第37話 推しの侵入

 懇願するように願望を伝えられるのは、それが伊野尾のものでなく誰からであろうと、俺にとっては初めての経験だった。


 まあ、重く求められるというのは予想外だ。お買い求めしにくい俺だろうに……、ただ、甘露の経験があったことを思えば、それと似たようなものかもしれないが……。

 いずれにしろ、俺はそんな嬉しい申し出を受けても、素直に首を縦に振ることはできなかった。


「それは厳しいと言わざるを得ないな」

「比企、わたしのこと嫌いなの? わたしじゃダメ? 歳上じゃないと?」


 もはや涙目になりながら聞いてくる伊野尾を前に


「いやいやいや。伊野尾のことが嫌いだからってんじゃない。そして、歳上がいいとかいう俺の好みの問題でもない。そもそも、俺は別に歳上好きじゃない。むしろ、お前からの好意は嬉しい、ってあれ? 俺のほうが歳上って判明してたか?」

「ならなんで?」


 ふっと、何かに思い至ったように伊野尾は顔を曇らせた。


「……もしかして、あの子のことが」


 伊野尾が何かを言いかけたところで、驚きに見開かれた目とともに、伊野尾は顔を上げた。


 俺の手首を拘束する手錠が放ったバイブレーションは、どうやら幻覚などではなかったらしく、正しく持ち主の接近を知らせてくれていたみたいだ。俺のほうもスキルで当人の接近に気づけた。それから比べると伊野尾の反応は遅かったが、しかし、ダンジョンの壁がぶち抜かれ、侵入者が入ってくるのには間に合った。


 伊野尾は俺をかばうように俺に覆い被さった。


 次の瞬間、爆発にも似た爆音とともに、何よりも丈夫に思われたダンジョンの壁には、一軒家の入り口よりも大きな大きさの穴が開けられていた。

 土煙の奥に少女の影が一つ。当然、俺と伊野尾の視線はその少女へと釘付けになる。


「…………ヒキさんを返せヒキさんを返せヒキさんを返せヒキさんを返せ」


 壁の破壊音とは裏腹に、聞こえるか聞こえないか程度の小声で、何かをぶつぶつつぶやきながら入ってきた少女。当然、そんなことをできるヤツがそうそう多くいるはずもない。

 そう、ダンジョンへ入ってきたのは、伊野尾が出し抜いたはずの甘露だった。


「どうやら話題に出そうとしていたヤツが来たみたいだな」

「うそ。学校に行ったのを確認してからここまで手を打ったのに。比企を閉じ込めてたところだって、がら空きだったはずでしょ?」

「そこは補足しておくと、言ってしまえば探索者が警戒するようなトラップがないからこその、普通の侵入、脱出対策は仕込まれていたんだろうさ。加えて、あいつは不思議ちゃんらしいし、何かあったら早退も結構通るんだろう」

「わたしが色々と悩んでこんな状況になってるのに、恵まれてる子がそんなのって……」


 伊野尾が初めて怒りをにじませているのを見て、俺も少し共感した。そりゃ、自由奔放にして欲望まみれにして金持ちの娘とか、普通に嫉妬の対象だ。だが、そんな表面的なものじゃない雰囲気を伊野尾は放っている。きっと伊野尾の場合は、聞いていないことの中に、かんに障るところがあったのだろう。

 ただ、そんな伊野尾だからといって、死からは助けようとも、俺が支える義理まではない。


「まあ、アレを見てのとおりだ。一緒にいてやりたいが、アレがいるから俺の一存では決められない。こんなものもつけられてるしな」


 冷静さを欠きつつある伊野尾だったが、俺の言葉に手錠を見るくらいの余裕はあるらしかった。だが、それはどうやら、冷静さを取り戻すには逆効果だったようで、伊野尾は甘露への怒りを強めるように拳を握りしめた。


「ふーはーふー……落ち着けわたし、流されちゃダメ。比企が落ち着かせてくれたんだ。周りを見ないと」


 自分に言い聞かせるように、侵入してくる甘露を前にしつつも、伊野尾は呼吸を整え出した。どうやら、無茶な探索についてはかなり反省したみたいだ。今回は考えなしに動いていない。

 対して目の前の甘露は考えなしにここまで来たように見える。


「見ぃつけたぁ! ヒキさんヒキさんヒキさん! 私のヒキさんをこんなところに連れ込んでぇ! 絶対許さないんだからね!」

「というわけで、俺はアレに飼われてるヒキニートなんだよ」


 砂埃を引き裂いて目を爛々に輝かせつつ、甘露は狂ったような笑みを顔に貼り付けている。

 その目は、俺ではなく、俺を抱きしめる伊野尾だけをただ見据えていた。


「私のヒキさんを返せ!」


 甘露の言葉とともに、きらりと何かが閃いた。


 よく見ると、甘露の背後で三本の剣が宙に浮かんでいた。ゆらゆらと不規則にゆらめきながら、まるで獲物を狙っているように、一分の隙もなくこちらの様子をうかがっている。

 そのうちの一本が、俺と伊野尾のいる場所めがけて勢いよく放たれた。

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