第26話 ヒキニートの天国

「もう一回! もう一回やりましょう。次は負けませんから」


 俺にすがるように言ってくる甘露の肩を、俺は押して引き離す。


「さっきからずっとそれじゃないか。ただのゲームだろ? いつまでやるつもりだよ」

「私が勝つまでです。どうせヒキさん、ここにいるしかないんですから、私の相手してくださいよ」


 はじめこそ乗り気でなかった甘露だが、負けるたび再戦を求めてきて、そして怒涛の50連敗で今に至る。不正は何もしていないが、どうなら相当運がないらしい。不注意でなくダンジョンでトラップにかかる才能は伊達ではない。

 ただ、ここまで悔しがるところを見るに、今までは周りが勝たせてくれていたのだろう。敗北というのがよほどこたえたのか、甘露は自身の敗北を全く認めようとしない。いや、どんどんとその泥沼加減を深めているようにすら感じられる。キンググリズリーという予想外の相手と遭遇した時の取り乱しようもそうだが、甘露は案外、予想外のことに弱いのかもしれない。


「もういっか」


 くぅ。


 おねだりする甘露の声に割り込むように、甘露のお腹がかわいらしく鳴った。

 甘露は少しばかりほほを赤くすると、そっと俺から離れた。


「ご、ご飯にしましょうか」

「そうしてくれ」


 いかに手抜きで食事を済ませてきた俺でも、両手を手錠で拘束されている状態で飯の準備はなかなかに面倒くさい。さっきは確認のために脱臼して腕を前に回したが、あれだって、ずっとそのままでいたいものでもない。そもそも食べにくいことに変わりはない。

 ということで、昨日の夕食と同じように、甘露は器用にも料理の準備を始めた。よく考えると、朝食を食べ損ねているので腹が減って仕方がない。さまざまなものの搬入が済んでいないとかいう話だったが、料理をするための道具や食材に関しては一通りそろっていたようで、俺がトランプタワーを作っている間に料理が完成してしまった。


「お待たせしま、え、すごい。どうやったんですかそれ」

「よし、食べるか」

「待ってください。そのタワー、手錠された状態で作ったんですか?」

「ああ。これか? こんなのは別にお遊びだ」


 テキトーに作ったものを飾っておくのは気恥ずかしく、俺は乱雑に手で払ってタワーを崩した。


「ああっ。もったいない! せっかくヒキさんが作ってくれたものを」

「別にあんなもん暇なら誰だってできるだろ」

「たしかに両手が使えればできるかもしれませんが、後ろ向きで建てられる人はそういませんよ」

「ふぅん?」


 こんなことで持ち上げられてもな。俺は場合、探索者として器用さが求められることもあまりないし。


「ん? 料理の皿は二人前なのに、なんでスプーンもフォークも一人分なんだ?」

「それは、こうするためですよ」


 言って。俺の家で出てきた料理とは数段上な雰囲気の料理を、甘露は器用な手つきで俺の口の真ん前に差し出してきた。


「ほら。食べてください」

「外せば一人で食べられるぞ」

「その手には乗りませんよ。まだ要観察ですから」

「だとしても、食べるのは自分でもできる」

「それじゃ冷めちゃうじゃないですか。私に食べさせてもらえることが嬉しくないわけないでしょう?」

「だが」

「抵抗しないんじゃないんですか?」

「くっ……」


 そんなつもりで行った言葉じゃないが、ただ、反抗する、という意味じゃ同じと取られても不思議はない。手錠にしても、今はまだ動きを制限されるだけだが、変化が加えられる可能性がある代物だ。あまり不要な対立は避けたい。

 悪くない環境だが、なるほど。そこまでの怠惰とは思っていなかった。これは、考えを改める必要がありそうだ。


「最高か?」

「そうでしょう?」


 俺はおとなしく甘露にご飯を食べさせてもらった。それはそれは贅沢な時間だった。悪くない。何もせずとも飯が運ばれ。それは凄まじく美味しいときている。甘露のお腹が空いていたことで、手の込んだ料理ではなさそうだったが、それでも、昨日家で出された肉よりも柔らかな肉は今の不自由さを嘆くことも忘れるほどで、思わず口の中に全意識が持っていかれてしまった。


「室温もちょうどいいし。ここは天国か?」

「ええ。どんな活動をするのにもちょうど良い温度に調整されるよう設定されています。暑すぎることも寒すぎることもありません」


 そのうえゲームもできるし、いつでも寝られる。これはニートとして生活する許可が降りたようなものだ。まあ、俺は元々学校にも行かず、労働もしていないニートだから変化はない。だが、それでも、買い物の必要すらないというのは、煩雑な作業を何もしなくていいということ。まさに解放。まさに自由だ。

 俺の住んでいたあのアパートにしても、大家さんが俺に理解のある人だから突然失踪しても100年くらいは大目に見てくれる。

 問題などない。


「しかも美少女メイド付き」

「メイドではないですけど、ヒキさんと一緒に過ごすためなら、花嫁として一通りのことは私がやりますよ」

「花嫁ではない」

「いい加減認めてくださいよ」


 若干意見の相違があるにせよ、そんなもの気にならないほどの大層な現実。俺みたいな、人間をやめたような存在にとってはこれ以上を望めない環境だ。風呂も飲み物も一通りそろっているし。


「それでヒキさん。先ほどの続きを」

「俺は寝る」

「ヒキさん!」


 美少女にゆすられながら眠る。アパートと違って、俺が見張りをする必要すらない。ボディガード廃業。ニート万歳!


 そして朝がやってくる。

 日が昇るのと同じような時間に室内の明かりも徐々に明るくなってきた頃。薄ぼんやりとした意識の中で、ぼやけた視界が、おもむろに服を脱ぐ人影を見つけ頭が冴える。

 甘露が服を脱いでいた。

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