第34話 下町の料理店


 ケネス・オーリッジは腕のいい料理人だった。だけど今はもう、妄執に取りつかれただけの男。

 ウィンリー子爵家が嫁を迎えると知って逆上し、あの馬車にいた人間は全員殺すつもりで襲ったそう。

 犯行後は仕事も生活もめちゃくちゃだったうえ、私たちに見つかってからは錯乱状態で店を開けることもできず家主からは立ち退きを申し渡されている。間もなくこの店は閉める予定。でもそれでいいんですって。ジニーと再び会えるなら。

 ええ、会えるわよ。この世じゃないどこかで。


「きみは毒見役として頑張ってくれ。裏に引っこんだら毒消しを飲んでもいいが、効くまでは苦しんでいてもらうよ。それがきみの罪滅ぼしだ」


 なんてアリステアは言うけど、それは毒消しではないのよ。オーリッジにはウィンリー子爵殺人事件の犯人になってもらう。なのにアリステアはしれっと嘘をついた。


「この後、魔女本人との対決にも役立ってもらいたいね」

「も、もちろん働く。魔女からジニーを取り戻せるなら、なんだって」


 ガクガクとうなずくオーリッジに案内させて厨房をのぞいた。そこには同じ料理が二つの鍋で用意されている。ウサギ肉の煮込みの、子爵用とアリステア用。


「こっちの鍋が、特製のやつだ」

「間違えないように、配膳まで私が見張ってましょうか?」

「ま、間違えたりしない。この人に死なれたらジニーが取り戻せないんだろ」

「その通りだな。今のところ、私以外にこの術を使う者には会ったことがない」


 そんなわけで、オーリッジの裏切りを懸念する必要もないのよ。アリステアのやることって本当に陰険だわ。嫌いじゃないけど。

 よみがえらせる気もない死者を人質に、協力させて使い捨てる。私たちはただの悪人。

 そんな素振りは毛ほども見せずに、アリステアは微笑んだ。


「じゃあ料理の仕上げを頼むよ。そろそろお客さまが来る」




 夜の下町なんて、ウィンリー子爵さまはあまり足を運ばないでしょうね。今日は珍しい経験をなさって、楽しんでいただきたいところ。

 アリステアが開けた扉を入り、子爵は胡散くさそうな視線を隠しもしなかった。いちおう紳士的な服装と物腰のアリステアにホッとしたようにも見える。席につきながら横柄に尋ねてきた。


「ダンタス議員はまだか」

「今夜はいらっしゃいませんよ」

「なんだと」


 向かいにアリステアが座り、子爵は顔色を変えた。


「どういうことだ」

「あなたを呼んだのは私です。のことでお話がと伝えたでしょう」

「ダンタスにしては妙なことをと思えば……彼奴きゃつは脅迫などする男ではないからな」

「ほう。対立する陣営からも信用されているとは、ジョンもなかなか」

「ジョン……?」


 私はそのやりとりを物陰から聞いていた。アリステアの知人というのはジョン・ダンタスという議員さんなのか。清廉潔白な融通のきかない人物みたいね。こんなことに巻き込まれて困ったでしょうに。

 ウィンリー子爵はギッとアリステアをにらんだ。


「で、貴様は誰だ。どのような用向きかね」


 横柄な態度と口調。親子にも等しい年の差ですもの。それにアリステアの服装はきちんとしているけど貴族の物ではないし。

 でも対するアリステアの受け答えもふてぶてしかった。


「私はまあ、ダイアナの知己ではあるんですが」

「ダイ、……あ、あの方の知り合いだと?」


 魔女の本名をサラリと出されて子爵が口ごもる。あの方、ねえ。名前を呼んじゃいけないのかしら。大げさで笑っちゃう。


「ああ、やはり月の魔女とはダイアナのことなんですね」

「うっ――」

「いいんですよ、ほとんど確定していたことです。そうならば久しぶりに彼女に会いたいと思いまして、あなたに取り次いでいただこうかと」

「こんな胡乱うろんな者を、連れて行けるものか」


 余裕のあるアリステアの微笑みに、子爵は抵抗してきた。そうよねえ、こんな若造に負けてられないものね。


「私は彼女と同じ、魔術を修業した仲だ。私に会えたら彼女も驚いてくれると思いますよ」

「同じ、修行……?」

「あなたは魔女に何を求めているのかな? ただの栄達や商売繁盛を願うにしては、やっていることがきわどい。本当の望みは、そんなものではなく――」


 目をすがめて探るように子爵を見ると、アリステアは低く笑った。


「不死の命、とかどうです」

「ふ、不死だと。何をそんな。ホラ話にはのらんぞ」

「――では証拠をお見せしましょうか。エリザベス」


 やっと呼ばれたわね。私はスッと出ていき、テーブルに近づいた。男爵令嬢ぶった澄まし顔で、しとやかに一礼する。

 その姿を見たウィンリー子爵の表情が変わった。驚愕して目がまんまるよ。


「はじめまして、お義父さま――になるはずだった方。エリザベス・クロウニーです」


 ……また、こう名乗ることがあるなんてね。十年間を過ごした名前だけど、なんだかちっともしっくりこない。

 今の私はエルシー・カーヴェル。そっちになじんでいて、それが幸せで、これからもそうありたいと願っているのだと実感するわ。


「エリザ、ベス嬢――殺されたんじゃなかったのか」

「殺されました。そして、生き返ったんです。こちらの方の死霊術ネクロマンシーで」


 茫然とつぶやくウィンリー子爵に、私は静かに答えた。


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