第33話 ごまかすヒキニート
じっとりとした目で、甘露はなおも俺の目を見つめてきていた。
「今日は特に動いてないのに、俺がにおうってのか? 冗談キツイぜ」
ふざけた調子で聞いてみたが、甘露は背筋も凍るような冷たい目で俺を見てくるだけだ。別段、恨めしいことはないはずなのに、その、甘露のものとは思えない冷酷な視線のせいで、反射的にギクリとしてしまう。
「ヒキさんの汗とかそういうものではなく、他の女のにおいですよ」
まるで浮気を疑う彼女のように声まで冷たく甘露は俺に詰め寄る。
まさか、甘露以外の女の子に憑依したとか、そういうレベルでもわかるのだろうか? スキルの使用レベルでも。いや、ないない。それは、においに出るものじゃない。ありえないだろ。
ただ、甘露の勘というのは存外鋭い。事実、魂レベルなら会っていたわけだ。甘露の言葉を借りるなら、一つになっていたわけだから。
「あれじゃないか? 俺の体臭と甘露のにおいが混ざったとか。あとは、甘露のにおいと、甘露の作った飯のにおいが混ざったとか。ほら、あれ、美味かったし」
俺がごまかすようにそう言うと、甘露は少しだけほほを染めて、目に光を戻した。
「……本当ですか? 好きですか? 大好きですか?」
「あ、ああ。好きだな」
「ふふふっ! 好きだなんて、そんな。知ってますけど、知ってますけどね!」
バシッと俺のことを盛大に叩きながら、顔を隠すようにほほを押さえて、くねくねしながら立ち上がる甘露。
「いや、好きなのは飯が、だからな? それ以上でも以下でもないからな? 他の意味はないからな?」
「もう! ごまかさなくってもいいですよ。わかってますから。ヒキさんは可愛いですね」
「可愛いって……」
甘露は、一人で勝手に舞い上がってしまったようで、案外広い秘密基地内でスキップし始めた。
こうまで盛り上がってくれちゃうと、なんだか、都合の悪い事実を隠すために、俺が甘露のことを持ち上げたみたいな気がしてきて、さすがの俺でも気が引けてくる。まるで、引け目があるような気がしてくるから不思議だ。
ただ、嘘は言っていない。飯が美味いということは食べている時も言っていたことだし、食べていない時も言っていたと思う。それなのに、なんだかこれはこれで落ち着かない。いちいち喜ばれるのは、まあ正直悪い気はしない。そのことだけを見れば悪い気はしないのだが……いや。
「……考えるだけ無駄か」
「何か言いましたか?」
ぼそっと言った俺の言葉に耳ざとく反応して、甘露は俺の前に正座した。
「なんでもないよ」
「そうですか? でも、してほしいことがあればなんなりと申しつけてください。新婚夫婦のようにイチャイチャしましょう」
「しねぇって。そして、新婚夫婦でもない」
「そうでもないですよ」
「そうでもないってどうだと思ってるんだよ。その思いはお前の頭の中だけにとどめておいてくれ」
本当、軽い気持ちで自由な関係性を想像させたのは間違いだったかもしれない。今からでも、あの発言を訂正できないだろうか。
無理だよな。甘露が忘れた姿を思い浮かべられない。
「そうだ。学校行って疲れてないか? 俺もこんなんじゃ手伝いなんてできないと思うが」
「手伝いなんて、ヒキさんに些事をさせるわけないじゃないですか。甘露梨花として失格ですよ」
それこそ新妻のように(?)、甘露は学校帰りということをも俺に悟らせないほどに働き始めた。
元より、家事雑事は得意なのかもしれないが、物が少なく、いい物しか取り揃えられていない場所ともなれば、甘露の能力は、スキルでさらに輝きが増すようだ。テキパキ動く甘露により、やるべきことはあっという間に片付けられる。
そして、騒いで疲れたのか、俺の隣で無防備に寝てしまった。昨日も結局そんな感じで、案外すぐに寝てしまった気がする。俺のすぐ近くってのは気になるがな。
「まだねへまへん。夜はこれかりゃれす」
寝言でも何かしようとしているらしく、しつこく俺にしがみつこうとしている様は、親離れできていない赤ちゃんのように見えなくもない。家庭事情がどんなだったか、お見合い相手や甘露の口から時々聞かれることから推測するしかないが、決して、平々凡々でアットホームな家庭だったとは思えない。案外、こうして疲れたように眠ることも実家じゃできなかったのかもしれない。
「……だとしても、自由がすぎると思うけどな」
布団をかけ直してやると、むにゃむにゃ言いながら気持ちよさそうに寝返りを打った。
テンコちゃんのことは忘れたフリをして過ごしたが、やはり、刺激されるのは罪悪感だ。本当に、やましいことは何もないはずなのに、こうも正面から来られると、俺なんかはどう対処していいか困る。
ただ、バレていないというのなら、テンコちゃんに危険が及ぶことはないだろうと、少しだけほっとした。
今のこいつは何をしでかすか、わかったもんじゃないからな。
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