09「やっぱり学校に来たら思い出してしまうわ」

 週明け。

 校舎脇の掲示板にクラス分けが掲示されていた。

「ヴェロニカと同じ一組だわ」

 ルイーザがうれしそうに声を上げた。

「本当ね。良かったわ」

 ヴェロニカも安堵した。

 友人が同じクラスというのは心強い。

 ルイーザは前世でも一組だった。当人は数学が苦手だと言っていたが、他の科目は優秀なのだ。


 クラス分けは男女の割合が偏りすぎないよう調整されてはいるが、基本成績順で決められている。

 一組にはヴェロニカたちの他にフィンセントとディルク、そしてエリアスの名前もあった。

(エリアスは前世では別のクラスだったわよね……)

 顔は見かけたような気がする程度だから、同じ教室ではなかったはずだ。

(クラスが違ったにしても、影が薄かったというか……私が男子に興味がなかっただけかしら)

 あの時はフィンセントに近づこうとする女生徒たちを攻撃するのに忙しくて、関係ない生徒まで意識が向いていなかったのだ。


「今年の一組は近年稀に見る優秀な生徒が集まっているな」

 教室へ入り席についていると、現れた担任が開口一番そう言った。

 担任は前世と同じ、アヒム・ブレフト先生だ。

「一昨日のテストで満点が三人。王太子殿下とディルク・コーレイン、エリアス・ボーハイツ。次点が二点マイナスでヴェロニカ・フォッケルだ」

 教室がざわついた。

(あ……あの問題かしら)

 歴史のテストで、一カ所人名を書く問題で迷ったものがあったのだ。


「ヴェロニカ、凄いじゃない!」

 隣の席のルイーザが声を上げた。

「ありがとう」

「王太子殿下はさすがね。ディルク・コーレイン様も殿下の側近だけあるし、エリアス・ボーハイツ様はあの執事の方でしょう」

「ええ」

「やっぱり優秀な方は凄いのね」

(前世では……ディルク様だけ満点だったのに)

 他の二人も満点というのは意外だった。

(エリアスは怪我をしていないから本来の能力を発揮できたのかしら。でも殿下は……どうしてかしら)

 前世では、最初のテストでフィンセントとヴェロニカはマイナス三点だった。

(殿下と同じ点数だって喜んでいたのよね……)

 入学してすぐの時はフィンセントと少しでも共通点があるといちいち喜んでいた。


(ああ……やっぱり学校に来たら思い出してしまうわ)

 前世の様々な記憶や感情を。

 ヴェロニカは内心ため息をついた。



「このサロンには必ず一つ以上参加しないとならないからな。今週中に決めて申し込むように」

 一年間のカリキュラムや注意事項などについて説明したあと、ブレフト先生はサロンの説明を始めた。


 サロンとは、授業とは別に政治や芸術など特に興味がある分野ごとに生徒が集まり、議論を交わしたりその腕を磨いたりする場だ。

 このサロンは成人後、社交界に出ても開かれるもので貴族にとって重要なものであり、その予行練習でもあるのだ。

(サロン……そうよね、好きなものを選べるのよね)

 前世は王太子妃の婚約者として、半ば強制的にフィンセントと共に政治サロンに入っていた。

 あの時はフィンセントと同じサロンに入れることがうれしかったけれど、今のヴェロニカは自分の興味を優先して選ぶことができるのだ。


「どうしよう……」

 けれど自由となると、どれも興味が出て迷ってしまう。

「私はもう決めているの」

 リストを見ながらルイーザが言った。

「ダンスサロンに入るわ」

「ふふ、ルイーザらしいわね」

 ルイーザはダンスが得意で難しい技を覚えるのが好きなのだ。

「ヴェロニカも入る?」

「ダンスはちょっと……」

「ああ、そうだったわね」

 ヴェロニカがそっと前髪に触れるとルイーザはうなずいた。

 あまり大きく踊ると前髪が揺れて額の傷が見えてしまう。だからなるべく踊らないか、踊っても動きの少ないものがいいのだ。


「私はどうしようかしら。音楽か絵画か……お茶のサロンもあるのね」

「読書は?」

「それはいつも読んでいるから、別のものがいいわ」

 せっかくだから新しいことを試してみたいと思いながら、リストを見ていたヴェロニカの視線がある箇所で止まった。



「ヴェロニカ様」

 放課後、ヴェロニカが一人教室を出ると声をかけられ、振り返るとエリアスが立っていた。

「サロンの見学ですか」

「ええ」

「どちらへ?」

「園芸のサロンに行こうと思って」

「園芸ですか」

 エリアスは意外そうな顔で聞き返した。

「友人が花を作っていて。私もやってみたいと思っていたの」

 領地でやろうとしたけれど、お嬢様に土いじりなどさせられませんと侍女たちに拒否されてしまったのだ。

「そのご友人はこの学園にいらっしゃるのですか」

「いいえ。アンは治療院の近くに住んでいる、農家の子なの」

「治療院……」

「あ、治療院の生活は結構楽しかったのよ。友人もできたし」

 顔を曇らせたエリアスにヴェロニカは慌てて言った。

「……そうでしたか」

「エリアスはどのサロンに入る予定なの?」

「私はもちろん、ヴェロニカ様と同じところです」

 姿勢を正すと胸に手を当ててエリアスは答えた。


 園芸サロンが管理しているという庭園の一角へ向かうと、そこには五人の生徒が花壇の前で屈んでなにか作業を行っているように見えた。

「あら、見学希望?」

 髪をひとつにまとめた女生徒が二人に気づいて立ち上がった。

「はい。ヴェロニカ・フォッケルと申します」

「エリアス・ボーハイツと申します」

 ヴェロニカが名乗ると、その後ろでエリアスも頭を下げた。

「私はこの園芸サロンの会長を務めるセシル・バッケルよ。よろしくね」

「おお、美男美女だな」

 男子生徒が二人の前に来た。

「俺は副会長のバルト・デルフト。フォッケル家って侯爵家だよな。そんな家のお嬢さんが土いじりしたいのか?」

「はい。家ではさせてもらえなかったので、やってみたいんです」

「なるほどね。虫も出るが大丈夫か?」

「……頑張ります」

 一瞬ヴェロニカは戸惑ったがすぐうなずいた。

 虫は見た目が気持ち悪いものもいるけれど植物にとって大切な存在であるし、自然とは綺麗なものだけではないのだとアンも言っていた。


「ヴェロニカ様。虫の対処は私がいたしますのでご安心ください」

 エリアスが言った。

「……ボーハイツって執事の家だっけ」

 バルトはエリアスを見た。

「はい。今はヴェロニカ様の執事見習いをさせていただいています」

 エリアスの言葉に五人がざわついた。


「執事見習い?」

「え、君、兄弟は?」

「弟が一人おります」

「……ボーハイツ家の嫡男がフォッケル嬢の執事になるってこと?」

「はい。これは一族の総意です」

 エリアスは笑顔で答えた。

(やっぱり……変よね)

 動揺を隠せない生徒たちにヴェロニカも心の中でうなずいた。

 ボーハイツ家直系の執事は国内一の執事だと、多くの貴族たちが欲しがる存在だ。

 その嫡男が侯爵家とはいえ、令嬢の執事になるというのは異例だろう。


「そうなの……まあ、それは置いておいて」

 会長のセシルが背後の花壇へ視線を送った。

「このサロンは見ての通り、この花壇で植物を育てたり、あとは植物や庭園造りに関する知識を学んだりするわ」

「庭園ですか」

「植物を美しく見せる工夫も大事なの。同じ花でも植え方によって見栄えは全然違うのよ」

「そうなのですか」

「ええ。それに季節や植物の種類によっても組み合わせを考えないとならないの」

「面白いですね」

「そうよ、面白くて奥深いの」

 ヴェロニカの言葉にセシルは笑顔でうなずいた。


 この場にいたのは二年生の男子二人と女子二人。

 残りの一年生、ルート・デルフトはバルトの弟だ。

 デルフト兄弟の家は大きな商会を持っていて、諸外国から珍しい植物を仕入れているのだという。

 セシルは父親が植物学者で、このサロンを立ち上げた初代会長なのだそうだ。


「今は花壇に花の苗を植えていたんだ」

 バルトが小さな容器に入った苗を示した。

「直接花壇に種を蒔くと寒さや虫にやられやすいからな。ある程度成長するまで暖かい場所で育てるんだ」

「なるほど……」

「あなたたちもやってみる?」

「いいんですか?」

 セシルの言葉にヴェロニカは目を輝かせた。

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