5.待ち人の手紙

二千十七年五月二十日 福岡

 篠崎様へ



 ねぇ、覚えていますでしょうか?


 なんて、意味深な一文から始めますと、貴方のことですから何かしら後ろめたいことを責められるんじゃないかと受け身になってしまいますか?


 すみません。私のお茶目ですので、心安らかにこの手紙をお読みください。


 宛名からお察しであると思いますが、昨年の夏にあなたが執筆のために旅行に来られた、福岡の田舎。一丸商店といえば貴方は懐かしい匂いを感じてくれるのではないでしょうか?


 父が経営する言わるナンデモ商店。駄菓子、画材、家電。昼間は定食屋、夜は居酒屋。今時変わったこのお店を貴方は大変に気言って足繫く通ってくれましたね。


 もしかしたら貴方は、払っていないツケのことに肩を震わせたかもしれません。でも、いいのです。大した値段ではございませんし、貴方が有名になったからと言って集るコバエにはなりたくないのです。


 ゆえに、ツケのことはいいのです。


 私が言いたいのは、妹。チエリと貴方との曖昧に終わった関係についてです。


 今年もう、高校三年で受験のシーズンになるチエリですが、彼女何を言い出したと思いますか?


「センセのいる東京に出る」


 そう、言ったんです。


 お気づきになりましたか? 貴方にとってはなんとなく訪れた旅行先でのお遊びだったのかもしれませんが、チエリにとっては大事な大事な初恋でしたの。


 あの子、貴方に人生を狂わされそうになっているのです。


 チエリからあなたの話を聞く役目を担っているのはもっぱら私です。父も母も、若すぎる恋も憧れもこんがらがった彼女の話を聞くのが堪えられないのでしょう。


 でも、聞けば聞くほど、貴方。女子高校生のあの子に行き過ぎたことをしたみたいじゃないですか。まるで自分に気があることをいいことに、取材をスムーズに行うための道具や案内役として彼女を振り回していたみたい。


 私、チエリの話を聞いてて何度かそうじゃないかと思う場面を聞きました。でも、言葉にはできませんでした。彼女の目が、彼女の頬が。その淡い恋を描いているのですから。


 先生。どうか、お返しのお手紙をよこしてくれませんか?


 貴方から、チエリに対して。


「その気にさせて悪かった。東京に君の居場所はどこにもない」


 と、一言でもいいから伝えてやってくれませんか?


 ――さて、本題もお伝えしたことですし、ここからはお読みにならなくてもいいのですが、先日出版されたあなたの小説について、思うところがありましたので書かせていただきたく思います。


 先日出版された、「明けの風」についてですが、読めばわかります。これは去年の夏、貴方が体験した出来事であることを。


 チエリが貴方を連れまわした、景色がずらりとあでやかな文字で描かれており、私あ貴方のおかげでこの町がより好きになりました。


 それについては深く感謝します。


 しかし、この物語のヒロインといえばいいのでしょうか? そんな言い方をすると、貴方の作品に似合わない軽い表現になりますが、まぁ、ヒロインともいえる女性がこの作品に登場いたしますよね?


 私読んでみて思うのです。


 どうもこれ、妹のチエリと『私』が合わさっているような。いえ、もっとひどい言い方をすれば、貴方がチエリと共有した時間や思い出、その中のチエリという存在が全部私に置き換えられているように思えるのです。


 確かに、キャラクターの年齢的にチエリをそのまま描くのは乖離が生じるかもかもしれません。


 でも、まるで私のような女性に貴方は恋の文をつづっているのです。


 私、よくわからないのです。


 もうすぐ一年も経つというのにチエリはいまだ貴方の話をします。それを聞くたび、胸の奥ですすのような黒い靄が広がります。


 あの子が東京に出るのを必死になって止めようとする自分がいます。


 どうか、終わらせてください。貴方の手紙ですべてが終わります。少女の夢が折れ、一人の女の妄想が幕を閉じます。


 しかし、もし。あの小説自体が、何かを伝えるための手紙であるのならば。どうか、その答えを教えてほしいのです。私はどうも、頭が弱いようなので。弱い女ですので。


 どうか、どうか。お願いいたします。


 図々しく願うのであれば、うちに貯めこんだツケを払いに今年もおいでくださってもいいのですよ。

          



一丸商店店主・伊藤健司の長女より

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 二千十八年、十二月十六日 福岡

 篠崎様へ



 一体どういうおつもりなのか。聞くことを我慢しておりましたが、いよいよ堪忍袋も切れてしまい、この手紙をお送りいたした次第でございます。


 あの手紙にお返事いただき誠にありがとうございました。貴方も多忙極める、作家様でしょうが私たちのために文を書いてくださったことは本当に感謝いたしております。


 ですが、あの内容を見たとき私の意識はどこか遠くへ消え去っていくようでした。


「待っている。大学に入学したら今度はチエリから文を送ってほしい、迎えに行こう」


 要約させていただきましたが、こんな内容。私は、一体全体どうなっているのか、どういう思いであなたがこれを送ってきたのか意味が分かりませんでした。


 当のチエリは、舞い上がっておりました。父親もあなたの手紙をみて、あなた自身への迷惑ではないことを知るとチエリに条件づけで東京に行くことを認めたわけです。


 さすがに東大や、慶応なんて言いませんでしたが、彼女の学力よりも数段上の大学の受験でした。チエリは学校終わった後、電車で四十分もかかる駅の塾に通って、勉強しましたが、落ちてしまったのです。


 本当はもっと早くにこのことを伝えるべきだったのでしょうか? でも、あの時期にはどうやら貴方も新作創作に取り組んでいてナイーブな時期だと、調べておりましたのでタイミングを逃してしまったのです。


 そうして、またこんな時期にお手紙をお送りいたしたのは他でもありません。チエリは来年、東京に向かいます。まだ、合格したわけではありません。


 でも、チエリは予備校に入って成績をぐんぐんと上げていきました。もう、父が条件に出した大学は問題なしで、その上の大学にも挑戦するようです。


 なので、チエリは本当にあなたのもとに行ってしまうのです。どうか、大人として責任のある対応を今一度、お願いしたく思います。


 ――それはそうと、先生の新作。お読みいたしました。それも、この手紙を出す理由になりました。この手紙は、いわばファンレターのようなのもでもあるのですよ。


 前作のせいで、私もうめっきり先生のファンになってしまいました。「明けの風」の前の作品もお読みいたしましたわ。


 先生の描写はまるできれいにその景観を切り取ったようで私の脳内にその情景はありありと浮かびます。


 そして新作『春風と夜の海』も、また新たな景色と出会えて私、心がいっぱいいっぱいになりました。


 どうやら、私たちの町に訪れたように、また別の町に訪れて多くの出会いがあったようですね。


 いったい、あの作品でのヒロインは。あの作品でのチエリは誰だったのでしょうか?


 ねぇ、覚えていますか?


 私たちと過ごしたあの夏を、貴方は色んな町で送っているのではないですか? 貴方は、私たちのことを、チエリのことを本当に覚えていますか?


 もし、忘れてしまったのなら。もう、なくしてしまってもいい記憶であるのなら。今ならまだ間に合います。どうか、チエリに対してまた手紙をよこしてください。


 東京に行くことはもう避けられませんが、貴方への憧れは止められます。東京に行けばまた新たな出会いがあり、多くの刺激が彼女の人生を彩るはずです。


 もし、貴方が遊びだったり、小説のネタのために彼女を利用しようとしているのであれば、おやめになってください。


 そして、私が前回のお手紙に書いた的外れなお言葉をどうか忘れてください。貴方の作品があまりに素晴らしかったから、少し酔ってしまっただけなのです。


 チエリの話を聞きすぎたのも悪かったかもしれません。もはやチエリに嫉妬の心はありません。あの子が行きたいところに行ってほしいと願っております。


 それが貴方のお傍であってもです。


 勘違いをしてほしくないのは、私は貴方とチエリの離そうとしているわけではないということなのです。私はチエリの話をずっと聞いていました。あの子の努力をずっと見届けていました。


 でも、貴方は何も知らない。あの子が貴方の話をするときの声の抑揚、表情の変化、乙女の心。そして、あの子が積み上げてきた努力。


 貴方は何も知らないから、怖いのです。


 私の心はすでにあの子とともにあります。チエリはそれを煩わしく思っているようですが、私はあの子が心配で心配で仕方がないのです。


 そう思えば思うほどあなたが汚れて醜く見えてきます。


 これ以上は言わないでおきましょう。


 では、お返事。お待ちしております。


 それと、やはりツケのことはお忘れください。

    


貴方の数いるファンの一人より

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 二千二十年 四月二十日 長崎

  柴咲様へ



 もう、手紙を出すことなどないと思っていました。


 貴方には申し訳ないことをいたしました。確かに今回の件はチエリに原因はありますが、もとはといえば私のお節介な手紙から始まったことです。


 貴方は、いまだにチエリを待っているのでしょうか? 貴方の作品を読んでいれば多くの出会いがあったご様子ですので、彼女が貴方のもとに行かなかったことなどの何でもないことなのかもしれませんね。


 でも、明日出版される『秋つぼみ』を拝読させていただく限りそんなことはないのではと思います。


 電子書籍版の先行公開でしたので、ダウンロードして読みましたが明日、本屋のほうで紙のほうも買おうと考えております。この手紙が着くころには、既に私の手元にあることでしょう。


 それで、この『秋つぼみ』ですが。どうも、貴方はチエリを待っているように思える内容なのです。貴方の作品は、田舎の懐かしくもきれいな情景と、淡い人間の心理描写の二つで成り立っているように私は分析しておりましたが、この作品では心理描写がかなりの量を占めています。


 過去に出会った女性を待ち続ける男の話でしたね。昔っから決まった居場所を持たず、ふらふらと各地を回っていた男。でも、一人の女性を待つために、どこにも行かずに待ち続ける。そして、来るか来ないかわからない不安と、どこにも行けない窮屈さで精神をすり減らしてゆく。


 私、驚きました。


 もし、この話が貴方自身を描いたものならば。この数年貴方はどこにも行っていないことになります。さすれば、ここ何年かの作品は全部あなたの妄想で書いたということになりますよね?


 もしかしたら、過去に回った街を思い出して書いたのかもしれません。でも、あの作品のヒロインたちは妄想だったということではないでしょうか?


 この際だからハッキリと言います。チエリは貴方のもとにはゆきません。あの子は最初こそ、貴方のために東京に出るつもりでしたが、一年間の予備校生活の中で、都会への憧れが膨らんだようで、貴方のことなど無しに東京を目指すようになっていたのです。


 あの年、貴方からの手紙が届いたのは彼女の受験が終わった後でした。えらく、返事に時間を書けたようですが、手紙の内容で心中をお察しいたしました。


 でも、チエリは微妙な顔でその手紙を見ておりました。そして、私に何の返事も出さないように言って東京に行きました。その前に貴方が送ってくれた手紙にあるように、彼女自身で文を出すのだと思っていましたが、ずっとあの子は貴方の話をしたがらなくなりました。そして、思いっきり聞いたところ、


「あの人のところにはいかない」


 そうハッキリといったのです。


 そのタイミングで、貴方の『秋つぼみ』を読んだわけですから、この手紙をお送りした意味もご理解いただけるのではないのでしょうか。


 そして、もう一つ。


 これはまた、私の悪い癖なのかもしれません。


 この秋つぼみの最後です。貴方のもとには待ち焦がれた相手は現れませんでした。でも、また別の人が現る。手紙の人。


 主人公と、ヒロインを繋ぐ手紙の人。その人が貴方を案じてやってくる。そうして、主人公はある大きな勘違いに気づく。


 どうやら、気づいてくれたようですね。


 覚えてくださっていたようですね。


 いうかいわまいか。ずっと悩んでおりました。あの『明けの風』を読んで、私がヒロインと勘違った理由。


 あの日、貴方が酔った勢いで口づけを交わした相手は、チエリではなく私でした。


 貴方は勘違いをしたままチエリに言い寄り、彼女をその気にさせてしまった。


 ゆえに、貴方のチエリの関係には綻びがあることを私は知っていました。どこかで壊れるはずの関係だと。


 でも、もし。


 『秋つぼみ』を貴方が願っているのならば。


 私がヒロインでいいのならば。


 向かっていいですか?


 住所を見ればわかると思いますが、私は今長崎にて、アパレル関係の職に就いております。あの夏、無職のニートだった私はようやく社会に出ております。


 でも、正直。ツラいのです。


 もう、思い出していたただけてるのなら。じらさず、文をください。今までのツケをお払いください。


 私も、ずっと待っておりましたゆえ。



               伊藤アヤカより

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【短編集】ひと世の戯れ Vol.4 岩咲ゼゼ @sinsibou-r

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