02「でも、これで良かったのよ」

 夢の中でヴェロニカはお妃教育を受ける日々が続いていた。

 頭も良く覚えの早いヴェロニカは、教師たちから褒められるくらい順調に学んでいった。


 そんなヴェロニカの人生が狂ったのは十六歳で学校に入ってからだった。

 この国では貴族の子女は社交界デビュー前の二年間、全寮制の学校に通うことになっている。

 それまで外出は王宮へ行くくらいで、会うのも大人ばかりだったヴェロニカは、そこで初めて同世代の者たちと交流することになったのだ。


 ヴェロニカは王太子フィンセントの婚約者。それは誰もが知っていることだ。

 けれど王太子は正妃の他に側妃を娶る可能性があるからと、その座を狙って女生徒たちがフィンセントに接触し始めたのだ。

(どうして、私という婚約者がいるのに……)

 初めは戸惑っていたヴェロニカだったが、やがて怒りや嫉妬といった感情を抱くようになっていった。


 本来のヴェロニカは無垢で素直な少女だった。

 けれど無垢すぎて世間を知らなかった故に、自身の負の感情を抑える術も知らなかったのだろう。

(どうして殿下は私以外の女性に優しくするのだろう)

(どうしてあの子たちは私の婚約者を奪おうとするのだろう)

(殿下は私のものなのに)

 一度大きく膨らんだ嫉妬心は消えることも制御することもできなくて、ヴェロニカはまるで別人のように攻撃的な性格となってしまった。

 フィンセントに近づこうとする者を威圧し、時には侯爵家や婚約者としての立場を利用して排除していった。



 二年生になり、アリサ・ベイエルスという男爵令嬢が入学した。

 夕日のような赤い髪を持つ、愛らしくて優しいアリサは成績も優秀で、「暁の魔女の加護を得ている」とうわさされるようになった。


 このハーメルス王国がある大陸は、三人の魔女が作ったとされている。

 昼を司り良き魔女とされる「暁の魔女」、夜を司り悪しき魔女とされる「宵の魔女」、そして時間を司る「時の魔女」だ。

 その暁の魔女を象徴する赤い色を持ったアリサは、学校中の者たちに持てはやされるようになり、やがて彼女はフィンセントとも親しくなるようになった。


 ヴェロニカの嫉妬心は当然アリサへも向けられた。

 何度も言葉で攻撃し、そのいじめは執拗に続いた。

 そうして卒業間近の花祭りの日。アリサを殺害しようとまでしたヴェロニカは捕まり、フィンセントとの婚約は破棄された。


「悪しき宵の魔女の生まれ変わり」「稀代の悪女」とまで言われたヴェロニカは断罪され、療養院に幽閉され孤独と失意の中、そこで一年間暮らした。



 ヴェロニカを愛していた家族でさえ訪れることのない、寒くて暗い部屋の片隅にうずくまっていたヴェロニカの耳に、ある日掃除係たちの声が聞こえた。

「明日は王太子殿下とアリサ様の婚約式よね」

「楽しみだわ」

「結婚は一年後ですって」


(結婚……あの二人が?)

 ヴェロニカは唇をかみ締めた。

(……本当は……殿下の隣に立つのは私だったのに)

 自分はこんな場所で孤独に耐えているのに。

 自分の幸せを奪った女が、自分が得るはずだったものを全て持っていってしまう。

 それはヴェロニカに残っていた最後の気力を奪うのに十分だった。


 そうしてヴェロニカは十九歳の生涯を終えた――はずだった。

 それがなぜか、十歳の時に時間が戻っていたのだ。


  *****


 ひどい夢を見たのだと思った。頭を打ったせいで見た悪夢なのだと。

 けれど毎晩夢が進んでいくうちに、それが夢ではなく「本当に」経験した記憶なのだとヴェロニカは確信した。

 夢の中での出来事や感情はとても生々しくて、ただの夢には思えない。

 それに心の奥ではっきりと感じるのだ。――確かに自分は嫉妬から罪を犯し、死んだのだと。

 それはなんと恐ろしくて浅ましい出来事だったろう。

(でもどうしてこうして十歳の姿に……私は過去に戻ったの?)

 そんなことがあるのだろうか。

(まるで魔法みたい。……まさか『魔女』のしわざ?)


 この世界には「魔法」がある。

 かつて魔女や一部の人間が使うことのできた特別な力だ。

 今、その魔法を使える者はいないが、魔女から学んだとされる知識や技術をもとに、医者など一部の人間が「魔術」として少しだけ使うことができるのだという。

 だがそれらはほとんどが治療のための術で、死んだ人間が過去に戻るなどという魔法など聞いたことがない。

 魔女の存在も過去のもので、誰もその姿を見たことがないというし、魔女に魔法をかけられた人間の話も聞いたことがない。

 ならばどうして自分は過去に戻ったのだろう。

(罪を償うため……?)

 醜い嫉妬をしてたくさんの人たちを傷つけた。

 その罪を犯さなかったことにして、誰も傷つかないようにするために?


(だったら私は……王太子の婚約者にはならないわ)

 婚約者のままだったら、また他の女性たちに嫉妬してしまうかもしれない。

 自分の心をコントロールできないつらさと恐怖は、過去に戻った今でも忘れられないのだ。



 幸いにというか、ヴェロニカは馬車の事故で額に傷を負った。

 お妃には見た目も重要視される。こんな傷があるヴェロニカは婚約者でいられないだろう。

 そう考えていた通り、二カ月ぶりに王宮へ行くとフィンセントは開口一番ヴェロニカとの婚約を破棄すると告げ、実際に婚約は解消された。

(最初から……殿下は私への愛情なんかなかったのね)

 あっさりと婚約破棄の言葉を告げたフィンセントの顔を思い出す。

 彼からは未練や後悔といったものはなにも感じなかった。


 ヴェロニカが婚約者となったのも周囲の大人たちが決めたことで、彼からすれば誰でも良かったのだろうし、傷がある妃など受け入れられないのだろう。

 それでも少しは悪いと思って欲しかったと思ってしまうのは……まだ彼に未練があるのだろうか。


「でも、これで良かったのよ」

 鏡に映る自分の顔に触れながらヴェロニカは言った。

 今ここで関係を断ち切っておけば、この先嫉妬をする必要もないし誰かを傷つけることもない。

 あとは穏やかに、困った人を助けるための活動をして生きていかれたらいい。――たとえば二カ月前に馬車の事故で少年たちを守ったように。

「……そういえば、あの時聞こえた声はなんだったのかしら」

 助けを求める女性の声は。

 考えてみたけれど、ヴェロニカには分からなかった。

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