第18話 推しは褒められたい
「まあ、それはそれとして、お風呂に入ったから、というのもあるんですけどね」
俺をいじるのに満足したのか、俺の考えなどまったく無視して、甘露は唐突にそんなことを言ってきた。
「そりゃ、なんかあったかくていいにおいがするわけだな」
なんだか、今の状況が当たり前に感じ始めている自分が恐ろしい。
「でしょう? もっと嗅いでいいんですよ?」
「だから、俺は別に、においフェチとかじゃないからな。いや待て」
俺は甘露を押しのけつつ、甘露の言葉を分析する。
甘露、風呂に入ったのか。
たしかに、風呂に入ることは別におかしなことじゃない。けど、この辺って銭湯あったかな。
いやそもそも、俺の家から服をパクって銭湯に行き、帰ってくる時間はさすがになかったはずだ。そのうえ料理まで済ませるとなると、いかにスキルを駆使しても心は休まらない。
「お前、俺の家で風呂の準備をして、先に入った挙句、俺の服をパクって着てるのか?」
「パクってるとは心外ですね。彼氏のものは私のものです。これは所有権の共有です。他人の所有物を我が物顔で自分の物だと言い張るような輩と一緒にしないでください」
「同じだよ。どちらにしろ他人のものをパクってることに変わりないだろ」
「なんです? パクられてるにしても、かわいい女の子が自分の服を着ている姿に興奮していたくせに、今さら文句を言おうというんですか?」
「くっ……」
人の家に転がり込んで、自分の家のように風呂に入ってくつろいでいるヤツに、こんなことを言われる筋合いはないはずなのだが、なんとなく反論できない。
興奮はしていないが、フィクションなら心躍るシチュエーションと言われれば、俺としてはうなずくしかない。
「不満そうですね。いいですよ。それならお詫びとして、すでに処分してきた私の衣類を今からでも」
「わかった。そんなことしなくていい。俺が悪かった。美味い飯を作ってもらって、そのうえ風呂の準備までしてもらったんだ。文句なんて言わないさ、な?」
「ふふん! そこまでじゃないですよ」
「今のは別に褒め言葉じゃないけどな」
「またまた〜。そんなことないでしょう」
こいつの感覚はどういう基準なのかまったくわからない。
いや、飯が美味いは普通に褒め言葉か?
ぐぬぬ。
しかし、今日一日だけで、甘露への幻想は馬鹿みたいに崩された気がする。
やっぱり推しってのは、画面越しだからいいのであって、現実に会うものじゃないような気がしてきた。
まあ、こうなってしまった以上、もう取り返しはつかないのだけど……。
「そろそろ私の存在がありがたくなってきた頃じゃないですか? もっと褒めていいんですよ?」
「いや、さすがにそこまでじゃ」
「なんでですか! 私は褒められて伸びるタイプなんですよ?」
「キレられてもなぁ」
「生まれてこの方、叱られないように、ずっと褒められて伸びるタイプで通してきたんですよ? 褒めてください。私だってタダでやったわけじゃないんです。もっと私を褒めてください」
「行動原理が浅ましすぎるだろ。もっと甘露って慎み深くなかったか?」
「あれはヒキさん以外の方も見るかも、と思って、キャラを作っていたんです。配信中は全世界用の顔です」
「キャラを作ってたとか言っちゃったよ。というか、俺以外が見てたことなかったんじゃないか? それも無駄な努力だったってわけか」
「ひどい! 私は今、私を褒めてって言ってるんですよ? けなしてほしいなんて言ってません。しっかり褒める言葉を使うべきじゃないんですか?」
「なんで褒められる方が高圧的に褒めることを求めてくるんだよ」
「じゃあ、褒める側が高圧的になってください。ほら、褒められたかったら俺の言うこと聞けよ、とか言ってください。やりますから」
「なんで俺は褒めを理由に甘露に何かさせなきゃいけないんだよ」
「私はヒキさんに褒められたいんです」
「なんかそれおかしくないか?」
「……」
「無言で見つめられても……」
俺に褒められても仕方ないと思うけどなぁ。とは、今の甘露を見ていると口にできない。
なんかまた、俺のことを逆に褒めだしそうで、それはそれで気が引ける。
しかし、褒められたくてやってる、ねぇ。承認欲求をここまで大々的に口にできるヤツもなかなかいないだろう。
それに、ここまではっきり言って、しかも行動を相手に委ねてしまうってのは危険すぎる気がする。
親と信頼関係を結べてる、みたいに思ったが、絶対違う。こんなんだからお見合いとか言われるんじゃないのか?
「あれ、お見合いっていつから始まったんだっけ?」
「なんですか? そんなことに答えれば褒めてくれるんですか? 馬鹿にしてるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
意識してのことではないが、甘露は不満そうにむくれてしまった。
ふと思いついて聞いただけなのだが、しかし、別にやってもらいたいこともない。
「いいよ。これに答えてくれたら褒めてやる」
「言いましたね! お見合いは高校生になってからです」
速かった。高速回答だった。
「へぇ。高校生から」
「そうです。さ、さ!」
「ん? 高校生から?」
高校生って、高校生だよな。ハイスクールスチューデント。
「さあ! さあ!」
「じゃあ、甘露って高校生なのか?」
「さあ。……はい。もう高校生ですよ? なんですか? その言い方。まさか、私が高校生じゃないと疑っていたんですか?」
「ああ」
「ああ! 今ああって言いましたか?」
「同意したよ。いや、ありがとな。教えてくれて偉いぞ」
「違います! 私の求めていた褒められ方じゃありません。なんかこう、それは小さい子を納得させるための方便のような褒め方です」
「ご飯もありがとな。よく作ってくれたな。上手だったよ」
「違いますって。それも同じ感じじゃないですか。私が物分かりの悪い子どもで、褒められたら乗せられる子どもみたいな」
「自分でそう言ってたじゃないか」
「違います〜!」
親が理解してくれない時の子どものように、甘露は俺の胸をぽかぽかと叩き出した。
本気で叩けば俺の肋骨を折ることも可能な甘露だが、加減されていて全然痛くない。
むしろなんだか、マッサージみたいで心地いい。
「色々とありがとな」
「違います。違うんです!」
俺が褒めてもなお、甘露は俺のことをひたすらに叩いてくる。
俺は言われたとおり褒めているのだがな。
「しかし、甘露は高校生か。幼い見た目だけど高校生か。やっぱり、俺とそう歳は変わらないんだな」
「幼いって言わないでください。この見た目は私のコンプレックスなんです」
「かわいらしくていいと思うけどな」
「このロリコン!」
「だから、歳は同じくらいだって」
「いくつですか!」
「高一の時に中退して二年くらいだから」
「なんですかその計算方式。つまり一個上ってことですね。ロリコンロリコン」
「……」
ロリコン呼ばわりは、自分の見た目を盾にしている意味のわからない行動じゃないのか?
まあいいか。困ったら泣いてでもここの子だと言い張るらしいしな。これが甘露の芸風なのだろう。
というわけで、しばらくの間、俺はロリコンと呼ばれながら甘露に叩かれ続けた。
だからどういうわけだ。
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