第40話 探索少女のしてほしいこと

 落ち着いたところで、俺の腕を長らく拘束していた手錠を外してもらった。もちろん、伊野尾の魔法で、だ。

 破壊でなく拘束解除だったからか、強くなって再度手首を拘束してくる、ということもなかった。やはり、こういうところから見ても甘露の施設は探索者対策ができていたとは思えない。もちろん、俺みたいな脳筋タイプには有効だから、なんともなのだが。


「しっかし、器用なこともできるんだな。実に鮮やかな手口だ」

「そんなことないよ。こんなこともあるかなって思って、鍵開けも練習しておいただけ。たまたまだよ」

「どんな、こんなこともあるかな、だよ」


 普通、鍵開けが役に立つのって不法侵入の時くらいじゃないのか? 俺も、鮮やかな手口とか言っちゃったし。


 それはさておき。


「ありがとな。お礼に何かできることがあれば言ってくれよ? 手錠がなくなれば、何をしてるかまではわからなくとも、拠点の整備くらいなら手伝えるだろうし」

「ならなら、ギュッてしてほしい。比企からもわたしをギュッて。今ならできるでしょ?」


 これは意外と言うべきか、それともこれまでの伊野尾からやはりと言うべきか、見た目の大人な雰囲気に反して、なんというかやたらと幼い。


「俺としちゃ、それくらいでいいなら別にいいんだが」

「んー」


 俺の言葉を聞き切る前に、伊野尾は少しだけほほを染めて目をつぶり、期待したように両腕を目一杯に広げて待機し出した。

 そんな伊野尾の様子に思わずほほをかく。


 俺としては俺に対するスキンシップについて注意をするつもりだったのだが、こんなに素早く先回りされては、気まずくっとも注意しにくい。もっと俺を警戒しろと言いたいところだが仕方ない。俺がお礼にできることならって言ったんだしな。


 俺は一度深く息を吐き出してから、伊野尾の体に腕を回した。すると伊野尾は安心したように体の力を抜いて俺に体重を預けてくる。さっきまで気を張って周りを警戒していたことがわかるくらい、伊野尾の体が一気に脱力した。


 俺を警戒してほしいと思ったが、ダンジョンにいることはしっかり忘れていなかったわけか。


 それに、ゆっくりハグができるくらいだし、どうやら伊野尾がしかけた足止めは、甘露に対して有効に効果を発揮しているようだ。


「本当にこんなことでよかったのか? 伊野尾一人じゃ拠点の整備も大変だろうに」

「いいの。比企は多分、こうでもしないとわたしとハグしてくれないでしょ?」


 照れたように、少しつっけんどんな感じで伊野尾は言う。


「まあ、そうだが……」

「でしょ? だからいいの」

「そういえばハグが好きって言ってたもんな」

「うん。でも、誰でもいいってわけじゃないもん」

「比企だからいいんだよ」なんて、俺の耳元で囁かれた。


 こればっかりは人の感情をもてあそんでいるような気がして、少しだけ嫌な気分がした。間違ったことをしているとは思わない。が、やはり、絶対的な正義を貫いているわけではない。年下の女の子の感情を、いたずらに刺激するようなこと、世間的にはロリコンのそしりを受けても甘んじて受け入れざるを得ないはずだ。


 なんて、思考がいつも以上にネガティブになるのも、俺のほうからも伊野尾に対してハグをしてしまっているから、ということももちろんある。だが、それ以上に、事故的なこれまでのハグと違い、ゆっくりとハグをしていることで、あれを意識せざるを得ないから、というのもある。いわば、冷静さを保つための防衛本能だ。伊野尾は甘露と違ってあれが大きいのだ。俺の前面に当たっているあれが。甘露より、とても……。


「ハッ!」


 そこまで考えたところで、謎の悪寒が急に背筋を走り、俺はバッと背後を振り返った。だが、そこに甘露はまだいなかった。それでも、冷や汗が全身から吹き出してくる。そして、汗が冷たくつたう嫌な感覚が、そこかしこからやってくる。気づくと伊野尾の身体とは関係なしに心臓がバクバク鳴っていた。


「比企、どうしたの?」

「い、いや、なんでもない」


 俺の急な態度の変化で、心配そうに首をかしげて伊野尾に聞かれてしまった。

 当然だ。伊野尾を押しのけこそしなかったものの、俺の体に変に力が入ってしまったのだから、勘づかれても仕方がない。

 ただ、ごまかそうにも、不思議そうにする伊野尾を前に、俺の心臓は全くペースを落ち着かせてくれない。


「比企?」

「えーと、その、そう。もう少しここがどんなところか見たいなと思ってさ」


 俺の苦し紛れに出た言い訳に、伊野尾はにっこりほほえんでうなずいた。とても胸が痛い。


「いいよ。ここもダンジョンの中なんだ! そうだよね。比企も探索者ならここがどんなダンジョンか気になるよね!」


 得心がいったというように、ぽんっと手を打つと、伊野尾は俺の手をそっと取った。


「案内するから、行こ?」

「あ、ああ」


 伊野尾に手を引かれるまま、俺はダンジョンへの道への道を歩き出した。

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