第17話 推しの服が
「いやぁ。他の女がいなくて安心しましたよ」
なんて、リビングに入るなり、あっけらかんとした様子で甘露は言ってきた。
「女って。いるわけないだろ。俺ヒキニートだし。いてもお前には関係ないだろ」
「いるんですか?」
ぬっと、甘露は笑みを消して、俺よりもよほど幽霊みたいな感じで、一気に顔を近づけてきた。
「いないよ。さっきも言っただろ。俺はヒキニートなんだよ。そもそも、今日みたいに外に出てる方が珍しいんだ」
「そうですね。外に出てたら引きこもってないですしね」
「名前負けだろ?」
「比企木守ですしね」
「そういうことだ」
木を守る者。エルフみたいなんて言えばかっこいいが、苗字とのマッチが悪すぎた。
こればっかりは仕方ない。俺の両親も、まさか本当に引きこもりになるとは、夢にも思ってもいなかっただろう。
まあ、俺はこの名前好きだけどね。
しかし、風呂か飯かと問うてきただけあり、甘露はしっかりと風呂も飯も用意していた。
それとも、から先の部分は無視するとして、どうやら甘露は家事が得意らしい。エプロン姿も似合っている。
「ふふん。どうです? 見直しましたか?」
「ああ。見直したよ」
「これだけ家事育児ができれば、他の女に目移りしないでしょう」
「育児はしてないだろ」
「まだですよ。まだ」
「あっそ。ただ、それだけ自信満々に言ってるとフラグみたいだけどな」
「ダメですよヒキさん、そんなことしたら。私は愛しのヒキさんをこの手にかけないといけなくなりますから」
「誰が愛しのヒキさんだ。それに、できなかったろ」
「そうでした」
どこまで本気なんだか知らないが、目が据わってるからとても怖い。
甘露じゃ寝首もかけないだろうが、なんかどうにか手段を講じてきそうな雰囲気はある。温室育ちのお嬢様だから、ということなのだろうか。知らんけど。
そう思うと、甘露がこんなだから、両親も諦めて俺の家に預けたのだろうか。それとも、ものすごく信頼関係を気づけているのだろうか。
「いない女のことはどうでもいいんです。私のこと、褒めてくれてもいいんですよ?」
「準備はありがたいが、今褒めてもいいのか?」
「そうですね。なら、冷める前に私のご飯に舌鼓を打つといいですよ」
「ほう? 言うじゃないか。まるでうまいということが決まっているみたいに」
「決まってますよ。彼氏は彼女のご飯に美味しいと言わないといけないと、法律で決まっていますからね」
「決まってないわ」
「言わなければ十年以上の懲役です」
「重いな」
この場合、言わなければ甘露が十年は住み着くってことになるのか? それとも俺がどっかに監禁されるのか?
いや、まあいい。
「美味けりゃうまいって言うさ。別に、俺はそこまでひねてない」
「どうでしょう。家には非常食のような缶詰くらいしか置いてありませんでしたよ? そんな食生活、ひねてると言わずなんと言うんです?」
「常在戦場?」
「誰と戦っているんですか?」
「労働」
「ああ」
ヒキニートですもんね。と甘露は続けた。
俺の生態も、少しはわかってきたみたいじゃないか。
これで幻滅してくれるとなおよかったのだが、甘露はなぜか引いたりしない。人は大抵ダメ人間を見限るものなんだけどなぁ。サバ缶を健康的と見たか?
「まあいい。食わせてもらおう。いただきます」
「どうぞどうぞ」
並べられたのは新鮮そうな野菜。つやつやの肉。そして、あったかそうな味噌汁。さらに、炊き立てご飯。
まずは汁物。
「うん」
普段缶詰生活で温かい汁物なんて久しぶりに口にした気がする。芯まで温まる気分だ。俺が帰ってくるまでの短時間で作れるものなのか。
次にサラダ。朝どれの野菜をふんだんに使ったようなものだが、軽く塩をかけただけで、野菜本来の甘みを感じる。これだけでいける。いや、むしろこれだけがいい。
そして肉。なんの肉かわからないが、おそらく牛。シンプルなしょうゆ味らしいが、ご飯を誘う。
最後にご飯。米が立っている。肉と共に広がる甘味が。
「うまい!」
「でしょ!」
「うおい!」
いきなり甘露が腰に抱きついてきた。危ない。箸が刺さったらどうするつもりだったんだ。
「近い近い。いや、なんかいい匂いするな」
「もっと嗅いでいいんですよ?」
「お前はご飯じゃないだろ。それに、俺はお前と違ってにおいフェチじゃない。というか、服もよく見たらサイズ合ってないんじゃないか?」
抱きつかれて気づいたが、どうやらでかいシャツを着ているだけで、下に何も履いていないように見える。
ものすごく短いズボンでも履いているのかもしれないが、どうだろう、あまりジロジロ見るものでもない気がする。
しばらく抵抗していた甘露だったが、やがて満足したように俺の体に擦り付けていた頭を上向けると、ニヤッとした顔で俺のすぐ目の前に現れた。
「この服、いいでしょう?」
「いいって。なんかそれ見覚えあるな」
「そうでしょうそうでしょう?」
「んー? あ、それ、俺の服だろ」
「ビンゴです」
「ビンゴですじゃねぇ。なに勝手に着てんだ」
「えー? 服を処分しろと言ったのはヒキさんですよ」
「ああ」
言った。確かに言った。
新しくしろとは言ったが……。
「俺の服は新しい服じゃないだろ」
「私にとっては新しい服です。萌えません?」
「……」
反応に困る。
「照れですね?」
「違う」
と口では言いながらも、正直、甘露が俺の服を着ているという状況に、何も感じないわけではない。
そりゃ、まあ、いい。
「ニヤニヤしちゃってますよ」
「え、嘘」
「ふふふ。ヒキさん。嘘つくの下手ですねぇ」
騙された。
やられた。
が、これはもう仕方ない。
俺は聖人じゃないのだ。かわいい女子が、好きな女子が自分の服を着て、しかも楽しそうに笑って、しまいには飯まで作ってくれている。
こんな状況。嫌なわけがないんだよ。
「かわいいですか?」
「……かわいいよ」
「えぇ? 聞こえませんよぉ?」
「かわいいって」
「なんですか? か? かわ?」
「聞こえてるだろ、それ。かわいい。かわいいって」
俺の言葉に、なおも甘露は俺をいじってきた。
甘露はしばらくニヤニヤしながら、俺の腹をつつきながら、どうだどうだと聞いてくる。
話に聞いていた胃袋を掴まれるってこういうことか……。
俺はそのままの姿勢で食べられるだけ飯を食べた。
さて次は……。
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