェロニカ様は王太子殿下と親しいのですか」

 フィンセントたちが立ち去るとエリアスが尋ねた。

「親しいというか……婚約解消したことを気にかけてくださっているの」

 少し考えてヴェロニカは答えた。

 前世ではフィンセントがヴェロニカのことを気にかけるなど一度もなかったけれど。

 フィンセントもまた、前世の彼とは性格も変わったように思う。

 その口調も穏やかだし自己中心的なところは見られない。

「だから、私が怪我をした場にエリアスがいたことは、殿下や他の人には言わないで欲しいの。昔のことを蒸し返してあまり殿下に負担をかけてはいけないから」

 フィンセントが今後新たな婚約者を立てるのに、自分のことがネックになってはいけない。

 ヴェロニカはそう思った。


(私の方から婚約解消したんじゃなくて、傷を理由に婚約破棄されたことも……エリアスには教えられないし)

 そんなことを知ってしまったら、エリアスの罪悪感は増すだろう。

「……畏まりました。ヴェロニカ様の仰せの通りにいたします」

 頭を下げてエリアスは答えた。


  *****


「王太子殿下! よろしかったら昼食をご一緒いたしませんか」

 午前の授業が終わり、教師が出ていった途端二人の女生徒がフィンセントの元へと駆け寄った。


「ああ、悪いけど昼食は別室で取ることになっているんだ」

 フィンセントは穏やかな笑顔で二人を見上げた。

「公務を処理しないとならなくてね」

「そうなのですか……」

「では、放課後は……」

「放課後は政治サロンに行くことになっている」

 答えながらフィンセントは立ち上がった。

「失礼するよ。ディルク」

「は」

 ディルクを連れてフィンセントは教室から出ていった。


「皆殿下に取り入ろうと必死ね」

 ルイーザが横目で見ながら言った。

「……ええ」

(前世と同じだわ)

 毎日のように誰かしらがフィンセントの元にやってきては、声をかけて近づきになろうとした。

 そうして、それを見ていたヴェロニカは不快感を覚え、少しずつ嫉妬心を増していったのだ。

(でも……今思えば、殿下は誰も相手にしていなかった)

 フィンセントに声をかける女性は多かったが、彼はいつもやんわりと拒否していたし、自分から近づくことはなかった。――アリサ以外は。

 ヴェロニカは胸の奥に鈍い痛みを感じた。

(ああ、嫌だ)

 ふとした瞬間に前世の記憶や感情を思い出してしまう。

 前世と今では色々と違うのに。

「ヴェロニカ、お昼に行きましょう」

 ルイーザの声にヴェロニカは我に返ると慌てて立ち上がった。



 食堂は各自食べたいものを取るビュッフェ式になっている。

「このお魚、美味しいわ」

 前世でヴェロニカは食堂で食べられる魚のソテーが好きだった。

 この食堂のものは脂っこくなく香草の香りがよく効いていて、とても美味しいのだ。


「……ところで」

 美味しそうに魚を食べるヴェロニカを眺めていたルイーザは、その隣へと視線を送った。

「彼は当然のようにいるのね」

「ヴェロニカ様の執事見習いですから」

 完璧といえるほどいい姿勢で食べていたエリアスは、フォークを置くとそう答えた。

「……執事って主人と一緒に食べないんじゃないの」

「ここは学園ですし、それに護衛も兼ねておりますので」

「護衛?」

「王太子殿下から、入学式のあと二年生に声をかけられたと聞きました」


「ああ……」

 ルイーザはうなずいた。

「そうね。虫除けがついていたほうがいいわね」

「はい。王太子殿下からもヴェロニカ様を守るよう仰せつかりました」

「殿下から?」

「王太子殿下はヴェロニカ様のことを気にかけていらっしゃるようですね」

「……ディルク様からヴェロニカのことを聞かれた時に、なんでそんなことを聞くのか疑問だったけど……」

 ルイーザはヴェロニカを見た。

「もしかしたら、本当にヴェロニカは王太子妃候補なのかしら」


「え?」

 ヴェロニカは目を見開いた。

「それはありえないわ。だって婚約は解消したのよ」

「でもそれって、怪我が理由だったのでしょう? もう治っているのだから問題はないわよね」

「……でも、傷が残っているから……」

 ヴェロニカは独り言のように小さくつぶやいた。

「傷を隠す方法は色々ありそうだけど」

 ルイーザがエリアスを見ると、エリアスも同意するようにうなずいた。


「……でも、ともかく私がまた婚約者になることはないわ」

 今度ははっきりとヴェロニカは言った。



 午後の授業が終わると、ダンスサロンへ行くルイーザと別れ、ヴェロニカとエリアスは園芸サロンへ向かった。

 他のサロンへ見学に行くことも考えたが、昨日植えた苗が気になるのと、今日は王立植物園の学芸員が来ると聞いたのだ。

 せっかくだから専門家の話を聞きたいと思い、今日も園芸サロンへ行くことにした。


「ヴェロニカ様」

 庭園へ向かう通路を歩いているとエリアスが口を開いた。

「ヴェロニカ様は、王太子殿下のことをどう思われているのですか」

「え?」

 ヴェロニカは立ち止まると振り返った。

「ルイーザ様も仰っていましたが、私もヴェロニカ様は王太子殿下のお妃候補だと思います」

「……どうして?」

「家柄も成績も、人柄も素晴らしい。お妃として最適のお相手かと」


「――人柄なんて、全然良くないわ」

 ヴェロニカは首を振った。

「そのようなことは……」

「私は、とても嫉妬深くて醜いの」

 否定しようとしたエリアスの言葉を遮るようにヴェロニカは言った。

「嫉妬深い……のですか?」

「ええ。殿下は国王になる人だから、他に妃を娶ることもあるでしょう?」

 たとえば妃に子ができない場合。また権力争いの対策など、政治的な事情で他に妃を持たないとならなくなることもあるだろう。

「そうなったら……嫉妬でなにをするか分からないもの」

 前世の自分と、今の自分は違うと思いたいけれど。

 また同じ状況になったらどうなるか分からないし、同じことを繰り返しそうで怖かった。



「――もしかして、それが婚約を解消した理由の一つなのでしょうか」

「いいえ、それは違うわ。でも……婚約を解消して良かったと思っているの」

 前世で経験したからとは言えないけれど。

 それでも婚約解消がむしろ好ましいということは伝えておいたほうがいいと思った。

「私は婿を取ることになるだろうし……そうね、お相手は私だけを見て、愛してくれる人がいいわ」

 そんな人がいるかは分からないし、傷物の自分を愛してくれる人がいるかは分からないけれど。


「そうなのですね。ヴェロニカ様のお気持ちは承知いたしました」

 エリアスはうなずいた。

「ですが、嫉妬深いからといって醜いということは、決してないと思います」

「……そうかしら」

「はい。ヴェロニカ様はとても愛情深い方なのですね」

 エリアスは微笑んだ。

「愛情深い……?」

「ヴェロニカ様はご自身の危険を顧みず相手を助けられるような、とても愛情深い方です。その深い愛情で相手を想うあまり、嫉妬深くなってしまうのではないでしょうか」

「そう……なのかしら」


「私はそう思います」

 笑顔のままエリアスは答えた。

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