第19話 推しと寝ろ

「出てきなさい!」


 ただのボロアパートの扉ということも忘れたように、扉を容赦無く叩きながら甘露が言ってくる。


「早く出てきなさい!」

「やだよ」

「私も入るから出てきなさい」

「なんでだよ」


 俺は一時避難。


 なんかよくわからないが、甘露が俺のことを楽しそうに叩いてくるので、準備ができているらしい風呂へと入ろうというわけなのだ。

 が、準備できているから風呂か飯か選べといった様子で促していたくせに、いざ入ろうとすればこれである。

 逃げるように洗面所に入ったのだが、今の甘露は扉を壊さんばかりである。

 まあ、そこはあくまで建物相手ということで、本気で殴ったりしないでくれているが、何かの拍子にぶち壊しかねない雰囲気ではある。


「上がったらまた相手してやるから、風呂くらいゆっくりさせてくれ」

「嫌です。どうして離れるんですか!」

「お前は親から離れない幼児か。風呂入ってない俺とか汚いだろ」

「ヒキさんに汚されるなら本望です」

「汚そうとはしてない。変な言い方するな」


 まったく……。意味のわからない女子だ。


「冷蔵庫に入ってるもの好きに食べていいから、大人しくしててくれ」

「え! あの高そうなヨーグルトいいんですか?」

「いいから。いや、お前お嬢様だろ。ヨーグルトの値段くらいどうでもいいんじゃ」

「そんなことありません。食事はいつも自分の好きにはできなかったんですから、物珍しいんです。なくなってても文句なしですからね」

「あ、ああ……」

「やったー!」


 甘露はドタドタと足音立てて走っていった。


「大人しく食えよ」

「はーい!」


 甘露にとっては俺よりヨーグルトだったか……。

 これならさっさと差し出しておけばよかった。俺は別にヨーグルトに命かけてるわけじゃないし、食われてもまた買ってくればいいし。

 しかし、ヨーグルトに助けられる日が来ようとはな……。

 ってより、すでに料理の後なんだしヨーグルト以外は食われた後だったのでは?


「はあ……」


 なんだこれ。


 いや、これで風呂にゆっくり入れるわけないだろ。食べ終わってまた扉を叩かれたらたまらない。

 なんなら、この部屋の壁を全部壊して一緒にいるとか言い出しかねない。


 それはマジで困る。


 そんなこんなで、結局、風呂でゆっくりすることもせず、さっと入ってパッと出た。


「……」

「ふわぁ」


 が、そんな心配は杞憂だったらしい。


 リビングでは、甘露が布団の上で俺の枕を抱きながら、眠そうにテレビを見ていた。

 目がしょぼついているらしく、テレビを見ているのだか、寝るのを我慢しているのだかわからない感じだ。

 こんな様子を見ていると、興奮してるのはどっちだと言いたくなる。これじゃまるで、旅行に行って体力の配分を間違えてる子どもじゃないか。

 まあ、高校生ならまだ子どもか。


「ヒキさんヒキさん。ここ空いてますよ」

「空いてないわ。なんで一枚しか敷いてないんだよ」

「一枚しかありませんでしたよ?」

「そんなはず……!」


 慌てて家中を確かめるが、ない。布団がない。敷かれているので全部だ。

 リビングに戻ると、ニヤリとした甘露の顔が目に入る。

 こいつ。服と一緒に予備の布団全部捨てやがったな! 粉微塵にするのはお手のものってわけか!

 しかも眠気のせいか企みを隠す様子すら見えない。

 ヨーグルトを食べて、人の家で風呂入って、眠いから寝るって、人の家でする所業じゃないだろ。


「ほらほら。布団はこれ以外ないでしょう?」


 甘露は悠然と、俺を誘うような様子で布団を叩いて勧めてくる。

 隣で寝たら、俺が何をされるかわかったものじゃない。俺が何をするかもわかったものじゃないが、何かされる方が早い気がする。いや、どっちも嫌だ。


「俺は玄関で寝るよ」

「正気ですか? 私と寝るのがそこまで嫌ですか?」

「違う。ここ防犯設備整ってないから、何かあったら大変だろ」

「私が……。いえ、そうですね。何かあったら心配です。それなら私も玄関で寝ます」

「私がなんだ?」

「なんでもありません。玄関で寝ます」

「寝るな。そこで寝てろ」


 特に俺が何もしなくても、甘露はもう眠そうだ。明かりを消せば、その瞬間に寝てしまいそうだ。

 玄関で寝ると言ってはいるが、枕を離す様子はないし、動きはもうすでにのろい。半分くらい眠っていると言っていいだろう。


「防犯設備というなら、ここの家、ヒキさん意外に誰もいませんよね。いえ、少し違いますね。住んでいる様子がない、と言うんでしょうか」

「まあ、俺しか住んでないからな」


 話か、ちょうどいい。

 話している間に覚醒しようというつもりかもしれないが、つまらない話でもして、このまま寝てもらおう。


「ご両親は?」

「もう死んでる」

「あ……」


 寝かせようと思ったが、死んだ人間の話なんて、簡単にでもしてしまえばそれだけで目が冴えるか。

 甘露はワナにかかった瞬間の動物のように、口を開けたまま固まってしまった。


「気にするな。済んだ話だ。もう、折り合いはつけてるさ」


 ここでだって整理が済んだから生活できているんだし。


「そう、ですか……。あの、お聞きしにくいのですが、お金はどうされてるんですか? 私の家は裕福ですから、生活する分なら出せますよ?」

「なに変な気遣いしてるんだよ。必要ない。労働以外で生活する分には困らないからな」

「強がりでなく?」

「ああ。強がりで言ってたら俺もう死んでるだろ。俺は仮にもダンジョンに潜れるんだぞ」

「たしかに……?」


 納得していない様子だが、甘露は引き下がった。ヒキニートはネタとして言ってたと思ったのか。


 まあ、俺の言い方も冗談ぽかったしな。


 しかし、黙り込んだ甘露は、本気でどうにかしよう、とか考えているように見える。いや、見えるだけか。

 わからない。だが、考えるように目をつぶっている。


 ちょうどいいな。


「もう寝ろよ」


 俺はリビングの電気を消して玄関へと移動した。

 ここからは少し長くなりそうな予感がする。

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