第21話 寝起きの推し
「何かありましたか?」
なんて、何があったのかなんにも知らない様子で、甘露は俺のいる玄関までやってきた。
時間はもう朝。放火魔は結構大きな声で騒いでいたように思うのだが、甘露は今の今までぐっすりだったらしい。よかったよかった。
リビングから聞こえてくるニュースでは、不審火の話題で盛り上がっているようだ。火器の使用について注意を促している。
「いや、何もなかったよ」
「そうですか」
不思議そうにしながらも、甘露はまだ眠そうな顔のまま、玄関に座る俺をぽーっと見てくる。
ボサボサ髪を整えもせず、起きてすぐに聞いてきたようだったから、何か勘づいたのかとも思ったが、どうやら本当に、何があったのか知られていないらしい。
昨夜、甘露が寝た後にあった、謎の男の放火の話は、知らないなら知らない方がいいのだ。俺だって、あんなことに巻き込まれたくはなかった。
「じゃあ、何してたんです? ここにずっといたというわけじゃないでしょう?」
「どっちでもいいだろ?」
「どっちでもよくはありません。私にとっては一大事です。昨夜とは別のにおいが混じってます」
「……」
特段、俺のことを嗅いだようには見えなかったのだが、いつ嗅がれたんだ?
嗅覚の方がスキルなんじゃないかと思うほどの鋭さだが、うぅん。におい程度誤魔化せるだろ。
「そりゃ、一晩寝たんだ。しかも玄関で寝るのなんて慣れてるわけじゃない。体臭くらい変わるさ」
しかし、俺の返答に甘露は軽く首を横に振るだけだった。
「いえ、そういう意味ではなく」
「じゃあどういう意味だよ」
「外のにおいがします。焦げたようなにおいのせいで正確にはわかりませんが、私が寝てから今までのどこかのタイミングで、ヒキさん外に出てましたよね?」
「……」
「無言ってことは図星ですか?」
「ああ。出てたよ。それがどうした?」
「ふふん!」
と、甘露は俺の外出を当てたことで、得意げに鼻を鳴らした。
寝起きでまだ眠そうだから、動きにキレはないが、なんだかそのせいか、やたら自慢げなサマを見せつけられているような気分だ。
「俺の家なんだし、何も起こらなかった。それでいいだろ?」
「それもそうですが、わざわざ私を起こさずに外出したことが気になります」
「寝てたんだから起こさないだろ」
「どうしてです?」
「そりゃ、眠りの邪魔は最悪だからな」
「同意します」
この様子だと、起こさなくて正解だったな。
いや、今朝に関して言えば、先に起きてなかったら、どんな起こされ方をされるかわかったものじゃないし、おちおち寝てられなかったというのが正直な話だが……。
「で、何が言いたいんだよ」
「外で何をしてたんですか?」
「ああ。それで初めまで戻るわけか」
俺の行動を知りたい。ただそれだけ。
本当に、守られてると思っていればいいものを、こうして、俺の家にまで押し入ってきてるわけだしな。
ただ、正直に言えるような内容じゃない。
さて、なんと言おうか。
「買い物だよ。焦げ臭いのは、車とすれ違ったからじゃないか? ガソリンとかのニオイだろう」
「なるほど」
案外簡単に納得してくれたな。
「ゴムですね?」
「違うわ」
「何を考えたんですか? いやらしー」
「普通にハズレってことだよ」
こいつ、もうだいぶ起きてきてるだろ。
眠そうな演技を続けて、ボケてるフリをしてやがったな。
「そうやって否定してるところが怪しいです」
「だから普通にハズレなんだよ。寝ようとしてたんだから財布を持ってなかったの」
「取りに戻って、また買いに行けばいいじゃないですか」
「そういうわけにもいかないだろ。取ろうとしたら、お前を起こすかもしれないんだから」
「なるほどなるほど」
「だから何も買えなかったってこと。スマホも置いてないしな」
まあ、嘘なのだが、つじつまはだいたい合っている。
同じ状況になればそうするだろうことを言っているのだから、そういう意味では空想の世界の俺は嘘をついていない。
「私、大事にされてるんですね」
「何しみじみ言ってるんだよ」
照れたみたいに、顔を赤くして甘露は少ししおらしくなった。
正直、こっちの甘露の方が俺は見慣れているのだが、どうやら演技だったらしいので戻ってくることはないのだろう。
が、なんだか甘露が静かになったせいで外の騒がしさが耳につく。
「なあ甘露」
「……でも、そんな。まだ早いですって」
「おい甘露」
「……覚悟は、してましたけど、本当に?」
「甘露!」
「はい! しましょう!」
「何をだよ。外、何が起きてるか知ってるか?」
「ああ。外ですか」
なんだかガッカリしたような顔で甘露は俺を見てきた。が、俺は甘露の心を常に理解してるわけじゃないんだ。
妄想までは読めない。
「何が起きてるんだ?」
「いえ? 知りませんが?」
「知らないのかよ」
玄関から出て、外を見てもいいが、騒ぎに巻き込まれたくはない。
仕方なく、俺はリビングのカーテンを少しだけずらして、こっそり様子をうかがうことにした。
見えてくるのは人の群れ。何かを抗議しているらしいが……。
「なあ、あれ」
「私じゃないですよ。夢の同棲という現実を放棄するはずがないでしょう」
「そうだろうな」
「それに、私はヒキさん一筋ですから」
「いや、そんなよくわからないことを疑ってるんじゃなくてだな」
「とにかく、蹴散らしますか」
「落ち着け」
ひとまず、冷蔵庫から取り出した牛乳でも飲ませて黙らせる。
見たところ甘露のファン。やってることは俺への抗議ってところだろう。近隣の方に迷惑すぎる。
が、これはきっとお見合い相手の男が仕込んだことだ。昨日の夜の時点から、俺とのお約束により何も手を打てなくなっていたことを考えると、これは次善の策として、あらかじめ用意されていたことなのだろう。
ここを出ていく分には問題ないが、甘露を連れてとなると、一人の犠牲も出さずに避難するというのは、案外至難の業だ。
手はあるが、どうしようかなぁ。面倒だなぁ。甘露の協力があるとラクではあるが、協力してくれるかなぁ……。
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