04「どうして、殿下はこれをくださったのでしょう」

「ヴェロニカ! お帰りなさい」

 二十日以上かけて侯爵領の屋敷へ帰ると、両親がそろって出迎えた。


「ただいま帰りました」

「少し背が伸びたわね。顔を見せて……元気そうで良かったわ」

 ヴェロニカの両頬を包み込んだ母親は、額の傷痕を見て一瞬その顔を曇らせたがすぐに笑顔を見せた。

「お母様とお父様もお変わりはありませんか」

「ええ、あなたが帰ってくるのを楽しみにしていたのよ」

 母親は微笑んだ。


「長旅で疲れただろう。部屋で休むといい」

「はい」

 父親を見上げてヴェロニカはうなずいた。

「新しくあなたの部屋を用意したの。気に入ってくれるとうれしいわ」

 以前侯爵領に住んでいた時は、使用人たちのエリアに隣接する子供部屋で、乳母やナニーたちに囲まれて暮らしていた。

 けれどさすがにもう子供部屋にいる歳でもない。


 新しく用意されたヴェロニカの部屋は白を基調とした家具が並び、カーテンや寝具は淡い色の花柄でそろえられていた。

 あちこちに花が飾られ華やかで女性らしい部屋だ。



「新しい部屋はどうかしら」

 用意されたお茶を飲みながらヴェロニカが休んでいると両親が入ってきた。


「とても素敵です」

「良かったわ」

「それで、治療院での生活はどうだった」

 ソファに腰を下ろして侯爵が尋ねた。

「最初の頃は退屈だったけれど、友達ができたり刺繍を習ったりして楽しかったです」

「刺繍?」

「まだ小さいものしか作っていないのですが……」

 同行した侍女が二枚のハンカチを持ってきた。

「これはお父様とお母様に渡そうと思って作りました」


 治療院ではリハビリを兼ねて運動や手芸など様々な体験をさせている。

 その中でヴェロニカが興味を持ったのが刺繍だ。

 一針一針刺していくうちに形になっていくのが面白くてすっかりハマってしまった。

 前世でも興味はあったのだが、お妃教育で忙しくてやることができなかったのもあって、治療院では暇があると刺繍を刺していた。

 母親へのハンカチには小花、父親へは蔦柄を刺繍した。自分では上手くできたと思っている。


「まあ。とても上手だわ」

 ハンカチを見て母親は目を細めた。

「ああ。これはお守りとして毎日持っていないとならないな」

 父親もうれしそうに顔をほころばせた。



「そうだヴェロニカ。お前に渡すものがあった」

 しばらく互いに会えなかった間のことなどを話したあと、父親が封筒を差し出した。

「これは?」

「王太子殿下からだ」

「……殿下から?」


「陛下たちに叱られたようで、謝罪の手紙を送ってきたよ」

「女の子に傷物だとか、そのせいで婚約解消したいだとかなんて本人に言うなんて。いくら王太子殿下でも失礼ですわ」

「ああ」

 両親は顔を見合わせてうなずき合った。

「殿下が謝罪……」

 そんなことは決してしない人だと思っていた。

 フィンセントはプライドが高く、自分にも他人にも厳しい。

 そして厳しいから自分の非を認めないのだ。



 一人になるとヴェロニカは手紙を開いた。

 几帳面な字は確かにフィンセント本人の筆跡で、ヴェロニカへかけた言葉の非礼に対するおわびと、身体を気遣い傷の具合を尋ねる言葉が書かれてあった。

(一応気にしてくれているのかしら)

周囲に言われて書かされたのかもしれないけれど、それでも彼がこういった手紙を書くことがとても意外だった。


(本当は……優しい人なのかな)

 前世でヴェロニカはフィンセントから優しい言葉をかけられたり、態度で示されたりしたことはなかった。

 まだ未成年だったヴェロニカは婚約者として社交の場に出ることもなく、ただお妃教育を受け続ける毎日で。

 婚約者として交流という目的でフィンセントとは週に一度、お茶の時間を設けていたけれど、あたりさわりのない会話しかなかった。


「だから……嫉妬したのかしら」

 手紙を見つめてヴェロニカはぽつりとつぶやいた。

 何年も婚約者として一緒にいたのに、一度も自分に向けられることのなかった本当の笑顔を、突然現れたアリサという少女には見せたことに。

 ヴェロニカはずっとフィンセントと親しくなろうと努力をしていた。

 けれどその努力が報われることはなかったのだ。

 彼の誕生日には毎年丁寧な言葉を綴った手紙を送っていたけれど、彼からは定型の返事しか返ってこなかった。

「婚約者じゃなくなってから、こんな労りの手紙をもらうなんて……」

 皮肉なものね、とヴェロニカは苦笑した。


  *****


 フィンセントに手紙をくれたことへのお礼と治療院から戻ってきたという簡単な近況を書いて手紙を送ったあと、ヴェロニカは平穏な日々を過ごしていた。

 王都での社交シーズンは春から初夏頃で、夏になると貴族たちはそれぞれの領地へ帰る。

 ヴェロニカが隣国から帰ってきたのは六月でまだ社交シーズンは続いていたが、一日でも早く娘に会いたいと侯爵夫妻は社交シーズンが終わるのを待たずに領地へ戻ってきていた。


 領地での、家族三人の生活は平穏で、ヴェロニカは刺繍や読書を楽しみながら過ごしていた。

(本当に……あの前世は夢だったのかな)

 そう思ってしまうくらい穏やかな日々だった。



「ヴェロニカ。プレゼントが届いているわ」

 八月も後半となり暑い日も減り、そろそろ屋敷の外へ出てみたいとヴェロニカが思っていると母親が入ってきた。

「プレゼント?」

「もうすぐ誕生日でしょう」

「ええ……でも誰から?」

 プレゼントを贈ってくれるような相手なんていないはずだ。

「二つあるの。ひとつはアンという子からね」

「まあ、アンから!? 」

 母親から渡された平たい箱を開けると、中には押し花の額が入っていた。きっとアンの家で育てた花なのだろう。

 他にアンとその妹弟からそれぞれお祝いの言葉が書かれた三枚のカードが入っていた。

「ふふ、ビビも字が書けるようになったのね」

 拙いけれど、ちゃんと読める文字で「おめでとう」と書かれたカードを見てヴェロニカは目を細めた。


「もう一つは王太子殿下からよ」

「え?」

 思わず聞き返したヴェロニカに、母親は封筒と小さな箱を手渡した。

(殿下から……?)

 封筒を開くと、中にはカードが入っていた。

 薔薇の絵が描かれたカードにはフィンセントの字で「誕生日おめでとう。領地での生活が幸福なものであるように祈る」と書かれてあった。

 箱の中にはブローチが入っていた。

 細い紐状の金で四つ葉の形を作り、それぞれの葉と中央にはダイヤが嵌め込まれている。

 小ぶりだけれど美しいブローチだ。


「綺麗……」

「素敵なブローチね」

 ヴェロニカがつぶやくと、母親も箱の中をのぞき込んだ。

「……どうして、殿下はこれをくださったのでしょう」

 もう婚約者でもないのに。

「そうね。多分あなたに悪いことをしたと思っているんじゃないかしら」

「でも、謝罪の手紙はもらったのに……」

「まだ気にしているのかもしれないわね」

 ヴェロニカを見て母親は言った。

「お礼を送りましょう」

「はい。……手紙だけでいいでしょうか」

「そうねえ。そうだわ、ハンカチに刺繍をして送るのはどうかしら」

「刺繍……」

「あなたとっても上手だもの」

 母親はそう言って微笑んだ。


(誕生日プレゼントなんて、一度ももらったことがなかったのに)

 前世でもカードと花束が毎年送られてきたけれど、ただ「誕生日おめでとう」と書かれていただけでそれ以上の言葉はなかった。

 その花束もカードだけでは寂しいからと周囲が判断して一緒に送っていたのだと、小耳に挟んだことがあった。


(本当に……婚約を解消してからのほうが、心配りをしてもらえるなんて)

 ブローチを見つめてヴェロニカは小さく息を吐いた。

(でも……もう婚約者でもないのに、お返しに刺繍入りハンカチなんて迷惑じゃないかしら)

 そう思ったけれど、他にいいアイデアもない。

 どんな絵柄を刺そうか悩んで、鳥を刺繍することにした。

 フィンセントの瞳と同じ、翡翠色の鳥。その周囲には金糸で飾りもつけたハンカチにお礼の手紙を添えてフィンセントに送った。



 翌年五月。フィンセント十二歳の誕生日にお祝いのカードとペン軸を送った。

 ペン軸は螺鈿細工が施されたもので、領地にある文房具を扱う店で見かけて気に入ったのだ。

 フィンセントからはお礼の言葉と、彼の近況が綴られた返事が返ってきた。

 それから四年間、ヴェロニカが王都へ戻るまで誕生日のやりとりは続いた。

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