第3話 このヘンタイ


 小さな町の近くまで馬を走らせ、灌木の茂みの脇でアリステアは止まった。

 抱き降ろされた私がなんとか立ったのを見て安心したように微笑む。


「よかった、術を掛け直さなくても大丈夫かな」


 つい、とおとがいを引かれてビクンとする。

 確かめるように寄せられたアリステアの口もとに残る血に息をのんだ。思いついて唇に手をやる。


「まさ、か――」

「どうした?」


 この人もしかして、私に口づけた? 術を掛けたってそういうこと? だからアリステアにまで血が――。

 顔色を変える私に目を細めながらアリステアは何も言わない。じらして楽しんでいるみたい。

 くっそう、私からは訊けないわよ、そんなこと。


「さあ、まずは着替えを調達しないとね」


 それはその通りだった。私のドレスは切り裂かれていて血まみれ、アリステアの服だって暗い色だから目立たないけど汚れている。

 アリステアは血の染みた上着を脱いで渡してきた。


「そのマントをおくれ。そちらには血が飛んでいない」

「え、ええ……」


 内側には血がついてしまったと思うけど。

 背を向けてスルリと脱ぐと代わりにアリステアの上着を着る。でないと胸がはだけていてどうしようもないんだもの。


「――きみの匂いがする」


 私がブカブカの上着で振り向くと、アリステアは返したマントに顔をうずめていた。にお、匂いって!


「ちょ、何言ってるのよ!」

「いや、いい匂いだなと」


 恥ずかしくて抗議したのに真顔で言い返された。

 うええ、この人本気でヤバいかも。ドン引いた私をよそにフワリとマントを羽織る。


「それじゃあ私は町に行ってくるから。しばらく一人になるけど、そこの木立の中に隠れておいで」

「――口もとに血がついているけど」


 私は怒った口調で言ってみた。

 そんな顔で買い物に行ったら騒ぎになるというのもあるけれど、言外に尋ねたのよ。それ、私の口から移った血でしょ、と。

 アリステアは目を見開いて、ムスッとした私をまた抱き寄せる。


「寂しくないよ、すぐに戻る」

「そうじゃないわよ!」


 カッとなって叫び返した。腕を突っ張って逃げようとするのに、力では全然かなわない。腹立たしい。


「ありがとう、ちゃんと手も顔も洗ってから町に入る」


 腕の中でジタバタする私にささやくと、アリステアはスルリと私を解放した。そして林の奥を示す。そっちで待ってろってことね。


「――」


 私は従った。他にどうしようもないんだもの。こんな格好で、何も持っていなくて、今はアリステアに頼るしかない。

 馬蹄が遠ざかるのを聞きながら、私は木の陰に座り込んだ。泣きそうだ。


「もう、お嫁にいけない……」


 知らない男アリステアに唇を奪われ、胸をはだけられ、触れられ、見られた。いやそうじゃないわ、そもそも死んでるんだっけ。死人は結婚できないわよね。

 お嫁に行く途中だったけど、ろくに知らないウィンリー子爵家に嫁ぎたいわけじゃない。

 だけどどうでもいいかといえば、そうもいかないでしょうよ。家同士の取引みたいなものなんだから、私がたどりつかなければ――そこで脳裏に先ほどの光景がよみがえった。ライラ。


「うっ……」


 吐き気がこみあげる。必死で我慢した。でも、ライラは死んだのよね。だめだ、涙がこぼれるのは止められない。

 私は姿を消したことになるのかな。誘拐されたと思われるのかもしれないけど、結婚は破談? ウィンリー子爵家側だって使者であるカークも馭者も死んでしまったのだし、養父と責任のなすり合いになりそう。


「なんでこんなことに――」


 つぶやいたって答えは出ない。誰も教えてくれないし。

 アリステアはこの事件の真相を知っているのだろうか。




「――なんだ泣いていたのかい? 意外と泣き虫さんなんだ」


 しばらくして戻ってきたアリステアは私の顔を見て不思議そうにした。何言ってるのよ、この人。


「あのねえ、こんなことになって泣くぐらい普通よ、普通!」

「うん、泣いていても元気はあるね」


 大きな包みを地面に下ろし、広げるとそこには女性物と男性物の着替え一式。町の人々の普段着のような物だった。


「下着まではよくわからなくてね。店の人にみつくろってもらったよ」

「あ、ありがとう……」

「あとこれ、水で絞ってきたから血をぬぐうといい」


 濡らした布も渡してくれる。そう、私の上半身は半乾きの血でべっとりしているから、このままじゃ着替えられない。


「気が利くのね」

「どういたしまして。じゃあ私は向こうで」


 自分の分の服を取るとアリステアはさっさと木の陰に消えた。私も急がなきゃ。顔を拭き、首をぬぐい、べたべたの体はできるだけ着ていた服でこすり取る。

 清浄にした胸を改めて見てみると、撃たれた傷なんて何も残っていなかった。幻でも見たんじゃないかしら。

 そんなわけないわね、じゃあこの血はなんなの。


「おっと、まだか」

「きゃあぁ!」


 背中に手を回して拭いていると後ろでアリステアの声がした。ザッと落ち葉を踏む音は、引っこんでくれたのかしら。


「女性の着替えをのぞくなんてッ!」

「悪かった――背中、拭いて差し上げようか?」

「けっこうです!」


 笑いを含んだ声で提案され、私は断固として拒否した。背中まで見られた――待って、この人のことだからわざとじゃないの? 考えて、私は耳が熱くなるのを感じた。


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