暗室

小狸

短編

 小説を書く時には、部屋の電気を消すようにしている。


 節電、というわけではない。


 私が地球環境のことを日夜考えて過ごすほどに殊勝な人間ではないことは、これを読む皆様は理解していることだろう。


 暗い方が好き――というわけでも、実はない。


 医学的に正しいかはさておいて、暗い場所で何かをするということは、視力の低下に繋がると良く言われる。特に執筆――パソコンを用いた作業については、暗い部屋ではするなと、誰しも親に注意されたことがあるのではないだろうか。


 なかなかどうして、自罰的、自虐的な表現、物語を好んで書くような私ではあれど、流石に自分の身体に、わざと無理無体を強いることは、無いといって良い。


 ならばどうして、電気を消すのだろうか。


 それは至極簡単な答えを提示できる。


 伏線も憶測も必要ない。


 小説を書く時に一番集中できるのが、暗い状態だからである。


 だからお前の小説はいつも暗いのだ――と、そんな台詞が読者から飛んできそうであるが、それはその通りなのかもしれない。


 暗い時が、一番集中して小説を執筆することができる。


 一度時間と文字数を計測してみたことがある。


 電気を付けた時と消した時で、どれだけ小説を書く能力に差異があるのか。私の最大連続執筆持続時間である2時間の内に書いた文字数で計測した。極力体調面などの外的要因に左右されぬように、調子の良い時を選んだ。すると、電気を消した時、暗い時の方が、圧倒的に執筆文字数が多かったのである。その内容はどうなのか――という話だけれど、こればっかりは、主観で比較することはできない。そういう時は、ネット上に小説をアップし、そこに付いた「共感いいね」の数、「評価」の数で比較してみたりもした。それは、私の投稿時刻や頻度を見れば、いつ比較したかが容易に想像できるだろうから、敢えて作品名は言うまい。そうして比べてみると、やはり圧倒的に「共感いいね」や「評価」が多かったのは、電気を消した時――なのである。


 どうしてなのだろう、と。


 ふと考えてみた。


 私は一日の大抵の時間は、執筆のことを考えている。職業小説家という気質もあるが、それ以前に、多くのことを同時進行で考えるのが苦手なのだ。そんなお前に考える余裕があるのかと問われるやもしれないが、あったのだ。


 それは本当に何でもない、ある日のことである。


 締め切りも遠く、先日完了稿を提出し終えた、余暇のような時間であった。


 その時間に、私は考えた。


 どうして私は、暗い時に集中力が増すのか。


 暗室。


 暗い。


 暗い部屋。


 連想ゲームで、頭の中に言葉を浮かべてゆく。


 それはやがて拡張され、記憶が追い付かなくなったので、無地の印刷用紙を一枚とって、そこに曼荼羅まんだらのように書き連ねていった。


 慣れている者ならすらすらとできるのだろうが、私はこういうことを試みるのは初めてだったので、苦労した。それでも、言葉に言葉を重ねた。


 ただ、色々と書き連ねてはみたけれど、結局は。「暗い」「夜」「曇り」「暗室」「暗い部屋」の中でウロボロスが如く輪廻する始末であった。これでは連想も何もない。


 そう思い、鉛筆を置こうとしたところで、ふと。


「部屋」。


 どうして私は、部屋に拘るのだ。


 そこに気が付いた。


 暗い部屋?


 すなわち光の入らぬ部屋。


 光が入らぬ部屋?


 そんなものがあるだろうか。


 光が入らないということは、窓がない、ということである。


 大抵の部屋には、窓が付いている。人間は太陽光などの光を浴びることにより、何とかという体内の仕組みで、とにかく健康になるのだ。


 出入り口しかない――部屋。


 暗い、部屋。


 そこに、何か。


「あ」


 と。


 思い至った。


 そうだ。


 私は――


 どうして、忘れていたのだろう。


 いや、いやいや。


 忘れていたのは、からだろう。


 私は、両親からの教育の一環として、部屋に閉じ込められていたのだ。


 それは過度な親からの仕置きの一つとして挙げられ、また時に虐待にもなる。


 私の家は、とても厳しい家庭であった。


 父と母は私の教育に熱心であった。


 私立の小学校の試験を受け、そして落ちたあたりから、それは少しずつ壊れ始めた。


 親は私に、期待していた。


 だから、勉強の合間に小説を書こうとする私のことを、許せなかったのだろう。


 そう――そうだ。


 あの頃が、私の原体験だ。


 私は、物語が好きだった。


 父も母も、幼稚園に入った頃から、私に沢山の物語を読んでくれた。


 寝る前に、何度もお気に入りの本を読むように頼んで、親を困らせていた。


 父と母と一緒に、ベッドで物語を読む時間。


 そんな時間も、そんな奇跡も、そんな希望に満ち溢れた瞬間も、あったのだ。


 しかし――入試に失敗してから、両親は――特に母は、おかしくなった。


 いや――それはあくまで私の視点であり、母としては、「ちゃんとした風に幸せになって欲しい」という願いを込めた愛の鞭だったのだろうと、今なら想像が及ぶ。


 が、それでも。


 あれは異常だったと思う。


 先に見つけたのは、母だった。


 私が勉強の合間に、ノートを1冊消費して、隠し持って、物語を書いているのを見つけた。


 たかがノート1冊かと思うかもしれないけれど、親というものは子どものそういう機微に気付いているものである。


 母は半狂乱になった。


 多分、許せなかったのだろう。


 勉強の合間に、小説の執筆などという非生産的かつ、将来性の無い行為をしていることを。


 私の襟首を掴んでずるずると引っ張られた。

 

 途中抵抗したら、頬を叩かれたのを覚えている。

 

 そして、家の外にある倉庫まで連れていかれ、鍵を閉められた。

 

 そこで反省していなさい、とか。

 

 あなたが勉強しないからだ、とか。

 

 何やら色々と言われた気がするが、私は覚えていない。

 

 暗室の中で、私は泣いた。

 

 しばらく泣いて、そして泣いても仕方ないことに気付いて、泣くのを止めた。

 

 その時私を満たしていたのは――勉強のことでも、自分のしてしまった行為の反省でもなく。

 



 ――という。




 ただそれだけの、思いであった。


 倉庫は、使い終えたノートや教科書など、紙類は置いてある。ただ、書くものがない。何か、何か書けないか――と、私は探した。必死だった。そして、使い終えた文房具がまとめられている袋の中に、恐らく父のものだと思われるシャープペンシルを見つけた。


 しめた――と私は思った。


 私はそれを使い、ノートに、教科書に、小説を書いた。


 しばらくすると、シャープペンシルの芯が無くなった。


 もうその時私は、


 そのまま、暗い倉庫の壁に、物語の続きを刻み続けた――書き続けた。


 ガリガリという不快な音が鳴ったけれど、気にならなかった。


 


 そして次の日、母は、私を見に来た。


 反省していると、思ったのだろう。


 一晩中私が、小説を書いていたとも知らずに。


 倉庫の鍵を開けた。


――」


 壁中におびただしく刻まれた文字群を。


 ノートに穿うがつように書かれた小説群を。


 教科書を上塗りするように彫られた言葉群を。


 


 倉庫中の物語を見て。

 

 母は、完全に、なった。


 その後。


 両親は二度と私に「勉強しろ」とは言わなくなった。


 それからしばらくして、両親は離婚した。


 私は父方についていくことになった。


 離婚することになった話を、私は後から聞いた。


 母は、何も言わずに家から出ていった。


 それからそこそこ良いところの私立高校に入学して、在学中に私は、小説家としてデビューした。


 父は2年前に、鬼籍に入った。


 今は一人で、生きている。


 暗室にて、小説を書いている。


 あの頃と同じように。


 それを寂しいとは思わない。


 私はいつだって、独りなのだから。




(「暗室」――了)

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