第10話 どうせ死んだのなら


 ジャックはハリソンさんの案内に、メラニーは来客用のお茶を淹れに行ってしまった。アリステアも名残惜しそうに私の額に口づけてから応接間に向かう。

 私はお茶を飲み干すと一人で庭に出た。


 ツタの這う石壁に囲まれた空間はあまり広くない。だけど一本のニレをポイントに花壇と小路が配置され落ち着ける場所になっていた。

 報告されたように花壇の一部に煉瓦が積み増してある。下層には砂利を足すように言っておいたし、土には肥料を混ぜ込んであるはず。少しなじませたら作業しましょう。


「……まったく、何にするんだか」


 日陰でも生き生きと育っている毒草に目をやって、私はため息をついた。

 ベラドンナなんて葉にさわっただけでもかぶれることがあるらしい。実を食べたらひとたまりもないんだとか。


「あれ、待って」


 私、死んでるのよね。てことは毒を摂取しても、これ以上死ぬことはないんじゃ?


「……」


 それはちょっと楽しい思いつきだった。私ったら人体実験に最適化されてるのかも。

 だってほら、撃たれた傷が消えたぐらいだものね。アリステアに手間をかけさせちゃうけど、何かあっても生き返れるってことでしょう?


「まあ、あまり苦しいのとか嫌だからやらないけど――」


 たとえばベラドンナの葉。本当にかぶれるのかしら。気になる。それぐらいなら――。

 そろそろ、と手を伸ばしてみたら、向こうから大声がした。


「エルシー!」


 ビク、と指先を止める。振り向くとアリステアが駆け寄ってくるところだった。


「何してる、危ないと知ってるだろう!」


 問答無用で引きはがされ、語気強く叱られた。つかまれた腕が痛いくらいだった。そんなに慌てなくても。


「あの、本当にさわるだけでも駄目なのか気になって」

「だからってやってみるんじゃない!」


 私の両肩に手を置いて、アリステアはハアァと息を吐いた。心配してくれるの?

 すると庭の入り口で、男の人がヒーヒー笑うのが聞こえた。そこにいたのは体格のいい人。笑いを抑えようとしているけれどガッシリした肩が震えてる。


「――ハリソン」


 顔を上げたアリステアがにらみつけると、その人はゲホゲホ咳込んだ。これがハリソンさんなのね。

 ハリソンさんはビシ、と姿勢を正して頭を下げた。


「すまんすまん。アリーの弱点は奥方だったのかと驚いただけだ」

「おまえは驚くと笑うのか」

「いや、だってな。血相変えてすっ飛んで行くとか初めて見たぞ。本当にぞっこんなんだなあ」


 アリー、と呼んで親しげなハリソンさん。友人なのかしら? だけどアリステアは私を背中に隠してしまう。


「ステア……?」

「家におはいり。きみを紹介する気なんてなかったのに」

「おいおい、いいかげん奥方を出し惜しみするなよ」

「嫌だ」


 子どものような言い方でアリステアは私を腕でかばった。


「彼女はまだ世間に出さない。ベリントンに慣れていないしね」

「でもステア、あなたの友人ならご挨拶させて?」


 私にも体面というものがある。妻としての務めが果たせない女だと思われるのは困るわよ。

 でもアリステアは頑としてハリソンさんの視線をさえぎるようにし、そのまま私を屋内に追い込んだ。なんだっていうの。

 困惑する私に向かってアリステアは小声で言った。


「――きみはだからね」


 あ。

 私が気づいたのがわかったのだろう、アリステアはクルリと庭に戻る。私は急いで奥に引っ込んだ。


 そうか、私は――エリザベスは捜索されているかもしれないんだった。

 襲撃され、一行が惨殺されているのに私だけは遺体がない。まさか犯人扱いはされないでしょうけど、誘拐されたぐらいには考えられているはず。

 事件現場の領主がベリントンの巡察隊とどれほどの協力関係にあるかわからないけれど、捜査権を持つかもしれないハリソンさんに姿を見られたのはまずかったのね。


「外出させてくれないのも、そういうことなのか……」


 ここに来てから私はほとんど外に出ていない。ごく近所を歩いただけで、まだ街中には行っていないのだった。

 それはたぶん不特定多数の視線にさらされるのが怖いから。人相書きが回っているかもしれないし、ウィンリー子爵の所には姿絵もあるでしょう。子爵家の使用人が亡くなっているのだもの、捜査関係者にそれぐらいの情報は提供していると考えるのが当然だった。


「……馬鹿ね、私」

「奥さま?」


 しょんぼりして居間に戻るとメラニーが微笑んでやってきた。私の情けない顔を見て心配そうに首をかしげてくれる。


「ステアに叱られちゃった。まあ私が考えなしだったんだけど」

「あらあら」


 メラニーは笑いながら置きっぱなしのお茶道具を片付けにかかった。


「だんな様は確かに過保護ですもんねえ。奥さまはもう大人ですけど、だんな様から見ると子どものように思えるんですよ。許して差し上げましょう」

「ステアだってじゅうぶん若いのに……」


 私が唇をとがらせるとメラニーは微妙な顔で眉を下げた。

 アリステアはいったいどんな仕事をして、どんな地位にあるんだろう。

 そういうことよね? 人の上に立ったり、人を使ったりすることに慣れているから、世間知らずな私のことが危なっかしく思えるんだわ。

 んー。

 あの襲撃事件が決着しない限り、私がベリントンを闊歩する日は来ないってことなのかなあ。


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