03「今度は、間違えないようにしないと」
「こんにちはヴェロニカ。今日もいいお天気ね」
花を持ってきたアンが笑顔で言った。
「こんにちは、アン。初めて見る花だわ」
「ええ、今年初めて咲いたのよ。綺麗でしょう」
アンはヴェロニカに花束を手渡した。
「ネメシアっていうのよ」
「いい香り……」
花に顔を近づけてヴェロニカはその香りを吸い込んだ。
淡い紫色の小さな花弁からは、ほんのりとした甘い香りが漂っていた。
「もう少しで退院するのでしょう? そのお祝いよ」
「ありがとう。……アンに会えなくなるのは寂しいわ」
「私もよ。でもずっとここにいるのも退屈でしょう?」
ヴェロニカから再び花を受け取り、それを花瓶に入れながらアンは言った。
「退院したら国へ帰るの?」
「ええ。領地に行くわ」
ヴェロニカは額の傷を治すために隣国ラファネッリ王国の治療院にいた。
ここは「魔術」を使った治療を行うところで、普通の治療では治せなかった怪我人や病人が集まってくる。
魔術を使った治療とは、植物や動物など様々な材料を独自の配合で配合して作り出した薬を使うのだ。
それが「魔術」と呼ばれているのは、配合する時に特殊な技術が必要で、魔女から教わったというその技術は門外不出とされているからだ。
ヴェロニカはここで毎日のように、強い匂いのする怪しげな茶色い液体を額に塗られていた。
半年ほどそうして過ごして、深かった傷痕も薄くなってきた。
けれどこれ以上消えることはないと判断され、退院することになったのだ。
この半年の間に季節は冬から春へと変わっていた。領地へ帰る頃には初夏となっているだろう。
アンは治療院の近くに住む農家の娘で、治療に使う植物を育てている。
年は十四歳。
治療院に来た当初、侍女は同行しているけれど家族と離れ、年齢が近い患者もいなくて一人寂しそうにしていたヴェロニカに声をかけてきて、以来話し相手となってくれていた。
アンがいたおかげでヴェロニカは治療院での生活に馴染むことができた。
貴族であるヴェロニカにも遜ることなく接してくれるアンとは、友人と呼べるような間柄となっていた。
(そういえば……私には友達っていなかったのね)
前世、というのだろうか。
死に戻る前はお妃教育に忙しく、また入学してからは嫉妬心に満ちていたヴェロニカと友人になってくれるような相手はいなかった。
生まれ変わり、この治療院で初めてできた友人のアンと過ごす時間は、ヴェロニカにとって貴重で楽しい時間だった。
(本当に……どうして私は友人も作らず、あんなに周囲の子たちに嫉妬ばかりしておかしくなってしまったのだろう)
前世の記憶を思い出してからヴェロニカは何度も自問した。
(そんなに殿下のことが……好きだったのかしら)
確かに好意はあった。
けれど彼に近づく女性全てを敵と思うほどの嫉妬心を抱くほど恋い焦がれていたかというと……それは違うように思う。
本当の恋というものを前世のヴェロニカは知らなかったのだ。
(心が未熟だったのか……それとも、誰も教えてくれなかったからかしら)
王太子は側妃を娶る可能性があることを。
国王には王妃一人だけだったし、お妃教育を施す教師たちもそんなことは誰も教えなかった。
自分はフィンセントの隣に立つ唯一の存在だと思い、そのために九歳の時からずっとお妃教育を受け続けてきた。
それが学校に入った途端、自分以外の者もフィンセントの妃になるかもしれないという事実を突きつけられて。
それでおかしくなってしまったのだろうか。
(……分からないわ)
前世の記憶ははっきりと覚えているのに、どうして自分があんな行動を取ってしまったのか。
自分の心が分からなかった。
「今度は、間違えないようにしないと」
アンが飾っていった花を見つめながらヴェロニカはつぶやいた。
「学校に通うようになったら、皆と仲良くして……でも……」
傷のある、しかも王太子に婚約破棄されたような者と親しくしてくれる人はいるのだろうか。
嫉妬などせず皆に優しくしていれば友人ができるだろうか。
(それから……お婿さんにきてくれる人とも出会えたらいいな)
ヴェロニカは一人娘だ。婿を取って家を継ぐ必要があるだろう。
前世でも、ヴェロニカが王家に嫁いだあとは親戚の誰かを養子に取るという話が出ていた。
(私が傷物でも婿入りしたいという人は……きっといるわよね)
フォッケル侯爵家は国内でも有数の領地を持つ大貴族だ。縁づきたいと望む者は多いだろう。
(誰か、いい人と出会えて婚約できたら……)
ドクン、とヴェロニカの心臓がなった。
(……でも……それで、また嫉妬してしまったら?)
心を乱されて、殺したいと思うくらい憎しみを抱くようになったら……。
前世の記憶がフラッシュバックする。
「……婚約するのは……怖いわ」
震える声でヴェロニカはつぶやいた。
*****
「ヴェロニカー!」
「こんにちは!」
退院する前日、アンが弟妹を連れてやってきた。
彼らもヴェロニカの遊び相手になってくれていた。
一人っ子のヴェロニカにとって自分より年下の子たちと触れ合うのは初めてで最初は戸惑っていたが、臆することなくヴェロニカを慕ってくる彼らとすぐに打ち解けることができた。
「ヴェロニカ、かえっちゃうの?」
五歳のビビが悲しそうな顔でヴェロニカを見上げた。
「ええ」
「あえなくなっちゃうの……」
「お手紙を出すわ」
ヴェロニカはビビの頭をなでた。
「ビビ、もじよめない」
「教えるから読めるようになろうね」
アンが言った。
「文字が書ければ返事も出せるわ」
「うん! いっぱいかく!」
「オレも!」
七歳のトニーも声を上げた。
「ありがとう。楽しみにしているわ」
トニーの頭もなでるとうれしそうに顔をほころばせた。
(ふふ、可愛いわ)
兄弟っていいなとヴェロニカは思い、少し羨ましくもなった。
(そういえば……あの時の子たちも兄弟だったのかな)
馬車の事故の時に助けた、二人の少年のことをふと思い出した。
彼らは元気に過ごせているだろうか。
(あの子たちも、こうやって仲良く過ごせていたらいいな)
そんなことを思いながら、ヴェロニカはアンたちとの最後の時間を過ごした。
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