第32話 推しに浮気を疑われる
さて、テンコちゃんの回復も完全に済ませた。それ以上は特にやることもなく、ダンジョンを脱出するところまで、俺の意識でしっかりとやってから、俺は甘露の秘密基地に戻ってきた。当然、テンコちゃんの姿で、ではない。魂だけの姿で、だ。俺の体に戻るためにな。
ダンジョンでの俺の役割は、あくまで命を助けるところまで。それ以上は担当していない。ダンジョンを出たが、家は知らないし、助かったかどうかは不明だ。
バズりの方も、今回に関しては、甘露の秘密基地じゃ配信の切り抜きもできないし、俺からできることはもうない。配信中、コメントに反応もしなかったから、話題になるには弱かったかもしれない。今回は、甘露を助けた時のように、強敵を前にして派手な戦いを繰り広げたわけでもないからな。そういう意味でも、望み薄だ。ただ、大元の目的は達成できた。無茶をしている奴を止めることはできた。
バズらないならそれでもいい。そこはテンコちゃんのがんばり次第だ。
「ふぅ」
「ただいま帰りました!」
俺が息を吐き出すと、甘露がちょうどいいタイミングで帰ってきたところだった。
あくまで秘密基地だろうに、甘露は、もはやここが家みたいなノリで帰ってきた。鼻歌混じりで表情も明るい。明るいことが多い甘露にしても異様にテンションが高い気がする。
「なんだ? 妙にご機嫌だな」
「それはそうですよ。だってヒキさんがいる場所に帰れるんですよ? 考えただけで、もう楽しいじゃないですか」
「楽しいじゃないですか、って言われてもな。俺がいるだけじゃ、そんなことないと思うが」
「そんなことあるんです!」
るんるんとカバンをその辺に放り出し、軽い足取りで近づいてくる甘露だった。本当に、どういう神経をしているのかよくわからない。アイドルや有名探索者のように、俺にカリスマはないと思うのだが、今の女子高生の、いや、甘露の感性は未だによくわからない。
だが、そんな俺の疑念どおりと言うべきか、甘露は俺に近づくにつれ、表情を険しくし始めた。ただ、これもよくわからない。特別好かれることもない反面、特別嫌悪感を抱かれることもないと思う。そもそも、俺を監禁している犯人は、甘露なのだから。何かミスったろうか。
「どうかしたか?」
「…………」
甘露は俺の言葉にも答えなかった。
怪しむような視線を浮かべて、ゆっくりと警戒するように、ひたひたと俺との距離を詰めてくるだけだ。
なんだか居心地が悪く感じられ、退避するために立ちあがろうとしたところで、俺は今、自分が手錠で拘束されていたことを思い出した。幽体離脱に憑依までしていたから、完全に自分の本体が不便な状態にあることを忘れていた。
くっ。何か、何かないか?
据わった目をした甘露から、ただならぬ雰囲気を感じ取り、どうにかできないかと手近なものを探すが、いかんせん物が少ない。搬入されていないという事実が、俺に足枷となって絡みつく。打つ手なしか?
いや、手が出なくても口は出せる。
「黙って近づくのはいいが、なんの用かくらい教えてくれないか?」
「すぐに話します。だから、ちょっとの間、じっとしててください」
言われるまま、元より動けない俺は、甘露にされるがままじっとしていた。
カバンを放り出して両手が空いていた甘露は、地べたに座る俺と目線を合わせるようにしゃがみ込んでから、膝立ちになり、俺の肩を支えにしてぐっと距離を詰めてくる。首筋のあたりに顔を近づけ、すんすん、と鼻で息をしているのが聞こえてくる。
「おまっ。帰ってくるなり何すんだよ」
体をよじってツッコもうとするが、集中した甘露の力の前では、慣れない姿勢の俺では振り払うことができない。手加減しているとはいえ、普段から強化された力を自然と使っているようだ。
くそ、こんな時まで分析的な思考が頭から離れない。
「そろそろ終わらないか?」
「ヒキさん、においます」
俺の肩を掴んだままの姿勢で甘露は体を起こすと、俺の目をまっすぐ見て言ってきた。
こいつ、失礼な奴だな。
「風呂はこの施設に併設されてるやつに入ったろ。今日はダンジョンにも潜ってないし、運動だってしてないぞ? それなのに、におうって言われてもな。俺はまだ、加齢臭がするほどの歳じゃない」
「違います。体臭は好みです。その話じゃありません」
「そう言えばそんなことも言ってたっけな」
改めて真正面から体臭が好みとか言われても、それはそれで居心地が悪いのだが、ただ、違うというのなら、何がにおうと言うのか。それこそ、甘露の嗅覚は食べた物によって人間のにおいが変わるとか、そういう能力なのだろうか。
「じゃあ、何がにおうんだよ」
「女のにおいです。私以外の、他の女のにおいがします」
「他の女……?」
言われていることがピンとこず、一瞬眉根を寄せてから、ふと、心当たりを思い出して、俺は、できるだけ平気なフリをしつつ甘露の目を見返した。
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