第27話 推しの遅着替え
薄暗いせいもあるのかもしれないが、俺がいることを気にした様子もなく、甘露は着替えていた。もしかしたら、まだ眠っていると思ってのことかもしれない。俺が起きたことに気づいていないのかもしれない。
そんなことを頭の中では考えつつ、あっけに取られて呆然としている間も、甘露は俺のことを見もせずに制服に袖を通していた。俺でも聞いたことのある、お嬢様学校、私立
育ちがいいんだな。……じゃない。
「甘露」
「あ。ヒキさん、起きたんですね。おはようございます」
「お、おはよう」
照れも恥じらいもない様子で、甘露は着ている最中ということも気にせず俺にほほえみかけてきた。むしろ、俺が甘露を前に心ここにあらずな様子のせいで、きょとんとした顔で小首をかしげているほどだ。
「どうかしました?」
「いや、あの、だな」
俺は隠そうとしない甘露を見て、甘露から視線を外した。そのまま思わず顔をしかめてしまう。頭痛がするとはこのことか。
「頭が痛いんですか?」
しかし、察しの悪い甘露は、そのまま特に着替えを進めることなく俺を心配するように駆け寄ってきた。
慌てて逃れようとするが、手錠の存在を今さらのように思い出し、うまく動けず、むしろ甘露に支えられるようにして、体を起こすはめになった。甘露の小さな胸が視界に入ってくる。
「本当、ヒキさんらしくないですよ? そんなに動揺しているなんて、どうしたんですか? 朝が弱い、とかじゃないですよね。昨日は特にそんな風には見えませんでしたし」
「ああ。いや、そろそろ気づいてくれてもいいと思うんだが……甘露、お前早く服を着たらどうなんだ? 俺は別に同性じゃないぞ?」
「もう、同棲だなんて! たしかにそうですけど」
「違う。そんなボケじゃない。というより、その反応は無理があるだろ」
「まあまあ。ようやく私を妻として認めてくれたってことで受け入れますよ」
「おかしなことを言ってるのはお前だからな? 同棲イコール結婚じゃないぞ?」
「誤差の範疇です」
「全然違う」
はあ、とため息をつくものの、なぜか誇らしげで、かつ堂々とした様の甘露は、むしろ見ていて清々しいほどだった。なんというか、強者の振る舞いとでも言うのか、貧相な肉体ではあるが、それでも自信たっぷりな様子は見ていて気分がいい。
「今の思考はとてもよくないですよ」
「どういうスキルか知らないが、俺の心を読むな。第一、お前が変な格好でウロウロしてるのが悪いんだろ。さっさと服を着ろ」
「何を照れてるんです? ヒキさんと私の仲じゃないですか」
「そんな昔から一緒にいる幼馴染みたいに言われても困る。俺とお前は画面越しに一年話しただけの仲だ」
「ヒキさんしかファンがいない状況で、ですよ。普通、そんなに長く付き合ってくれません」
「……」
多少、心の支えだったのかもしれないが、だからといって、年頃の女の子が赤の他人である男に気を許すほどのことではない、と思う。
「それに、ヒキさんにとっては、いい眺めなんじゃないんですか?」
「少しは恥じらえ。いい眺めかもしれないが、彫刻とか見てるのとおんなじ気分なんだよ」
「と言うと?」
「つまりだな。今俺が見ているのはアートなんだって思っちゃったんだよ。そう思ったらもうおしまいだった。甘露だって探索者やってるんだもんな。頭が慣れてくると、他の何より、美しいって思考が脳を占めてる」
はじめこそ面食らったが、今じゃスキルだけでない甘露の努力を知ることができて、ファンとして純粋に嬉しい気持ちだ。
「そう言われるとなんだか照れくさいですね。ヒキさんに見られて恥ずかしいところなんてひとつもないですが、それでも真剣な顔でそんなに褒められるのは正直こそばゆいです」
とかなんとか言いながら、初めて照れたようにほほを赤くする甘露を前に、俺は不意に視線を外してしまった。
なんだ? 今、別の感情が起こったような。
「なるほどなるほど。こういうのがいいんですね?」
甘露の楽しげな声とともに、ハッとして我に返る。すると、甘露は、わざわざ俺がそらした視界の中へと入り込んできた。
「おい。人が視線をそらしていたのに、なんでそっちから来るんだよ」
「きゃっ! も、もう! ヒキさんったら、あまりジロジロ見ないでください!」
「今さら遅いわ。全部台無しだよ。と言うより、見ないでとか言いながら今完全に見せに来てただろ」
「もう。女の子がみんな優しいとか思ったら大間違いなんですからね。他の子だったら警察沙汰ですよ」
「だから立場がおかしいって。しかもお前ノリノリじゃねぇか。くっそ、これ後ろ向くのも一苦労だな」
きゃっきゃっと楽しそうにはしゃぎながら、甘露はゆっくりとした動作で着替えていた。
「本当、そんなことしてたら遅刻するぞ?」
「大丈夫ですよぉ。学校より、ヒキさんとこうしている時間の方が私にとってはよっぽど大事ですから」
なんて言いながら、甘露はゆっくりと着替えを続ける。別に大事だからって遅刻することに変わりはないのでは?
とまぁ、そんなことがありつつも、甘露は俺に飯を食べさせてくれた。その辺の手際はさすがとしか言いようがないのだが、いちいち動作に無駄が多い。
今も俺に対して後ろからもたれかかってきている。ただ、今は俺も、甘露がいるなぁ、くらいの感情しか湧かない。さっきのは本当、なんだったのだろう。推し、とはまた違うような。
「そうです。ヒキさんも行きませんか? 学校」
「なに言ってんの?」
目をキラキラさせながら、甘露は俺のことをくるっと回して真正面を向けてきた。
「行きましょう。学校」
「やだ。俺は甘露がいない間ここでグダグダするんだ」
いくら甘露でも俺の本分を邪魔されては困る
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