第8話 好きの真意……?
「くっ!」
舌の一部を噛み切った。
一時的に口内に激痛が走るが、おかげで冷静さを取り戻すことができた。これくらいの傷、探索者ならそのうち治る。
いやぁ危ない危ない。呑気に会話なんて繰り広げているが、ここはあくまでダンジョンだ。恋バナとやらに花を咲かせる修学旅行先とかではないのだ。
俺は一度深呼吸してから、甘露の熱っぽい視線をまっすぐ受け止めた。
「そいつはつまり、俺が甘露に憑依すれば解決できる問題ってことか?」
あくまで冷静に、平静に、真剣な表情で質問する。
誘うような甘露の体勢を気にしてはいけない。
「それは、分かりません」
誘惑には屈しないと思ってくれたらしく、甘露は姿勢を戻した。
よし。
しかし、できるかどうかまで計算ずくなのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
まあ、憑依して能力を覚醒させたからといって、お見合い関連の問題が解決していないところを見れば、使い方がわからないか、能力がないかのどちらかなのだろう。
ならば、俺が憑依したらどうこうできる、というのも、不確実で確定できないと考えて差し支えあるまい。
いや、本当に危ない。好きとか、スキにしていいとか言われたから、変な意味と取り違えるところだった。
甘露がほっぺたをふくらませて抗議してきているが、これは魂胆を見抜かれてすねているというところだろう。ギリギリセーフだ。
「どうなんですか」
甘露が俺の心意を聞いてきた。
そっけない感じだが、語気に怒りがにじんでいる。顔も赤いし。
どうやら相当、策を練っていたらしい。そのうえ、結構な自信があったに違いない。
そりゃそうだ。俺が年上だろうことは容易に想像できる。
そのうえで、男なら年下女子から誘惑されるというシチュエーションで、説得できると考えたのだろう。それで実際に、俺みたいなヒキニートを見てしまえば、イチコロだと思って決行したとのだとすれば納得だ。
いやぁ、普段からダンジョン探索をしていてよかったよかった。
「俺が人間関係をどうこうするのは無理だ。俺はヒキニートだぞ。おそらく、年もそう変わらない。年上だとは思うがな」
「ヒキさんなら、私の抱える問題くらい、簡単に解決できるんじゃ」
「無理だって言っている。きっかけが劇的でドラマチックだったから、そう思ってしまっているだけだろ。華々しい過去は、どうしたって完璧なものと思いたいもんな」
「そういうわけじゃないんです。それに、私は本当にヒキさんのことが好きなんです。だから、他のもの全部捨ててでも、ここに来たんです」
「ふぅん?」
本当。信頼自体はありがたいが、どこでそんなに信頼されるようなことをしたかね?
「もし仮に、俺についてきたら、俺がお見合い相手のことも解決してやるって言ったら、どんな条件でも飲むのか?」
「飲みます。なんでもやります」
「あのなぁ。本当にそんなこと言い出しても、それは、男の邪な思いか、単なる思い上がりからくる発言だぞ?」
「いいんですよ、それで。言ったじゃないですか。スキにしていいって」
「……」
なんだ?
なんでここで繰り返す?
どうしてここで悲しそうな顔をする?
あきれて口にした発言のはずなのに、俺の胸のがざわついている。
スキにしていいって、それはあくまで憑依ってことで、言葉のあやじゃないのか?
「意気地なし」
「なっ……」
「この、ヒキニート、ダメ男、意気地なし!」
「意気地なしと言われる筋合いはないだろ!」
「あります! ヒキさん、全然男らしくないじゃないですか!」
「今時そんなの流行らないんだよ」
「私は好きです。引っ張ってくれる男性」
「知らんわ」
なんだ? なんだなんだ?
雰囲気が変わった。
いや、初めからか?
別の策を用意していた……?
空気が変わった。備えていたはずなのだが、明らかに俺は、何かの術中に落とし込まれてしまった。
「私の家、お金はあるんです。そんなこと話の流れでバレちゃいますよね……」
「この時代にお見合いだもんな。それがどうした?」
「ならもう決めました。私はあなたを閉じ込めます。どこにも出られないように、私だけの人になってもらいます。私も閉じこもって、一緒に暮らすんです。もう、何も見なくて済むように、ヒキさん以外、何も考えなくて済むように」
「そんなことできるなら俺いらないだろ」
「必要なんです。だって、ヒキさん、ダメな人だから。私がいないと何にもできないでしょ?」
「そんなことないわ」
「じゃあ、決断から逃げないでください。私だけ見るって約束してください」
剣を抜いた。
甘露の剣。
刀身が彼女の胴体ほどの長さを持つ剣。
勝ち目があってのことなのか、はたまた、スキルの方に自信があるのか。
「どうしてもって言うなら、ここで私だけのヒキさんになってください」
ぞわり、と背中に虫が這うような感覚、寒気がした。
俺は甘露に背中を見せる覚悟で振り向いた。
危なかった。
周囲への警戒が完全に正確に当たっていた。
背後から振り下ろされたのは、甘露の持っていた剣だった。走り出す甘露とはまったく無関係に、剣はそこにあった。
そこからは、次から次に、動きと連動しない剣が襲ってくる。どこからともなくでたらめに、四方八方、まるで予測も予想もあざ笑うように、なんの脈絡もなく、剣の嵐が俺を襲う。
「くっ……」
「どうしたんです? 探索はその装備で十分なんでしょう?」
やはり、未知数。あの時以上。
俺の知る能力を、甘露は大幅に超えて強くなっている。
スキルを研究し、使いこなせるようになれるほどの時間なんてなかったはずだ。
それなのに、ない時間を捻出して、相当に練習した。だから、俺の想定をはるかに超えて、ダンジョン最奥ギリギリまで、余裕を残してついてこられたのだろう。
こんな攻撃を繰り出せるのだろう。
そこに至るまでの理由は、果たして俺にはわからないが。
家が金持ちなら、余計に俺にはわからないが。
「うぐっ」
俺は剣を受けた。
こんなこともあろうかと仕込んでいた、死んだふり用の血のりを大量にぶちまけて、俺はその場にぶっ倒れた。
これ、人間だけでなくモンスター相手でも効果的なんだよな。
「えっ」
攻撃は止まった。
そりゃそうだ。いかに監禁しようとしていても、甘露は俺を好いてくれていた。攻撃なんて、本気で当てるつもりもなかったのだろう。
甘露は血まみれの俺を見て立ちすくんでしまった。
「カハッ! ……な? 俺はそんな大層な人間じゃない。他人の問題を解決できるほど、お前に好かれるほど、できた人間じゃないんだ」
「どうして、無事なんですか?」
「は?」
「私の攻撃を生身で受けて、どうして無傷なんですか!」
「……」
バレていた。
バレバレだった。
手応えとかは違うもんなぁ……。
俺が甘露の攻撃を喰らったことは残念そうだが、そのせいで余計諦めるつもりを奪ってしまったらしい。
俺の力を過度に信じ、言葉の方をまったく信じていないらしい。
「最終手段で、私の世話がないと生きていけない体にしようと思ってたのに。ヒキさんあなた、どれだけ余裕を残してるんですか」
……。
今、さらっととんでもないこと言ったな。
なら、乗っかるとするか?
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